エル・ジェム

<8日目>
10時、ホテルをチェックアウト(海外協力隊員御一行と一緒)。

マトマタを出る前にクレーターのような穴ぼこが並んだ風景を見るため高台に登った。



並んでいる穴ぼこは穴居住宅。既に住人がいなくなった住宅もあったのだと思う(比較的最近ここを訪れた人の旅行記を読むと住人はほとんどいなくなったような感じ)。




穴居住宅が並んでいないところも撮っておいた。



マトマタからエルジェムにダイレクトで行ける交通手段はないので、まずガベスへ移動(バスだったか?)

10時30分マトマタ出発、12時20分ガベス到着)。

ガベスで昼食をとったあと、ルアージュステーションへ移動。

海外協力隊員の人たちとはここでお別れ。

13時30分、スース行き(だと思う)のルアージュで出発。

途中昼食ストップがあり、エルジェムには15時50分到着(エルジェムのルアージュステーションではなく、スースに通じる道の途中で降ろされた)。

この日はスースに泊る予定で、荷物一時預かり所みたいな場所もないので、バックパックを背負ったまま観光。

16時50分ころエルジェムのコロセウムに入場。

さて、ここで『地球の歩き方 フロンティア』チュニジア編の「エルジェム」の記述を引用しておこう、例によってちょっと”くさい”のだけれど(実はけっこう気に入っている)。

「周囲にさえぎるもののなにもない土砂漠のまん中にコロセウムがある。ローマ人がマグレブに建設したコロセウムのうち最も巨大なものだ。さまざまな外敵の侵攻を、コロセウムはその目で見てきたのだ」

上の文はいわゆるリードにあたる部分だが、説明部分もちょっと引用しておく。

「エル・ジェムは。かつてティスドルスと呼ばれていた。草木の生い茂る美しい町で、面積も現在の4倍はあったということだ。今はすっかり砂漠化がすすんだエル・ジェムではこのそびえたつコロセウムだけが目を引く建造物であり、まわりになにもない分、なおさらその大きさが強調されている。このコロセウムは230年、ゴルディアン皇帝により建設されたものだが(正確には”着工”ということらしい)、チュニジアに建設された約25のコロセウムのうち、もっとも保存状態の良いものである。」

ちなみに、このコロセウムのサイズは、縦149m、横124m、高さ36m、アリーナの直径65mということである。



コロセウムに向かって歩いて行った。『歩き方』にはまわりには何もないとあるが、こんな感じで近くまで街が形成されているところもある。




このあたりはコロセウムの周囲には何もない。




コロセウム内。




アリーナ部分に降りてみた。




アリーナより一段低いところ(地下と言ってよいのか?)。剣闘士の控室やら猛獣の檻やらがあったのだとか。ちなみに、この通路の上はその後金属の網で作られた蓋がかぶせられた。




向かって左側の客席部分が真新しい感じだが、ここは復元された部分。アリーナ中央部分の縦長の穴の部分を下に降りて撮ったのが一つ上の写真。




いかにも「新しく作りました」という感じの部分が写らないように撮ってみた。






17時30分、ルアージュでスースに向けて出発。

18時20分、スース到着。もう、すっかり暮れていた。

しかし、スースのルアージュステーションと市街地との位置関係がわからない(『ロンリープラネット』の地図では、その辺はわからなかったのだと思う)。

街灯りの固まっている方向が市街地だろうと歩き出してみたが、「いや、意外と遠いかも」と思い直し、タクシーを利用することにした。たぶんスース駅まで行ってもらったのだと思う。スース駅まで行けば、3年前に泊ったホテルも近いし。

19時少し前、3年前と同じホテルに部屋を確保。そして夕食も3年前と同じ店でとった。