コルカ峡谷~リマ~ナスカ~リマ

<9日目(8月24日)>
8時20分ころホテル代を精算して、コルカ峡谷ツアーから帰ってきてからの1泊を予約。

ツアーには身軽で行きたいので、バックパックはホテルに預かってもらった。

8時半に来ることになっていたツアーのピックアップサービスの車は、8時50分にようやく現れたが、やってきたのはマイクロバスで、ツアー用の車だった。僕が乗った段階で、ほぼ満席になったのでコルカ峡谷へ向けて出発かと思いきや、もう一軒ホテルに寄って補助椅子を使用するまでになった。総勢25人くらいになったか?

メンバーはペルー人、イタリア人、スペイン人、ドイツ人もいただろうか。日本人は僕一人。英語を話すペルー人のおばさんがよくしてくれた。



コルカ峡谷観光のパンフレット。右上にホッチキスで留めてあるのはコルカ峡谷のチケット。




コルカ峡谷観光のためのチケットを拡大してみた。




往路の僕の席は一番前の特等席。こういう高原の眺めを堪能した。けっこう道がよかった。




小休止。ガイド氏に尋ねたところ、標高4800メートルくらいとのこと。









15時ころ、チバイ着。この日は、ここに宿泊である。全員が同じホテルに泊ることはできず、ガイドの指示にしたがって3つくらいのホテルに分かれて投宿した。けっこう、あたりはずれがあり、僕の部屋は多分はずれ。ベット一台ドンと置かれた3畳くらいの部屋だった。

17時すぎ、ガイドが「出かけるよ」と声をかけに来た。行き先はチバイの街から3キロほど離れたところにある温泉プール。水着は持ってきていないので見るだけ。他のメンバーも多くは見るだけだった。

言葉があまり通じないが、スペイン語圏からのメンバー数人、イタリア人女性、そして、くだんのおばさんと、コカ茶をのみながら湯気のなかで歓声をあげる人たちを眺めた。なんとなくほんわかしたいい時間だった。



チバイの街。




<10日目(8月25日)>
この日の朝は早かった。5時半に朝食を食べ、6時に出発。早朝の方がコンドルの活動が活発なためらしい。

この日は昨日とうって変わって道が非常に悪い。我々の古いマイクロバスはなかなかスピードが出ない。それを横目にワゴン車を使ったグループがどんどん追い抜いていく。

8時半すぎ、コンドルのビューポイントに到着。すでに多くの観光客が集まっていた。ガイド氏によると滞在は1時間とのこと。この間にコンドルがその雄姿を現してくれることを祈るだけだ。コンドルを見に来たのだから。



チバイ(だと思う)。




コルカ峡谷(眺めのよいところで止まってくれたのだったか?)







どこの村だ?




コンドルを見るための展望所から見たコンドルの雄姿。しかし、コンパクトカメラの標準ズームレンズではこれが限界。






11時半ころチバイに到着。昼食をとったあと12時半出発。

17時ころアレキパの市街に到着。ツアー参加者のホテルに寄りながら走っていく。皆、車中のメンバーに一言挨拶をしながら降りていく。いよいよ自分の降車地点が近づいてきた。何と言いながら降りようか? ちょっと緊張する(笑)。結局、皆と同じく「グッドバイ」と言って、手を振りながらバスを降りた。降り際にガイド氏が固い握手をしてきた。唯一の東洋人の参加者を気にかけてくれていたのだろうか?



<11日目(8月26日)。
さて、今回の旅行の最終目的地は地上絵で知られるナスカである。が、残りの日程で行けるかどうかは、まだわからない。

まず、9時半の便(やや遅れて9時50分出発)でリマへ飛んだ。

11時少しすぎ、リマに到着。すぐに、前日電話で予約しておいた、サンイシドロ地区にある日系人の経営するペンション光増までタクシーを飛ばした。しかし、運転手が道がわからず、12時すぎにようやくペンションに到着。この日のうちにナスカに着けるかどうかはわからない。最悪、夜行バスかもしれないが、取り敢えずナスカへ向かいたいということで、大きな荷物をペンションに預かってもらい、空港から乗ってきたタクシーで近くにあるオルメーニョというバス会社へ行った。

