チェンナイ、マハーバリプラム <3月11日(7日目)>8時45分発のチェンナイ行きの便に乗るため、6時45分ころチェックアウト。ホテル所属(?)のタクシーで空港まで行った(所要20分、料金は150ルピー)。 チェックインカウンターでは例にやはり非常に感じのよい応対。以前にも書いたかもしれないが(読み返していないので分かりません)、インドの国内線のチェックインカウンターにおける外国人への応対はたいへん丁寧かつフレンドリーで非常によい印象をもっている。2004年春、そして今回と利用した会社はジェット・エアウェイズという会社なのだが、素っ気の無い機械的対応をされたことがない。
飛行機は定刻通りの9時45分チェンナイに到着。前回といい、今回といい非常に安定した運航だった。インドの航空会社が急速によくなっているのか、それとも僕の運が良かっただけなのか。 空港からはプリペイド・タクシーでエグ・モア駅まで移動した(料金230ルピー)。途中渋滞していたこともあり、約1時間を要して11時少し前に到着。あいにくの雨で、駅舎で小降りになるのを待った。 さて、本日のホテル選びである。旅の最後は豪華にとも思ったが、高級ホテルはどうも移動の便の悪いところにある。ということで、結局は中級ホテルを選択。1泊1000ルピーあまり。南インドでは24時間制のホテル(チェックイン時間から24時間が1泊の料金)が多いということだが、今回初めての24時間制ホテルである。 フロントの若いお兄ちゃんはなかなかフレンドリーな感じでよかったが、部屋はなんとなくジトッとしており、ゴキちゃんが1匹(これを退治したあとは登場しなかった)。また、中通りに面していて人々のざわめきが聞こえる部屋だった。「変えてくれ」と言おうかとも思ったが、旅の最後、窓の下のインドを感じるのも悪くはあるまいと考え直して、変更はお願いしなかった。 雨がやんだので、昼食を取りがてら徒歩圏内にあるタミルナードゥ州立博物館へ。しかし、ホテルを出るとたちまち一人の物乞いの女性につかまった。たくさんの物乞いがワッよってくるという感じではなかったので小銭でもと思ったが、あいにく持ち合わせがなかった。「この通りはまた歩くだろうから、そのときにでも」と思って、彼女をふりきって大きな通りにでた。 大きな通りは奇麗に舗装されているが、日本のように道路の端から端までビシッと舗装されているわけではなく、路肩の部分が土である。それが巻き起こす砂埃、街自体の汚れもあって、ちょっと歩くとシャツの首周りが真っ黒になる。 州立博物館前で昼食(チキン・ミールス=60ルピー)を食べてから入館。南インド各地の遺跡から集められた石のレリーフ、石像などなかなかの展示。 さて、チェンナイ(もとマドラス)は、タミルナードゥ州の州都で人口600万人以上の大都市である。イギリスの植民地時代は、ここがイギリスの南インド支配の拠点となった。しかし、これといって見たいと思うものがなく、近郊にある世界遺産に登録されている海岸寺院で有名なマハーバリプラムに泊ろうとさえ思っていた。ただ、ここはインドである。何があるかわからない。帰国便を逃してはいけないので、もっとも確実に空港へ行けるであろうチェンナイを最終宿泊地とした。というわけで、観光意欲というものがまったくわかないのだが、イギリス植民地時代の建物でも見に行こうということにした。 イギリス植民地時代にマドラス港に出入りする商船相手に商売するインド人たちがつくったジョージタウンという街に、1892年に建設された高等裁判所のビルがあり、イスラーム風の建築が面白そうなので行ってみることにした。博物館前からオートリキシャーで40ルピー。ドライバーはそのあとも彼のリキシャーで観光しろとうるさかったが、ハイコート(高等裁判所)でそのリキシャーは捨てることにした。
ハイコートを出たあとは、地図を頼りにセント・ジョージ・フォート(砦)へ向かった。イギリス東インド会社の商館の防衛を目的の作られた砦である。しかし、今は当時の様子をとどめるものは少ないようである。 ハイコートから中央駅方面へ戻るところに、フォート駅があり、そこからセント・ジョージ・フォートに行けるだろうと思って適当に歩いていくと、どうやらそこはインド軍の施設で入ってはいけないような雰囲気。しかし、ここで来た道を戻るのももったいないので、だめもとで警備の兵士みたいな人に道の向こうを指差して「セント・ジョージ・フォート?」と尋ねると、行っていいと言う。よかった戻らずに済んだ。