ツアーを終えた我々は、まず、駅前のAVENIDAというホテルへ移った。シングル1泊が20ボリビアーノ(1ドル=100円強=8ボリビアーノだから約250円)。もちろんシャワー・トイレは共同だが、部屋はけっこう奇麗である。

それから預けてあったYの荷物を受け取るのと、ウユニからのチケットの受け取りを兼ねて、MAGIA HOTELへ行った。チケットは届けられておらず、どうやら翌日にならないと入手できないようだ。



バックパッカー御用達の安宿、ホテル・アヴェニーダ。



日曜日のこの日は、路上に市がたっていた。


3月7日、ウユニを出発する日がやってきた(厳密には8日に入った深夜出発の予定)。しかし、どうも鉄道が運行されていないようだ。反政府勢力が鉄道の運行を阻止しているのだろうか?

鉄道がだめならば、夜行バスということになるが、こちらもラパスまで行けるのかどうかが不透明である。

朝食後、チケットを受け取るため、また、HOTEL MAGIAへ向かう。自分で購入した方が手っ取り早いのだが、すでに日本の旅行社にチケット代を払っているので、こちらの旅行代理店に任せるしかない。

ホテルへやってきた旅行社の人の話によると、バスの通る道は警察などが確保しているから大丈夫とのこと。また、一応鉄道のチケットということで契約しているからか(鉄道の方がバスより若干高い。鉄道が駄目な場合バスでも可という契約である)、鉄道の方ももう一度確認してみるとのことである。ということで、この時はチケットを受け取れず、「3時に渡す」とのこと。

しかし、やはりバスは不安である。9日ラパスを出ることになっているので、道が封鎖されていて、どこかで足止めをくらったら困る。空港とラパス市内の道路は正常に機能しているようなので、空路ラパスに入ることはできないか、と考えた。そこでAERO SUR(アエロスール)という航空会社の事務所へ行ってみたが、ウユニ発の便は運行されておらず、空路ラパスに入るには、陸路スクレまで移動して、スクレから飛行機に乗るしかないとのことだった。そこで、旅行社へ行き、スクレまでの4駆の料金を尋ねた。曰く「ポトシまでならば行ってもいい。ポトシからスクレまではバスが頻発しているから大丈夫」4駆のチャーター料金は200ドル。なかなかすごい道を走るらしいので景色も期待できる。一応、交渉が成立して、再びアエロ・スールに行ってみると翌日のスクレ発ラパス行きは満席とのこと。バスでのラパス行き決定である。

バスの出発は20時。19時ころチェックアウトして、バスターミナルへ向かった。並んでいるバスは、どれもややくたびれており、乗り心地は期待できない。

20時、ほとんど定刻に我々を乗せたオルーロ行きのバスが出発(オルーロでラパス行きに乗り換えることになっている)。出発してしばらくたつと、かなり激しい、小刻みの振動が襲ってきた。こういう悪路の夜行バスは、イランからパキスタンへ抜けたとき以来であろうか。

やがて激しい振動はおさまったが、まっ暗でよく見えないものの、そとは砂埃がもうもうと立ち込めており、ほとんど砂漠のなかを走っているという感じである。深夜、トイレ休憩のため停車したが、地面の表面には非常に細かい砂が積もったようになっていた。沿道にドライブインとか食堂とかいった気の利いたものはなく、トイレもバスの回りで思い思いに済ますというものだった。暗闇がなければ、女性にとってトイレタイムはきついものになることが予想され、この区間に夜行バスしか運行されていないのは、案外合理的なのかとも思う。

3時半ころ、オルーロ到着。ラパス行きのバスに乗り換えである。ラパス行きと記されたチケットをバス会社の人に渡し、新たにラパス行きのチケットをもらうという仕組みだった。

4時、ラパス行きのバスが出発。こちらはけっこう小奇麗なバスだった。しかし、かなり冷え込んでいるのに暖房をいれないのはさっきまでのバスと一緒である。寒い。

7時ころ、明らかにラパスまではまだかなりありそうとわかるところでバスは停まった。乗務員に促されるまま、乗客たちは降りていく。どうやら、このバスはラパス市内までは行けないようだ。ラパスまで何キロあるのだろうか。同乗の日本人は一度、同じような状況にあったらしく、「ここからラパスまで歩くと5~6時間かかりますよ」と言っている。

他の乗客同様、ラパス方面へ向かって歩き出すが、反政府勢力の人間が通行人に攻撃をしないのだろうかと不安になる。しかし、それはなさそうな雰囲気だった。適当なところで車がつかまればよいが、高い金額をふっかけてくるのだろうなあ、などと考えながらとにかく歩いた。



ラパス方面へ向かって歩く人々。道路に石が置かれているのが見えるが、反政府勢力の人間たちが、あちこちこのように石をおいて交通を遮断している。石自体はよければ車が通れるが、石は「通るな」という意思表示のようなもので、強硬突破をはかろうとすると危険なめにあうのだろうと思う。夜明け前ならば強行突破しても、反政府勢力が寝ているので攻撃される可能性が少ないらしく、事実、ウユニで同じツアーに参加した日本人はラパスを朝5時のバスで出てきたと言っていた。


1時間くらい歩くと、ちょっとした街場に出た。路線バスなどもやってきており、どうやら反政府勢力の封鎖ラインを越えたようである。運良く1台のタクシーがやってきたので、ラパスまでの料金を聞くと「50ボリアーノ」だという。「50ドル」ではない。完全にぼったくりタクシーが登場するシチュエーションだが、そうではなかった。 乗客はボリビア人2人、同じバスに乗っていた日本人2人と我々の計6人。日本人分が「50」である。



サンフランシスコ寺院前の広場。




サガルナガ通り。



インディヘナの民芸品を売る店々。



ミラドール・キリキリから望むラパスの街。すり鉢状の地形の上に街が広がっている。標高の低いところが街の中心。高地のここでは「山の手」は高級住宅街ではない。



急に曇ってきた。雨季の晴れ間もそろそろ終わりか?


いつもの旅行記ならば、これで「完」というところだが、今回の旅行は最後にハプニングが待っていた。ラパスからアメリカン航空の便でアメリカのマイアミに飛び、そこからアメリカン航空のロサンゼルス行きの便に乗り継いだのだが、その飛行機のトイレへ水を供給するパイプが壊れて、機内の床が水浸しになってしまったのである。飛行機はダラスに緊急着陸となり、そこから先のフライトはキャンセル。翌日、ロサンゼルス発の便に乗らなければならない僕は焦った。

何度も何度も機内放送があり、このと次第はだいたいつかめていたが、言葉の問題があり詳細がわからない。マイアミ-ロサンゼルス便はほぼ満席で、どうもアメリカの国内線はけっこう混雑しているらしかった。もし、ダラスから他社便への振り替えが行われた場合、“英語の堪能な”現地人と空席を争うのは厳しそうだった。そこでダラスに着くと、客室乗務員に「英語がだめで、現状が全然把握できない」と、いつもより以上の片仮名英語で伝えた。これで、少しは気に止めてもらえただろう。

しかし、幸い、ダラスで代替の機材が確保されて、ことなきを得た。(完)



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