バス会社に着いたのは12時半。

急いで乗車券売り場へ行くと、13時半のナスカ行きがあるという。ここがだめなら別のバス会社のオフィスまでいかねばならなかったわけで非常についていた。バスはローヤルクラスという最上級のバスだった。

バスはずっと砂漠が続くなかを走っていった。ペルーの太平洋岸は、幅30~50km、長さ3000kmにおよぶ海岸砂漠地帯に属している。砂漠でありながら、何となくどんよりとした空が続いていたが、ガイドブックによると、それが冬場の天候の特徴なのだそうだ。

20時15分ころ、バスはナスカ・ラインズ・ホテルというホテルの前で止まった(ナスカ・ラインズとはナスカの地上絵のこと)。バスステーションはもう少し先だが、このホテルにはナスカの地上絵の遊覧飛行をの予約窓口があるらしいので、ここで降りることにした。

おそらく、バスの終点て降りると客引きが来て、遊覧飛行の手配は容易にできるのだろうが、問題は遊覧飛行の時間帯だった。というのは、ナスカの地上絵は太陽の日が横から差す時間帯の方がよく見えるからで(日が横からさす方が地上絵の線の影がはっきりと出るのである)、フライトの時間帯は朝早い方がよいのである。「早い時間帯は高いんだ」とかいって、ふっかけられても嫌だったので、正規の予約窓口で予約しようというわけである。

ナスカ・ラインズ・ホテルは新しい立派なホテルだあった。なんとなく腹具合も悪く、もう動きたくないので、ここに泊ることにして、同時に遊覧飛行も予約した。朝9時半頃のフライトを予約することができた。料金は45ドル。オンシーズンの相場通りの料金だった。



<12日目(8月27日)>
9時10分ころ、空港へのピックアップサービスの車が来た。ちょっと遅れ気味だが、空港にはあっという間に到着。9時40分ころ遊覧飛行に出発。

搭乗機はパイロットを含めて3列6人乗りのセスナ。乗客には地上絵入りの地図が配られ、これを見ながら遊覧していく。すでに太陽が高く登っており、地上絵が鮮明に見えるかどうかやや心配だが、パイロットは地上絵のところで、全員が「見えた」というジェスチャー(親指をたてて合図する)をするまで、右へ左へと機体を傾けてくれた。40分くらいで、地図に載っている地上絵はすべて見て遊覧飛行完了。気流も安定しおり実に快適なフライトだった。

しかし、地上絵の写真は駄目だった。カメラに残されたフィルムのコマは2コマ。このときは写真は絵葉書で十分。自分の目で見たという事実が重要だ、なんて思っていた。勝負の2コマはハチドリとコンドルで使うことにしたが、セスナの窓ガラスを通したこともあってか、結果は下の写真の通り。



地上絵はどこ? という写真。 当時、ヨドバシカメラでは特注のるプリントサービスみたいのがあり、何とか地上絵が見えるようにプリントできないかと頼んでみたが、答えは「写ってません」だった。




「写ってません」と言われたのだが、画像処理ソフトで色々と調整したら、ハチドリの地上絵が浮かび上がってきた。




この地図を見ながらフライトした。



ナスカで思わず買ってしまった地上絵を描いた砂絵。




10時半すぎ、ホテルに戻り、13時半のリマ行きのバスを予約。出発までの時間を利用して、地上絵の研究家故マリア・ライ女史が建てた地上絵の観察やぐら(ミラドール)までタクシーを飛ばすという選択肢もあるが(ナスカの街から20km離れている)、やはり腹具合が今一つだ。ホテルのロビーで時間をつぶすことにする。

20時過ぎ、サンイシドロにあるオルメーニョ社のターミナルに到着。

もう遅いので夕食は駄目かなと思っていたが、ペンションに着くと、うれしいことに食事が用意されていた。日本食であった。

ペンションは日系2世の方が経営しているようだったが、その母親で、会津若松出身、在ペルー60年というおばあさんが健在で、宿泊者との交流したり、同じ移民の方たちとの遊びにいったりで、日々の生活を楽しんでおられるようだった。非常に魅力的なセニョーラだった。



<13日目(8月28日)>
ペルー出発の日である。

飛行機の出発は午後なので、午前中、セントロ(旧市街)をちょっと歩いてみた。コロニアルな建築が並ぶ街並みが貴重らしいが、この時はあまり興味を持てなかったことを覚えている。

終わり