コルカタ(カルカッタ)

9日朝、ダージリンに来たときに車が着いたタクシー会社へ向かった。予約なしで乗れるのだろうかという不安がなかったわけではないが、タクシー会社はほかにもあるようなので、何とかなるだろうとの判断だ。

「バグドグラ空港に行きたい」
「いつだ」
 「今だ」
「700だ」

何の問題もなくバグドグラ行きの車が確保できた。料金は来た時よりも安い700。しかし、車は立派なジープ。車がよくなって、料金は90も安い。いったいどういうことなのか、と思ったが、この車、途中で同じ方向の客がいたら乗せる、半乗り合いとでもいうもので、そのため安かったようだ。

出発したあと、タクシー会社の都合でダージリンの街中で他の車に乗り換えるということがあって、あとで余計な金を要求されやしないかと若干心配したが、空港に到着すると、運転手はニコニコしながらグッバイというだけ。何事もなくダージリン旅行完了。

さて、これからコルカタへ戻るわけだが、コルカタにはあまり見たいものはない。それで、ブッダが悟りを開いたという仏教の聖地ブッダ・ガヤーか、ベンガル湾が眺められ、かつ近郊のコナーラクに巨大遺跡のあるプリーに何とか行けないものかと考えた。

コルカタ出発は12日の昼過ぎなので、最悪12日朝にコルカタへ戻ってくればよいのだが、何かアクシデントがあったらおしまいである。おまけにここはインドだ。何かのアクシデントが起こる確率も低くはない。そこで浮かび上がってきたのが、夜行列車でプリーに出て、プリーで1日をすごし、再び夜行列車に乗り、11日朝にコルカタに戻ってくるという強行旅程だ。これだと、列車が遅れに遅れても、帰りの飛行機に乗れないということはあるまい。問題は寝台券がとれるかどうかだが、コルカタの国内線ターミナルにインド国鉄のチケット売り場があって、窓口はあまり混んでいないということを、コルカタ到着日に確認してある。長~い行列に並ぶ必要はなく、寝台に空きがあれば、比較的容易にチケットは買えるはずである。往復のチケットが確保できたらプリー行きを強行する。往復のどちらか片方でもとれなければ、おとなしくコルカタで残りの日程をすごす。そう決めた。

しかし、残念ながらというべきか、幸いというべきか、日曜のこの日、コルカタ空港の国鉄窓口は休みであった。旅の終わりはコルカタでだらだらとすごすことに決定だ。

コルカタの街へはプリペイド・タクシーで出てもよいが、それではあまり面白くないので、ダムダムというコルカタ地下鉄の空港に一番近い駅まで行くことにした。

プリペイド・タクシーの窓口で、ダムダムまでのチケット(110ルピー)を買い空港ビルの外に出ると、たちまちタクシーの客引きが寄ってきた。プリペイド・タクシーは車自体は街中を走っているタクシーで、列をつくって客を待っているのだが、それとは違う白タクのようなものもあって、その客引きが「こっちがプリペイドだよ」といいながら寄ってくる。まったく油断ならない。

列を作っている本物のプリペイドタクシーに乗り込み、ダムダムまでのチケットを渡すと、「なんだダムダムまでか」という、運転手の若干不満げな態度。
車はほとんど無秩序といってよい道路をダムダムへ向けて走った。所用20分くらい。
ダムダムは地下鉄の終着駅という情報しかなかったのだが、着いてみると鉄道のカルカッタ近郊線との乗り換え駅という役割も担っていた。ちょっと迷いながら地下鉄(ここダムダム駅は地上にある)に出ると、子供の物乞いに取り囲まれた。「インドに来たなあ」とこの時初めて実感した。ダージリンにも物乞いはいたが、それほど目立たなかった。

地下鉄はインドの物価からみるとけっこう高い料金設定になっていて、ダムダムからマイダンまで乗って8ルピー(最低料金は4ルピー)。

コルカタにはサダルストリートという安宿街があるが、今回は安宿には泊らない方針。一泊40ドルくらいの、冷房が効いていて、24時間お湯が使える、結構よいレベルのホテルに投宿。

