エジプト航空との闘い

(3月13日)
アスワンからの飛行機は昼過ぎにカイロに到着した。16日に乗るアンマン行きの便の出発がどのターミナルかを確認してからタクシーで市内に向かい、T君に教えてもらったラムセス駅近くのパレスホテルというホテルへ行った。名前はすごいが安宿である。シングル、シャワー・トイレ付き、朝食代込みで、ソファーを置いてある別室(とはいっても三畳程の広さだが)まであって14ポンドちょっとだ。カイロにしては安い部類だろう。給湯は各部屋についている電気ヒーターに頼らなくてはならないので、連続・大量に湯を使うのが難しいのが唯一の弱点だ。

荷物を降ろすとすぐに地下鉄に乗って、ナイル・ヒルトンにあるエジプト航空のオフィスへ行った。アスワンで買ったカイローアンマン間のチケットの料金が正しいのかどうか確認するためだ。カウンターで「この料金で正しいのか」と聞くと、「間違っている」というではないか。税金の二重取りで20ドル払い過ぎているという。しかし、この後の話が理解できなかった。僕の耳を疑わせるような言葉がカウンターの向こうにいるオバサン職員から返ってきたのだ。「この払い過ぎの20ドルをエジプト航空にくれる気はないか」確かにそう言っているようだが信じられない。英語がよくできないせいかと思って聞き返すと「日本人は金をたくさん持っていて、エジプトでもたくさん金を使う。なのに、この20ドルをエジプト航空に与えたくないのか」と言うではないか。しかし、金額の問題ではないので、払い戻してくれるようにお願いする。

ところが、ここからことがスムーズに進まない。この間違いチケット、クレジットカードで買っていたので、いったんアスワンのオフィスにテレックス(=時代を感じる通信手段)を打って、クレジットの明細を確認して、払い過ぎの分を払い戻すクレジットのフォームを作らなくてはならないという。「アスワンからの回答が来るのは明日になるから、明日の朝8時半に来て欲しい」と言われた。20ドルを取り戻すのに、足掛け2日を要することになった。

 
 (3月14日)
8時半ちょうど、エジプト航空のオフィスに行った。しかし、昨日応対してくれたおばさんは来ていない。エジプト的「時間なんてあまり気にしなさんな」という対応をされて、2時間も3時間も待たされたらかなわないと思っていると、8時40分過ぎには現れた。しかし、すぐには決着がつきそうにない。お茶を運んでくれた時、これは長期戦だなと感じた。そうすると、またアスワンと電話のやりとりを始めた。

9時半頃、ようやくチケットの書き直しが始まった。見ると税金だけではなく、料金も間違っていて、なんと70ドル以上も余計に払っていた。これは非常に大きな額だ。泣き寝入りしなくてよかった。

すべての手続きが終わったのは10時すぎだった。

この後、ナイル・ヒルトンのすぐ横にあるカイロ考古学博物館へ行った。超国宝級の宝物が所狭しと並べられていて壮観だ。だが、あまりに沢山並びすぎていて、何かありがたみが薄れる。

団体客でにぎわう館内には、ひときは人がたくさん集まっている部屋がある。ツタンカーメンの黄金のマスクのある部屋だ(閉館間際の時間帯は比較的すいているらしい)。とにかく金・金・金だ。金のマスク・金の飾り・金をかぶせた棺桶。とてつもない量の金だ。どこからこれだけの金を集めたのだ。前述したように、ツタンカーメンの墓自体はルクソールにある他の王の墓よりもずっと小さい。その程度の墓の持ち主が、これだけの金を使って埋葬されているのだ。もし他の大きな墓が盗掘にあっていなかったらどれ程のものが出てきたのだろうか。まさしく想像を絶するものがあったのではないか。盗掘団は一つの墓をあばくだけで巨万の富を得ることができたのだろうから、血まなこになって古代の王の墓を探し、掘ったのだろう。ツタンカーメンの墓が盗掘にあわなかったのは奇跡である。

