敦煌旅遊
 

5時、やっとのことで起きる。涼しいので、本当に良く眠れるのだ。敦煌行きのバスはホテルから表通りに出たすぐの所を6時半に出るので、時間的には余裕がある。

同室の中国人(何人部屋だったか記憶が定かではない)を起こしてしまわぬよう注意しながら、持参のインスタントコーヒーにウルムチで仕入れたビスケットという朝食をとり、ホテルを後にする。前日、朝の寒さを経験しているので、トレーナーを着ての出発だ。

酒泉市を抜ける前に、酒泉バス駅に寄り、いよいよ本格的にスタート。まず、昨日通った嘉峪関への道を走る。バスは性能目いっぱいにとばす。嘉峪関の砦を右に見つつ、何もない乾燥しきった世界に入って行った。運転手は無表情で、ただひたすらバスを西へ走らせる。



敦煌行きバスの車内。


11時45分、安西に到着。世界で一番風の強い所ということだが、幸いにしてこの日は、無風。しかし、心なしか街が砂っぽい。

車掌に発車時刻を確認して街へ出る。食べ物屋を捜すが、これぞというのが見当たらず、結局、屋台でパンを買って、それを汽水(炭酸入りのジュース)で流し込んだ。

12時20分、バスは再び敦煌に向かって走り出した。安西オアシスを出るとすぐに、一面砂礫の世界になった。時々、崩れた四角い土塁のようなものを見かけるが、烽火台なのだろうか。

安西を出て約2時間、左手に敦煌空港が過ぎ去る。ガイドブックには酒泉-敦煌は10時間と書いてあるが、そんなにかかりそうでもない。

バスはやがて緑を増した地域に入り、14時30分、敦煌バス駅に着いた。酒泉からの所要時間は8時間だった。

マーさんが来ているだろうかと、あたりを見回すが、見当たらないので取り敢えず第二招待所へむかう。招待所とは言ってもホテルである。

僕がベッドを確保したドミトリーは、もとは会議室だったようなところだった。入ってすぐの所に大きなテーブルがあって、それを中心に「コ」の字型にずら~っとベッドが12くらい並んでいた。先客達の荷物があって雑然としている。荷物の主達は、莫高窟にでも行っているのだろう。

僕は、荷物を置くとすぐに、国際旅行社のある敦煌賓館へ向かった。柳園からの列車の切符をなんとかしなくてはならない。

 「列車のチケットが欲しいのだが」と言うと、予想通り「5日前に申し込まないと買えない」と言うではないか。柳園からは、2日後の午後に乗らなければならないので、ここで寝台券を確保することは不可能だ。無座で行くことを覚悟する。北京までの2泊3日は、いったいどうなることやら。体調の回復だけが救いだが。

敦煌賓館を後にしてバス駅の方に歩いて行くと、前の方をI君達が歩いていた。彼らもここに来ると言っていたから、今度はそれ程驚かない。I君に追いつき、声をかける。聞くと、僕と同じホテルの同じ部屋だという。

三人で、バス駅へ向かうと、向こうから自転車に乗ってマーさんがやって来た。マーさんと少し早い夕食をとり、6時すぎ鳴沙山へ行った。



鳴沙山。鳴砂山(メイシャシャン)は東西約40キロ、南北約20キロの巨大な砂山。写真のようなこれぞ砂漠という砂山が見られる(敦煌の街中からも見える)。しかし、炎天下砂山を登るのはきつかった。



池のようなものは月牙泉。3000年以上も水がかれていないという話だが、1993年に再訪した際にはやや小さくなったという印象を受けた。



一つ上の月牙泉の右に写っている砂山の頂上から撮った写真。ちょっと斜度が強調された感じで写っているが、かなりの急坂ではある。(自分は月牙泉側から登った)。下に豆粒のように見えるのは観光ラクダ。僕もラクダに乗って月牙泉のあたりまで移動した。砂山の頂上にはスイカ売りがいて、のどの渇きを癒すため食べたが、なんともいえぬうまさだった(そこいらじゅうにスイカの皮が散乱していてひどかった)。なお、現在、この砂山は登ってはいけないらしい。


敦煌2日目の朝6時、まだまっ暗だが、酒泉へ行く人達がごそごそと起き出す。僕とI君も続いて起きる。7時半の千仏洞(莫高窟)行きに乗ることになっている。  

 バスが走り出してしばらくして、夜がすっかり明けた。

8時頃、莫高窟前に着くが、二種類ある参観券のうち、外国人向けの、よりたくさんの窟を見学できる方の売り場の窓口が開かない。9時に開くというから、まだ、1時間もある。例によって朝のうちは寒く、なかなかつらい1時間だった。

9時、窓口が開き、参観料と引きかえに券と記念品のうすいプラスティックシートに飛天の絵が印刷されたものを受けとり、いよいよ窟巡りの開始。

窟前の柵の中に入る前に荷物類を預けさせられる。カメラの持込みは一切不可だ。

20人くらいのグループごとにガイドが一人ついて、鍵のかかった窟を開けて案内してくれる。中国語と英語の二ヵ国語で説明してくれるが、さっぱりわからない。いざ、窟の中に入っても勉強不足で、壁画の素晴らしさや仏教美術史上の重要さはわからない。どの壁画も千仏と飛天とで、似たりよったりのように思われた。

その莫高窟にもう5日間も通い続けているという日本人に会った。日によって入れてくれる窟が違うことがあるとかで、何日も来ているのだそうだ。わかる人はわかるのである、莫高窟の素晴らしさは。

とにかく、どの窟に入ったかくらいは、はっきりさせておこうと思い、窟の番号だけはメモっておくことにする。

11時半から、3時間程休憩。午後の参観では、一般参観券の客と同じ窟も大分あったが、そこはひどい人だった。狭い窟の中に人があふれていて、ゆっくり見学できない。ガイドにはぐれぬように注意する。

4時、すべての見学が終わった。全部で27窟を見たが、階段をのぼって行くと目の前に突然大仏の顔が現われる130窟が印象に残った。壁画は余りに同じようなものをたくさん見たせいか、あまり印象に残らなかった。今度来る時は、もう少し勉強してから来るべきだと思いつつ、莫高窟を後にした。



莫高窟前の門。



このようにコンクリート(?)で固められ保存されている。



何層ものひさしがあるものは、大仏が安置された窟(だったと思う)。



莫高窟観光から帰り、敦煌の街中を歩く。遠くにかすかに砂山が見えると思う。ところで、現在の敦煌ではこんなのどかな光景は見られないと思う。



back 旅行記index top next

home