マクタール <4日目(8月19日)>9時すぎチェックアウト。この日は満室ということなのでホテルを移り、荷物を置いてすぐルアージュステーションへ向かった。なるべく早くルアージュをつかまえなくてはならない。今日行く予定のマクタールへの交通の便がかなり悪そうなのだ。 9時半ころルアージュステーション到着。運良くマクタール行きのルアージュは、すぐに客席が埋まり、9時40分には出発した。 マクタールは標高1000m近い高原に位置する古代都市であり、さわやかな風に期待できそうである。古くはマクタリスとよばれ、紀元前2世紀にヌミディア王国が築いた砦に起源がある。1世紀には、チュニジアの他の遺跡同様ローマ人の支配下に入り、2世紀後半に大都市に発展した。現在見られる遺跡の建造物は、その2世紀に築かれたものがほとんどということである。 11時10分ころマクタール到着。小さな街に隣接して遺跡はあった。
12時15分ころ遺跡をあとにした。すぐにケロアンにもどって街歩きをしたいが、そうそう順調に旅程はこなせなかった。ケロアンへ向かうルアージュがないのだ。バスは夕方までないというし。。。
ルアージュがいつ突然やってきて、あっという間に客が集まって出発するかわからないので、ルアージュの出る一角で、チョコレート菓子をかじりながら、ひたすらルアージュが来るのをまった。車が来るたびに「ケロアン?」といって尋ねるが、いずれも答えは「ノン」だった。 そうこうしているうちに客待ちをしている、スース行きらしいルアージュの客のおじいさんが、「ベトナム人か?」と尋ねてきた。「日本人だ」というと、話はそこで終わり、「ケロアンまで10だ」とやたら高い金額を言ってきた。来るときは5デイナールで来たから、とんでもない金額だ。「このおっさんドライバーとグルになってぼったくろうとしているのか?」と思い、「ノー」と答えた。 その車のそばを離れまた待った。2時間半くらいたって、さっきのじいさんが乗っている車からまた声をかけられた。今度はケロアンまで「6」で行くといっている。どうやら客がまったく集まらないので、料金をさげてきたらしい。6なら乗るしかあるまい。交渉成立である。 14時半、ようやくマクタールを出発。さっきのじいさんの話をよく聞くと、彼はベトナムでフランス軍に従軍したらしい。どの時期にどのようにベトナム戦争に関わったのか気になったが言葉の問題もあって聞くことはできなかった。
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