ツァールスコエ・セロー
サンクトペテルブルクに戻ってきた2日目、同市から南へ25キロのところにある、ツァールスコエ・セローへ行くことにした。
ツァールスコエ・セローとは「皇帝の村」を意味し、ここの目玉はエカテリーナ宮殿である。
この宮殿は、1724年、ピョートル大帝の妃、エカテリーナ1世のために建設されたことに始まる。18世紀末、日本の漂流民大黒屋光太夫がエカテリーナ2世に拝謁したとされる宮殿としても知られるが、『歩き方』によれば、壁一面が琥珀のパネルで覆われている通称「琥珀の間」が注目を集め、夏場の観光シーズンには大混雑するという。
さて、ツァールスコエ・セローへの行き方だが、『歩き方』によれば、地下鉄でモスコフスカヤまで行き、そこからマルシュルートカ(ルートの決まった乗り合いタクシーの大きなやつというべきか?)に乗り換えるということになっている。『歩き方』にツァールスコエ・セローへ行くマルシュルートカの番号が載せられているのがありがたい。
モスコフスカヤ駅近くの広場に立つレーニン像。その向こうに建つ無骨な建物も旧ソ連っぽさをかもし出している。めざすマルシュルートカ乗り場はすぐに見つかった。 |
9時20分ころホテルを出て、10時50分ころツァールスコエ・セローに到着。順調である。
しかし、エカテリーナ宮殿前には長蛇の列。列につくべきか悩みながら、雨のなか、まず庭園を散歩。散歩しているうちに、列が若干短くなったので、並ぶことに。
エカテリーナ宮殿。 |
エカテリーナ宮殿の庭園。 |
並ぶこと1時間あまり、ようやく入館することができた。自由見学はできず、ロシア語のガイドに案内されて回るという形態だ。
床を汚さないためか、それとも傷つけないためか、入り口のところで、靴を覆うカバーを着けさせられる。 |
宮殿内の一室。 |
たまたま写っていた琥珀の間(だと思う)。琥珀の間の琥珀は第二次世界大戦中、ドイツ軍に持ち去られて行方不明となっていたが、2003年に復元されたとのこと。写真禁止だが、隣の部屋から何の気なしに撮った写真が琥珀の間だった(時間がたちすぎて忘れてしまいました)。 |
宮殿内の見学は30分で終了。宮殿内のカフェテリアで遅めの昼食をとって、サンクトペテルブルクへ戻る。
ロシアも日本食ブーム。どんな味か興味があったので、サンクトペテルブルク最後の夕食は日本食レストランで(写真はアボカド巻き)。 |
8月も後半だが、サンクトペテルブルクの日は長い。夕食後、徒歩でエルミタージュ界隈まで歩いた。写真中央はイサク聖堂。サンクトペテルブルク最大の観光スポットの一つらしいが、キジ島の木造教会の見物という最大の目的を達してしまったため、観光意欲がわかず、遠くから眺めるだけで終了。 |
ホテルの部屋からの夕景。西日が入ってけっこう暑かったのだが(冷房はなし)、ネヴァ川側の部屋を確保しておいてよかった。ひときわ高い尖塔は、ペトロパヴロフスク聖堂(だと思う)。 |
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