ケロアン

<9日目続き>
ケロアンはマグレブ最古のモスクであるグランド・モスク(大モスク)があるため(640年創建、現在残る建物は9世紀に再建されたものの流れをくむ)、マグレブの聖都と呼ばれている。

ケロアンは7世紀後半、北アフリカの征服をめざしたウマイヤ王朝の総督ウクバによって建設された都市で、マグレブのほかスペイン、シチリアをアラブ化するための拠点になった。

その後、ケロアンは9世紀にはアグラブ朝、10世紀にはファーティマ朝の首都として、11世紀にはベドウィンの侵入を受けてチュニスに移るまでズィール朝の首都として栄えた。

ケロアン到着後、ロンリープラネットで目星をつけておいたホテルに部屋を確保(メディナ北側にあるメネマ・ホテル)。



ケロアン旧市街は城壁に囲まれている。上はチュニス門(だと思う)。




スーク。




スーク。




スークを南に向かって歩き、いったん城壁の外に出て、マルティール広場からショハダ門を望む。メモによるとこのあたりで昼食をとったらしい(メインは鶏肉、それとチュニジア独特のサラダである焼いたサラダ=サラダ・メシュイーも食べたようだ)。




昼食後、メディナに戻りグランド・モスクをめざした。ラクダが水をくみあげる”聖なる井戸”として知られるビル・バルータにも寄ったが、水をくみ上げるため井戸の周りを歩かされるラクダが何か動物虐待っぽいものを感じ、あまりよい印象は残っていない(写真も撮らなかった)。




旧市街の路地。天気が今一つのため陰気な印象しか残らず、ケロアンの路地で撮ったのはこの1枚のみ。次の機会があるなら青空のもと歩きたいと思った(実際次の機会は訪れた)。




グランド・モスクの中庭とミナレット。青空の下で見たかった。




グランド・モスクの礼拝堂側。




回廊の列柱。ビザンチンの遺跡からの流用だとか。




礼拝堂。非ムスリムは入ることができない。




同じく礼拝堂。奥に見えるのはメッカの方角を示すミフラーブか?






グランド・モスクを出た後、ガリアニ霊廟へ向かった。

ガリアニ霊廟は14世紀に建てられたもので、イスラム教徒ではなくても中に入ることができる。



ガリアニ霊廟。ここを訪れた時は何か平凡だなあという印象を持った記憶があるが(トルコ、イラン、モロッコなどで色々とイスラム建築を見てきたからだと思う)、時を経て写真を見てみるとイスラムらしい細かい装飾、規則正しいリズム感を感じられる柱や扉の並び方など、こんんじまりとした良い建物だと思う。




床のタイルの模様を入れるため縦でも撮ってみた。




壁や天井に施された細かい細工に注目して撮ったもの(だと思う)。







撮った順番に並べているのでわかりにくくなっているが、上の方にある写真と同じ中庭部分の横の壁(だと思う)。



ガリアニ霊廟の後は、メディナを抜けて北西にあるシディ・サハブ霊廟へ行った。(グランド・モスク、ガリアニ霊廟、シディ・サハブ霊廟とアグラブ朝の貯水池がセットになった入場券だったようだが、貯水池の写真はない=パスしたのか?)。

シディ・サハブ霊廟は、ムハンマドの同志アブ・ザマエル・ベラウィが眠る霊廟で、7世紀に創建されて、17世紀に巡礼者用の宿、モスク、神学校などが付け加えられたとのこと。



ガリアニ霊廟と似た感じだが、アーチ部分の造りや装飾が異なる。タイルがカラフル。