ちょっとだけローマ散歩

早くも帰国の途につく日になってしまった。



フィレンツェのホテル。ホテルを出る前に撮ったものだが、天井の造りがむき出しになっていて面白かったから撮ったのか? 古い建物を利用したホテルだったと思うが。



9時頃ホテルをチェックアウト。

前日までとはうって変わって、冷たい雨が降っていた。

9時40分発のESで出発。

11時20分ころローマ着。

駅の荷物一時預かりに荷物をあずけてから、地下鉄・バス一日券を購入してローマ市内観光へでかけた。17時くらいにはローマテルミニから空港に向けて出発しなければならないのだが(帰国便は20時くらいの出発だったか?)、1日券がかなり割安だったので利用したのだと思う。

まず、向かったのがスペイン広場。



スペイン広場を後にしてから撮った写真(だと思う)。一応、スペイン階段はのぼったと思うが、写真は撮らなかった。



スペイン広場の近くで軽い昼食をとった後、ポポロ広場へ。



ポポロ広場からピンチョの丘に登り広場を見下ろす。遠くに見える大きな建物はサン・ピエトロ大聖堂(だと思う)。




ポポロ広場。周囲にはスフィンクスがある。




ポポロ広場。オベリスクと”双子教会”。ところで、ポポロ広場はローマの北の入口にあたる場所で、ポポロ門なるものがあるのだが、この時は例によって予習をしておらず、写真を撮らずに、ここを後にしてしまった。



ところで、この旅行記の作成中、ポポロ広場のオベリスクがちょっと気になったので検索してみると『世界のオべリス』なるページがあった(本家エジプトに残るものと世界各地に残るオベリスクを現地まで行ってみて来たというなかなかすごいページです)。それによると、ポポロ広場のオベリスクは、ラムセス2世がエジプト・ヘリオポリスの太陽神殿に立てたもので、初代ローマ皇帝アウグストゥスが持ち出したもので(当時、エジプトはローマ領になっていた)、ローマに運ばれた後、チルコ・マッシモに建てられ、その後、倒れて地中に埋まっていたものが16世紀後半に発見され、教皇シクストゥス5世によってポポロ広場に建てられたとのこと。何とも壮大な歴史を背景に持つ遺産だ。ちなみにローマには13本のオベリスクがあり、うち7本がエジプトから持ち出されたもの(他は古代ローマ人による模造品)。





どこの国でも似たような落書きというかいたずらをするのだなと思う。




地下鉄で、ポポロ広場最寄りのフラミニオからチルコ・マッシモへ移動。ポポロ広場に立っているオベリスクが最初建てられた場所ということはまったく知らず、ただ何となく向かっただけです。




チルコ・マッシモ。ローマ時代の競技場跡。馬が引く戦車競技が催されたとか。




チルコ・マッシモから古代ローマ共和政期の高級住宅地だったパラティーノの丘を望む。



チルコ・マッシモの芝生でしばしたたずんだ後はパラティーノの丘に入場。例によって何も下調べをしていないので適当に歩く。



1世紀末、ドミティアヌス帝の時代に建設されたスタディオ(競技場とも庭園ともいわれているとか)。何も調べていなかったので、見たときは「おおっ」と思っただけ(笑)。




パラティーノの丘からチルコ・マッシモを望む。




どのあたりをどのように歩いたのかまったくわかりません。










向こうに見える巨大建造物はコロッセオ。




パラティーノの丘の端からコロッセオを望む。



時間がないので、フォロ・ロマーノやコロッセオの見物はせずにコロッセオ駅から地下鉄に乗車。

しかし、テルミニ駅までは乗らず一つ手前の駅で下車して歩いた(たった一駅だけ乗車したということ)。まだ少し時間に余裕があり、ローマの街をまだ歩き足りなかったからだと思う。

終わり。