歩いていくと、昔の城砦の雰囲気を残す門のようなものもあってカメラを取り出したい衝動に駆られたが、何せ軍の施設である。見咎められて、デジカメの全データ消去となるかもしれない。もしくはフィルム没収となるかもしれない。そういう危ない橋は渡れないので、写真は我慢して、フォート内の要塞博物館をめざすことにした。ようやく博物館に着き、中を見学するが、たいした展示物はなし。インド初の教会だったらしいセント・メアリー教会という教会も普通の教会の建物だし。強い日差しをうけながら歩いたので疲労感が倍増した。 さらに地図を見ると砦の南西側から出られれば中央駅は割と近いと思ってそちらへ歩いていくと、軍人さんに呼び止められ、通り抜け出来ないと言われる。結局、砦の西側にある出入り口から出るしかないことがわかった。 ここでリキシャーでも拾っておけばよかったものを、中央駅まではたいした距離ではないだろうと歩き出したのが失敗だった。知らない街は歩いてこそ街の感じが把握できると思っていたからなのだが、チェンナイの街はちょっとスケールが大きすぎた。たぶん30分くらいで着いたと思うが、西に傾きかけてはいたが、やはり南インドの日差しは強烈だった。水も持たずに歩いたことも失敗だった。中央駅に着くころにはヘロヘロだった。 中央駅に着くとすぐに水を買って、駅舎で行きかうインド人を見ながら一休み。そうしていると、あやしげな男性が声をかけてきた。「すりにあってすべてとられてしまった。助けてくれないか」間違いなく詐欺である。「すみません。僕には助けられません」と答えると、あっさり引き下がった。
疲れたので、夕食は辛さに耐えなくてもよい料理をと思って、ガイドブックで旨いということになっているアンナ・サライの通り(マウントロード)に近いところにある中華料理屋へ行こうかと思って、駅前からバスにのった。乗車後、すぐに車掌のおじさんに行き先をつげると「OK」という顔して「2ルピー」という答えが返ってきた。停留所に着いたら教えてもらおうと思いながら乗車していたが、どうもバスは中心部を離れて海の方へ行くではないか。それで車掌のおじさんにたずねると、「聞き違えた」というではないか。オートリキシャーをひろって自分がわかるところまで行けば何とでもなるのだが、そのおじさん親切にも、バスで行けるようにとりはからってくれるというではないか。あまり信用できないが、面白そうなので、彼のいわれるまま行くことにした。 彼の乗車するバスが動きだした。しばらく乗っていると「この道をいくと」僕のめざすアンナ・サライだと指差して教えてくれた。しかし、言葉が通じないのではっきりとはわからない。「ここで降りろ」といわれるまま降りたが、そのまま歩いていくとさらに迷う可能性がある。ということで、近くで道を尋ねることにした。英語の話せる人を探して尋ねるとアンナ・サライはやはりすぐ先であった。 しかし、そこからまたミスってしまった。アンナ・サライに出てまたバスにのり、めざす中華料理レストランの近くで降りたのはいいが、そのレストランを見逃してしまったらしい。ここでインド料理で手をうっておけばよかったものを、頭のなかは「中華、中華」で一杯。疲労から思考力がかなり低下していたようだ。しかし、疲労の割りに歩けてしまう体力。それがさらに状況を悪化させた。 結局そこから30分以上も歩いて、着いたのはタージ・コロマン・ホテルという最高級ホテル。そこの中華レストランに入り旨い中華を食べてめでたしめでたしとはならなかった。食事の途中から急に吐き気をもよおし最悪。ホテルのトラベル・デスクでタクシーをお願いして、これでエグ・モア駅のそばにある僕のホテルに帰ることにした。料金は10ドルとインドにしては破格のものだったが、車は実にきれいなもので、運転手も教育が行き届いており、急アクセル、急ブレーキはなし。そして特筆すべきは、クラクションをほとんどならさなかったことである。ただ、車のエアコンは効きすぎであった。運転手は寒くないのだろうか? ホテルの部屋に戻ると、抑えきれない嘔吐に襲われた。900ルピー(約2700円)の夕食はすべて吐き出してしまった。ちょっと無理をしすぎたな、と思った。 <3月12日(8日目)> この日の深夜、チェンナイを出発である。腹具合はやや不安だが、当初の予定通り、マハーバリプラムへ出かけた。 まず駅からバスターミナルまでオートリキシャーで移動し(100ルピー)、そこからおんぼろバスに揺られること約2時間10分(20ルピー)、11時少し前、めざすマハーバリプラムに到着。まず海岸寺院へ向かった。
|