翌10日。コルカタ郊外のドッキネッショル寺院というヒンドゥー寺院へ行った。

まず、地下鉄でダムダムへ出て、そこからオートリキシャーで行くことにしたのだが、オートリキシャーの相場がわからない。そもそもダムダムからドッキネッショル寺院までの距離というものがわからないから、リキシャーの運転手の言う料金が高いのか安いのかという自分なりの判断すらできないのだ。インドにおいて、これは確実にぼったくられるパターンなのだが、幸いにして、ダムダムのオートリキシャー乗り場は、同じ方向の人たちが相乗りして乗っていくようになっており、料金交渉は同乗の地元の人たちの前で行うことができた。ドッキネッショルはかなり遠いらしく、地元の人に尋ねると、バスで行けと言われたが、オートリキシャーのドライバーに聞くと、「70」という答え。ちょっと高いかもと思ったので、一応「50」と言ってみたが、あっさり駄目と言われて、他の客を乗せて出て行ってしまいそうだったので、「OK」と言って乗り込んだ。オートリキシャーの数が意外と少なく、完全に売り手市場だ。同乗の客は近くの客ばかりで、10分くらい走ると客は僕だけになった。結局、ドッキネッショルまでは20分を要した。



ドッキネッショル寺院の門前。




ドッキネッショル寺院の回廊というか周囲の建物。




ドッキネッショル寺院の回廊のなか。インドでは寺院に入るには(建物内に入るのではなくても)靴を脱がないといけないのだが、コルカタの日中の気温は30度を越え、裸足の足裏はけっこう熱かった。西洋人観光客のなかには、汚れてもよい靴下を履いて歩いている人がいた(それを案内するインド人ガイドも靴下を着用していた)。スレイマニエ・モスクで出会った猫。



寺院のすぐ横にはフーグリー川が流れ、小さいながらガートがあって、インド人たちが沐浴をしており、よい被写体なのだが、その向こうには撮影がご法度の鉄橋があり、カメラを取り出すのは自粛。

寺院の横に広がる公園の木陰で、しばらくボーっとしてからコルカタ市内に戻ることにした。

再びオートリキシャーでダムダムまで出て、コルカタ市内に戻るという手もあるが、ドッキネッショル駅があって、ここからコルカタのシアルダー駅まで行けそうである。

駅舎はドッキネッショル寺院と同じ形の凝った建物だったが、残念ながら撮影禁止である。13時過ぎ駅舎に着いたが、うまいぐあいに13時半のシアルダー行きがあった。2等列車しかないようで、料金は6ルピー。

定刻より少し遅れてきた列車はすごいものであった。
どうすごいのか説明が難しいが、日本の貨物車両を思い浮かべてもらいたい。その貨物車両に鉄格子つき窓と(インドの鉄道の窓には横向きに鉄棒が何本かはめてある)と出入り口があって(引き戸タイプのドアがあるようだがあいたまま)、中にボックス型の木製の席があるところと、中央に広大なスペースがあって、その両側に進行方向と並行にお見合い型の席があるところとがある。線路幅が広いので、車両の幅は新幹線くらいはある。床も壁も鉄。つり革まで鉄だ。もちろん錆びている。広大なスペースがあるところは、ほとんど貨物車、もしくは家畜運搬車といった感じである。

たまたま乗り込んだ車両では、なにやらインド音楽が演奏されており、客にチップを求めていた。素直に払うインド人もいれば払わない人もいた。チップ回集役は僕のところへもやって来たが、インド人たちがせいぜい1ルピーコインをだしているにすぎないのに、僕には「10」といってきた。もとより払う気はまったくない。ちょうどダムダム駅に着いたので車両をかえた。

ダムダムで降りて地下鉄で帰るという選択肢もなくはなかったが、シアルダー駅も見ておきたい。こちらはコルカタの表玄関の駅ではなく、近郊線の発着が多いので、よりコルカタの庶民の様子が見られると思った。

