元陽再訪

5日目。

7時半のチェックアウト、7時40分ころに来たバスに乗車しターミナルに移動。
しかし、乗ったバスがけっこう遠回りルートをとるものだったため、バスターミナルに着いたのは7時54分くらい。
建水に到着した日に、元陽行の便は始発が7時15分、最終が18時40分で、その間は毎時7分、58分発ということを確認しており、もしかしたら7時58分のバスに乗れるかもしれない。

チケット売り場に急ぐと、窓口の女性は「急げ」という感じだったので、乗れるのか?と思って乗り場に急ぐと、中国人乗客たちは、改札口みたいなところのテーブルで、チケットを差し出して半券を切り取られ、IDカードを提示して何やら紙片をホッチキスでとめてもらっている。自分はそれをせずに直接バスのドアのところに行ってしまったので、そのテーブルにもどると、安田大サーカスの団長をちょっとふっくらさせたようなバスの運転手(以後「団長」と記す)が、「いらない、いらない、乗って」というジェスチャー。

で、乗ると改札のテーブルの女性係員が「シャー」という。「シャー=下」は「降りろ」ということ。で、別の男性を乗せようとする。

中国語がわからないので、想像にすぎないが、「お前は保険の手続きをまだしていないので、こっちの人を乗せる。お前は降りろ」と言っていたように思う。席に余裕があれば、手続きを済ませてから乗ればよいのだが、どうも残り一席だったようで、次のバスにのるしかないかと思っていると、「団長」がその女性係員に話をして、結局乗車することができた。

しかし、昆明-建水間のバスでは乗車券のみで乗車できたので、この建水-元陽のバス乗車の際、中国人たちが行っていた手続き何なのだろうか?

バスはマイクロバスのサイズで、席は2列・1列で中央にけっこう広いスペースがある。中国の長距離バスでは座席分しか乗客を乗せてはいけないことになっており(ある意味当たり前だが、この広いスペースに風呂場で使うような椅子を並べてできるだけたくさんの客を乗せるというのが昔のやり方だった)、かなり広いスペースを残した状態で出発した。

出発したのは8時15分で、これが定刻なのか、はたまた58分発が遅れたのか、7分発が遅れたのか、それは定かでない。



バスの車内。



道路わきで手を上げて乗車を希望する人が何人もいたが、それをすべて断ってバスは元陽へ向かっていった。

しかし、元陽南沙鎮まで40kmを切ったあたりから、どうも規則が変わっているようで、どんどん客を乗せ、例の風呂場の椅子も登場した。この区間は市バスとか町内バス扱いになるのか?

途中、相互片側通行の場所があり、そこの交通整理がいい加減だったため、渋滞に巻き込まれ、通常より20分くらい余計にかかって、12時すぎに南沙バスターミナルに到着。

棚田観光の拠点は、ここから16kmくらい離れた新街鎮というところにあり、さらにバスに乗らねばならない。以前、ここへ来たときは、乗り合いタクシーの運ちゃんが現れて、強引の乗せられたが(ぼったくりではなかった)、今回はタクシーは現れず、今回はバスが必死に客を集めていた。12時10分すぎ、ある程度集まったところで出発。しかし、そのまま新街鎮への道には入っていかず、街を一回り。客集めである。

その後、ようやく新街鎮へ向かい、13時ころ新街鎮のターミナルに到着したが、到着直前にツアーの客引きがバスに乗り込んできたのには驚いた。前回はそんなことは全然なく、ホテルでツアーの車を頼まなければならなかったのに。世界遺産に指定され、大きく変化しているようだ。

客引きは、自分がこれから以降としている場所(ゲストハウスのある普高老寨)を聞くと、「現在、道路工事中のため、そこへは19時以降でなければ行けない。だからその前に観光しろ」という。う~む、よくあるパターンではないか。中国もここまで来てしまったか。ウソ情報を知らせて自分の客にしてしまおうとは。

その手は食わんよということで、その客引きを振り払ってバスを降りた。バスを降りると、またまた多くの客引きが。その一人に道路工事のことを尋ねてみると、翻訳サイトを使って、道路に何か問題があることはわかった。さっきの客引きの話はウソというわけではないのか? よくわからないので、まず腹ごしらえということで、バスターミナルの食堂に入った。



この地域でよく食べられる米粉の麺。スープはあっさり、具(何だろう?)がこおばしくて美味しかった。


      食事後、路線ミニバンを探して街中を歩いたが、「普高老寨行はないか?」と尋ねると、貸し切りを持ちかけてくる。最初のミニバンは100、次のは200。ちょっと高いが、100で手を打って、13時25分ころ出発。途中通行止めはなく、14時ころ、多衣樹展望台のところで降ろされる。ここから普高老寨まで歩けと言っている。やはり通行止めか、と思って歩いていくと工事中ではない。ミニバンに通行制限をかけているのか? しかしよくわからずじまい。

普高老寨はすぐで、宿泊予定のゲストハウスもすぐに見つかった。



ゲストハウスから少し下っていくと、こんな感じで棚田が広がっている。ゲストハウスの主人の話によると、田植えの時期を少しずつずらしているので、まだ緑色の稲、黄金色に色づいた稲があるとのこと。その色の違いがおりなす模様のようなものも美しい。







このあたりは収穫直前か?





ゲストハウス近くの棚田を見た後、ご主人お勧めの阿者科村まで行くことに。地図を書きながら懇切丁寧に行き方を説明してくれるが、「ここまで5km」とこともなげに言う。このゲストハウスに来る旅行者は基本的にハイキングする気満々で来るし、ご主人もそれを前提に観光案内をしてくれる。そして、僕も歩くこと前提で来ているので問題なしだ。

阿者科村まで(というか入り口まで)5kmということは1時間くらいの行程か?
入り口がややわかりにくいらしく、ゲストハウスの食堂にあるテレビにその場所の写真を映して説明してくれる。

空は濃い灰色の雲で覆われており、いつ降り出してもおかしくはない状況のなか、16時すぎに出発。夕暮れが迫っている時間帯と感じるかもしれないが、中国は北京時間で統一されており、日の入りは遅めなので、あまりゆっくりしすぎるか、何かアクシデントがない限り、明るいうちに戻って来られるだろう。

予定通り、17時ころ、村の入口に到着。というか迷った(入り口を通り越してかなり歩いてしまった)。せっかく写真まで見せてもらい確認したのに。
闇雲に歩くと時間ばかりかかってしまう恐れがあるので、通りがかりの車の運転手に聞いて村の入口を確認した。

このころ、ついに雨が降り出し、雨のなか、村に向かってどろどろの道を下って行った。



阿者科村への道。このように石畳の部分もあったが、ぬかるんだ道が多かった。




村の中。伝統的な住宅建築が多く残されている。




村は小さく、その外側には例によって広大な棚田が広がっている。高いところに見える家々は別の集落のもの。




阿者科村内の家。住居部分は2階というか高床になっており、下には豚や鶏といった家畜がかわれている。






写真はないが、こんな小さな集落にもゲストハウスがあった。観光開発は予想以上に進んでいるようだ。




晴れてきました。




帰り道に撮った写真(いたるところにこのような風景が広がる)。




これも帰り道に撮ったもの。形は伝統的な建築と同じだが建物自体は新しい。