昼頃、博物館を出て、昼食後、市バスに乗ってピラミッドで有名なギザへ向かった。キザまで15~16キロ、たったの10ピアストルだ。

それにしても、カイロ市内の渋滞はひどい。交通ルールはあってなきがごとし。ところどころにある信号は一応機能しているが、それ以外はもう目茶苦茶。歩行者も車の間を縫って道を渡るしかない。渋滞した道ならば道路の横断も問題ないが、車が流れている箇所の横断は難しい。そんな道を渡るとき、僕は車の来る方に数人のエジプシャンを置いて渡った。エジプシャンを盾にしようという考えだ。ところが、これもなかなかうまくいかない。なぜかというと、自分が盾にしようと思ったエジプシャンが、しばしば「そんな、無理だろう」という情況でもすいすいと渡ってしまうからである。そして僕は呆然と「盾」が道の向こう側に去ってしまうのを見ているだけなのだ。

大勢で渡ればこわくないという見方があるかもしれないが、これも時には大きな間違いである場合がある。横断中の人の一団に車がそれほどスピードを落とさずクラクションを鳴らしながら猛然と走ってくる。でも、たぶん止まるだろうと思っていると、ますますクラクションを鳴らしまくって来る。そして、あわやというところで、エジプシャンたちはサッと二手に分かれ、そこを車が通って行くのである。

人と車はこんな関係だし、車同士もものすごく強引だ。まあ、そうでもしなければ、車線変更もできないくらい混んでいるのだが、そんな中を馬車がゆう然と走っていたりするから(現在はどうなっているかわからない)、交通はますます混乱する。

そんな交通情況の中を市バスは行く。20分も走っただろうか。たぶん距離にすると2~3キロくらいという感じなのだろうが、やっとナイルを渡り終えスピードをあげた。

ピラミッドは、子供のころから教科書の写真・テレビの映像で何度となく見てきた極めて有名な遺跡だが、いよいよ実物が見られるのだなと思うと、ものすごくわくわくしてきた。このわくわく感は何なのだろうか。知っているから余計わくわくするのだろうか。とはいっても、キザのクフ王のピラミッドが4500年も前に建造されたもので、高さが140メートル近く(本来の高さは146メートルで現在は頂上部が失われているため137メートル)もある巨大な墓であるというくらいの知識しかないのだが。
 
ピラミッドが見えてきた。近くなってくるとまるで山のようだ。逆光でシルエットしか見えないのが、「山みたい」感を強めている。

バスを降りて近寄って行くと、当然シルエットはどんどん大きくなっていく。しかし、大きすぎて、山は巨大な壁という感じに見えてきた。写真を撮ろうとカメラのファインダーをのぞくが、画面にいっぱいに四角錐が入るだけで、さっぱり絵にならない。とにかく大きいのだ。ピラミッドを見るなら遠くから、である。

近くで見るピラミッドは、月並みな表現だがすごかった。一個一個のブロックが大きいのである。それぞれ高さ1メートルくらい、幅2メートル以上、奥行きはよくわからないが、これもかなりありそうだ。クフ王のピラミッドの場合、これが230万個余りも積み重ねられているという。これだけの数のブロックをよく運んだものだと思う。それにもまして、これだけの数だから、一つ一つのくるいが小さくても、全部重ねると大きなくるいになり、ピラミッドそのものもゆがんでしまうのではないか。しかし、見事なまでの正四角錐である。ものすごい精度で石が削られ、積み上げられているのである。
 
さて、ギザ観光の中心は、クフ王・カフラー王・メンカウラー王のピラミッドとスフィンクスである。ただ前述した通り、ピラミッドは余りに巨大なため、近くで見ると大きな壁という感じだから、少し離れたところから見たい。そんな観光客の要望に応えようと、観光ラクダや観光馬がピラミッドのまわりにはたくさんいるのだが、この客引きの評判が非常に悪い。とにかくしつこいのだ。「乗らない」とはっきり言っても、ずっとついて来る。こっちはとぼとぼと砂漠の中を歩いて行きたいのに。それに比べるとピラミッドのまわりでバケツに氷とコーラ・ジュース類を入れて売っているおじさん・おばさんたちは好感が持てた。しつこくないし、ぼったくらないし(街中より若干高いくらい)。外の陽射しは強いしピラミッドの中も意外と暑いので、中から出てくると、思わずこのおばさんたちのバケツに目が行き、そして飲み物を買ってしまう。だからしつこくないのか?


ピラミッドと観光ラクダ
かなりしつこい観光ラクダの御者。


スフインクスとピラミッド
残念ながらスフインクスは修復工事中だった。


ピラミッド


クフ王のピラミッドの入口
クフ王のピラミッドの入口。


ピラミッド内部
クフ王(だと思う)のピラミッドの内部。



 back 海外旅行記index top next

home