<目次>
 1.岩倉使節団が見たヴェネツィアの風景を探す(このページ)
 2.ブラーノ島
 3.ヴェネツィア本島
 4.ヴェネツィア~パドヴァ~ミラノ
 5.ミラノで撮り鉄になる
 6.スタジオ・ジュゼッペ・メアッツァ再び
 

  岩倉使節団が見たヴェネツィアの風景を探す

2014年3月、1週間の日程でイタリアへ出かけた。

1週間とはいっても、行き帰りで2日とられ、さらに帰国日も観光には半日しか使えないので実質4日半しかない。かなり忙しい旅なので、旅の目的はかなり絞り込まねばならなかったが、そのなかで、最大のものは、いわゆる岩倉使節団が見た風景を見に行くことだった。

この時の旅行については、帰国後、あまり時間がたたないうちに ブログに書いた。

その後、ちゃんとした旅行記を作成しないまま9年近い年月が流れてしまったが、例によって自分のための記録として旅行記を作成することにした(2023年暮れ)。

明治の初め、岩倉具視を全権とする使節団が1年10ヶ月にわたって米欧をまわった。その目的は幕末に列強と締結した不平等条約を改正するための予備交渉であったが、これはうまくいかず、各国の制度や文物の調査をして帰国した。

この使節団の公式報告『米欧回覧実記』には、使節団が訪問した場所の風景を描いた版画が添えられている。

たまたま『米欧回覧実記』のページをめくっていたときに見つけたのが後掲のヴェネチアの風景で、岩倉らが見たのと同じ風景を眺めにいくのも面白いだろうということで、この旅を計画した。



<1日目>
まずミラノまで移動。


<2日目>
8時35分のESでミラノを出発。



ミラノ中央駅。来るたびに思うが壮麗な駅だ。




ミラノからヴェネチアへ向かう列車の車窓に広がる風景。雪山はアルプスだろうか。



11時10分、ヴェネチア・サンタ・ルチア駅到着。

ホテルのチェックインをするには早すぎる時間なので、すぐに目的の風景をめざして歩き始めた。

荷物は25リットルのデイパック一つ(その中にコンパクトに折りたたむことが出来るサブバッグ)、荷物を軽くするため、カメラはオリンパスのSTYLUS XZ-10というコンパクト・デジカメ一台のみ。このカメラ、絞りの開放値が広角側でF1.8、望遠側でF2.7で、高級機ではないコンデジとしては画期的な明るさで、それに助けられる場面もあった。



青空の下のヴェネチアはやはりフォトジェニックで、コンデジ1つでやって来たことをやや後悔したのだと思う。ただ、ホームページ用に画像は縮小したが、もとの画像の写りはそこそこ良かった。







この旅の計画をたてるきっかけとなった『米欧回覧実記』の挿絵。こんな感じの写実的なもの(銅版画)。ヴェネチアは岩倉らが訪れた当時とほとんど景色が変わっていないと思われるので、この風景は容易に見つけられると思った。おまけに挿絵には「サンタマリア」寺とあるし。



『米欧観覧実記』の挿絵の場所はすぐに見つけられた。



大運河に架かるアカデミア橋からの眺め。これだと『米欧回覧実記』の挿絵と少し構図が異なる。




挿絵とほぼ同じ構図で写真を撮った。左側の建物の日よけ部分まで挿絵と一緒だ。




実は『米欧回覧実記』には細い運河の挿絵も収められているのだけれど、それと同じ風景は見つけられなかった。



ホテルのチェックイン時間までの間、印象的な風景を求めてヴェネチア本島の路地を歩いた。

昼食は例によって切り売りのピザ。






持って行ったコンデジはセンサーのサイズは小さいものの、明るいレンズでF値(絞り値)を低く設定でき、望遠で撮ると背景がそれなりにボケるというので、試しに撮ってみた。






















中央の建物はカ・ドーロ。1440年に完成したヴェネチアン・ゴシック建築。フランケッティ美術館として一般に公開されているようだが、この旅では建物や風景を眺めることに専念していたので、入館しなかった。




路地の奥まった場所にある、この時泊ったホテル。前回、ヴェネチアを訪れた時に見つけたホテルで運河に面した部屋があるホテルとしては格安だった。




部屋の窓から乗り出して運河を撮ってみた。




リヤルト橋。明るいレンズに助けられて何とか撮ることが出来た。ちなみにISO640、F1.8、シャッタースピード1/30秒。




リヤルト橋からの眺め。ISO800、F1.8、シャッタースピード1/10秒。




リヤルト橋からの眺め。ISO1250、F2.5、シャッタースピード1/20秒。




ホテルに戻ってきた。




泊った部屋。しかし、安いのはよいが、古い建物内部を薄い壁で間仕切りして部屋数を確保しているのか、隣の部屋の話し声がまる聞こえ。