シアルダー駅はゴチャゴチャとしていた。そして切符売り場には長蛇の列。市の中心部まではけっこう距離がありそうだが、歩くことにした。

シアルダー駅からは、街一番の繁華街チョーロンギー通りに出て、そこからずっと南下して、有名なサダル・ストリートへ行った。どんなところか見たかったというのもあるが、サダル近辺にインターネットができる場所があるに違いないと思った。

安宿街ということだが、通りに面してずっとホテルが並んでいるというほどでもなかった。SHILTONとかHILSONとか、「HILTONの名前をもじってつけました」というホテルがあるのが笑える。

ネットの方であるが、予想通りすぐに見つけられた。道路に日本語で「速い」という看板を出している店があったが、あいにく席がふさがっていたので、夕食がてらまた来ることにする。
翌11日。インド皇帝を兼ねていたヴィクトリア女王を記念して建てられたヴィクトリア記念堂を見てから、インド博物館へ行った。石彫がなかなか素晴らしかった。

昼はいったんホテルへ戻り、しばらく休んだ後、周囲にイギリス統治時代の建物が多く残るBBDバーグ(ダルハウジー広場)へ行った。これをもってコルカタ観光は終了。



コルカタの街。奥に見える建物はモスク。




インド博物館の展示。彫刻の展示には見るべきものが多い。この時はカメラ持ち込み料を払うと写真撮影可だった。




コルカタ市内を走るバス。



一つ上の写真を拡大してみた。「HORN  DANGER PLEASE」の表示に注目。「このバス自分勝手な運転をして危険につき、危ないときはクラクションを鳴らしてください」という意味だと思う(インド人の運転を見ているとそう感じる)。クラクションを鳴らしまくるのはどうやらインドの運転のマナーらしい。とにかく、インド人の運転の荒っぽさはすごい。バグドグラ-ダージリン間は肝を冷やしっ放しだった。




バスの後ろの赤レンガは、東インド会社の社宅だった建物。西ベンガル州政府の官庁が入っていて、建物の前は警察の厳重な警備。写真を撮ろうとすると「ダメ」というジェスチャー。仕方がないので、少し離れて撮影。



<インドの空港のセキュリティ・チェック>
コルカタ出発の際、この旅3度目の厳重なセキュリティ・チェックを受けることとなった。どう厳重かというと次の通りである。

機内持ち込みの手荷物のエックス線検査を受けるまでは通常の検査と同じ。そのあと、エックス線検査の結果如何に関わらず、係官がすべての客の荷物の中味をすべて出して、ひとつひとつチェック。この際、なぜかスペアの電池が没収された。まったく理解できない。カメラなどに入っている電池は問題なしなのだが。いったい何を心配しての没収なのか(ガイドブックには預けるだけで到着地で返してもらえると書いてあったが)。香取線香の点火用に持っていったライターも没収。こちらは火気厳禁ということでわからないこともないが。

チェックが終わると手荷物につけた札にスタンプが押され、次のチェックポイントで、スタンプの有無の確認。さらに、搭乗する際、再び荷物を開いてチェック。こんどは何となく形だけに近い。こんな検査を3回も受けたわけだが、時節柄仕方がないことなのかもしれない。

<インドのクリケット熱>
インドでは国民の間にクリケットがすごく浸透している。クリケットの選手を起用したテレビコマーシャルもあったし、クリケットのバットというのであろうか、ポールを打つための道具をもって歩いている人もけっこうみかけたし、ちょうどクリケットのワールドカップが南アフリカ(だったと思う)で開催されており、新聞の一面にそのニュースが載せられていたり、レストランの従業員が仕事そっちのけでそのテレビ中継に見入っていたりしていた。ところで、ダージリンのような坂道だらけの街でも、ちょっとした空き地があると子供たちが、クリケットのバッティング(というのだろうか)をやっていた。ボールが斜面の方へ行ってしまうと、ズーッと落ちていってしまいそうなのだが。