<目次>
 1.東チベットへ(このページ)
 2.アチェンガルゴンパ
 3.丹巴
 4.上海

  東チベットへ

ここのところ、8月末~9月初めころ中国へ行くことが多い感じだが、2018年も中国訪問となった。

行先は四川省の東チベットと呼ばれる地域。

ネットを色々と見ていると、ラルンガルゴンパ(ゴンパ=僧院)という場所の画像に出会った。濃いえんじ色というかくすんだ赤というか、そんな色で塗られた僧坊が山の斜面を埋め尽くしている画像だった。しかし、残念ながらここは外国人の立ち入りが禁止されておりアクセスは不可。

しかし、チベット自治区を個人で旅することが困難になった現在、中国内でチベット文化が濃厚に残されている場所で自由にある程度歩き回れる場所として東チベットはとても貴重な目的地に感じられた。

さらに調べてみると、アチェンガルゴンパというラルンガルゴンパ以上に興味深い場所を知った。尼僧院があり、何千人もの尼僧が集住しているというのだ。ところが、ここもラルンガルゴンパ同様いろいろと複雑な状況があるらしく、2019年から外国人の立ち入りが禁止されるかもしれないということであった。不正確な情報かもしれないが、確実に行けることができる現在行くべきだろうという結論に達した(尼僧の居住区は男子禁制だが、丘の上からの眺めが最高らしいのだ)。

東チベットの旅のスタート地点は四川省の成都。

中国の航空会社が日本-成都間をダイレクトで結ぶ便を飛ばしてはいたが、運賃的にはそれほど安いものではなかった。また、帰りに少しだけ上海に寄りたい。しかし、上海便はビジネス需要が多いらしくけっこう高い。そこで、日本-上海・上海-成都を往復するというスケジュールは避け、羽田-広州-成都(JALの羽田-広州便はいつも安価という印象)、成都-上海-成田というルートで航空券を確保した。


<1日目>
8時50分発にJAL便で広州へ出発。

11時50分広州到着。12時半には入国を完了して、シャトルバスで国内線ターミナルへ移動。

15時35分にCA便で成都へ向けて出発。

18時、定刻より少し早く成都到着。まず、地下鉄で茶店子バスターミナルへ移動。翌朝、ここからバスで丹巴へ移動するので、チケットを確保しておこうというわけである(当日の購入で大丈夫だとは思うが万が一ということがあるので)。

無事チケットを確保した後は、地下鉄でこの日のホテル(ミセスパンダホステル)最寄りの新南門まで移動。



ミセス・パンダ・ホステル(熊猫夫人青年旅舎)=日本で予約していった。レセプションでは若い人がテキパキと仕事をこなし、この人たちの宿泊客への対応が非常にフレンドリーでとても評判がよい(実際とても感じがよかった)。ドミトリーがあるのでバックパッカーに人気だが、自分はドミトリー宿泊という年齢でもないのでツインの部屋を選択。



<2日目>

茶店子バスターミナル。ミセス・パンダ・ホステルのすぐ隣もバスターミナルで、ここからは東チベットの入口ともいうべき康定行きのバスが出ているが、その後の移動のことを考えると丹巴へ移動した方が時間的に楽そうなので、ここからの移動を選択した。




成都を出てしばらくすると、こんな山中に入っていく。何年か前の大地震で道路が寸断されたところもあるようだ。



9時半のバスで出発、17時に丹巴到着。途中、4000mを超える場所も通ったが、高山病の症状は出ず(高地を走るバスや車にはたびたび乗っているが、自分は短い時間なら高山病の症状が出ない)。



丹巴の街。標高は2000mくらい。もう少し高いところで1泊して高所順応を図りたいところだが。




丹巴で世話になった托西卓康青年旅舎。ツインの部屋が120元。



<3日目>
この日は6時50分のガンゼ(甘孜)行のバスで移動の予定(チケットは前日購入)。
ホテル(家族経営)の人には6時半くらいにチェックアウトすると伝えていたのだが、レセプションがある1階は真っ暗で誰もおらず。

何とかスイッチを見つけて電気をつける。ガンゼ(甘孜)行のバスは1日1便しかなく、これをを逃すとえらいことになるので、ホテルの人が起きてくるのを待っているわけにもいかない。多分ホテルの人の誰かがいるはずなので、レセプションの近くの部屋をノックしてみる。すると、目をこすりながら若奥さんが起きてきた(昼間はとてもフレンドリーなのだが、寝起きは真逆-笑)。

無事、バスに乗車してこの日の移動を開始。



丹巴を出てすぐは、がけ崩れの危険を感じるほどの深い谷底を走っていたが次第にこんな場所に出て行った。また、ときどき高度をドンドン上げ、軽く4000mを超えるところを走った(高度計付きの時計で計測)。




このあたりは3000mは超えていたはず。ところで、山の斜面にカラフルな三角の模様が。何だろう?近くを走ってくれと祈る。




バスは上の写真で見た三角の模様の近くを通ってくれた。寺院があって、その裏手の山の斜面に多くの旗というか幟が立てられているのだ。旗というか幟のようなものはあちこちで見かけたが、ここまで大規模なものがあるとは!




奥に寺院が見えるので、ここは寺院を中核とする集落と思われる。




乗車したバス。川蔵運業という会社名。川は四川の川、蔵は西蔵(チベット)の蔵だと思う。




4000mを超える道を走る中国人チャリダー。



14時半ころ、カンゼ(甘孜)の街に入る手前で公安による身分証明書のチェックがあった。やはり、中国のチベット統制は厳しいようだ。

外国人の自分はパスポートをチェックされたが、公安は写真のあるページをスマホで撮影、さらに同じページを顔の下で開くように言われ、顔と一緒にスマホで撮影。スマホで記録とは。

15時少し前、カンゼのバスターミナル到着。

バスターミナルを出ると「ヤーチン(アチェンガルゴンパ)」へのタクシーの客引きがやって来た。

「100元」と言ってくる。100は高いし、この日はカンゼに泊って、アチェンガルゴンパへは乗り合いタクシーで日帰りする予定である。カンゼの標高は3200m超で、一方、アチェンガルゴンパは3800m超。アチェンガルゴンパにもホテルはあるようだが、高度が急に上がるので高山病の症状が出る恐れもあるので、カンゼ泊ということにしたのだ。(バスターミナル近くの蓮花賓館という小奇麗なホテルに泊った-2泊336元を300元にまけてくれた)



カンゼの町。




カンゼの街の市場。




カンゼの街。チベット色が濃い。




アチェンガルゴンパ(ヤーチン)やあちこちへの乗り合いタクシーが出ている幸福大酒店(黄色看板の下が車の通路になっており、その奥の広場みたいな場所に多くの車が待機している-中の写真は撮ってません)。黄色い看板の下では客引きが声をかけてくる。



泊ったホテルから街の中心までは普通のペースで歩いて20分くらい。乗り合いタクシー乗り場の確認と夕食のためホテルから2往復したが、息苦しさは感じられなかった。しかし、標高3200mを甘くみてはいけないので、それ以上あるくことはしないでおく。