ピンディへの移動を開始 <8月25日>厳しい旅はクエッタまでで取りあえずおしまいにし、ラーワルピンディー(ピンディー)までは、鉄道で、それもAC(エアコン付き)車両もしくは一等車両でゆったりと行こうと思っていた。上等の車両に乗るには、いくらパキスタンとはいっても、それなりの料金をとられるはずだから、パキスタンルピーを手に入れなくてはならない。それで、駅近くのホテルに落ち着いた後、銀行へ行き両替をしたが、レートは1ドル=39ルピー余りだった。国境のレートはやはり非常に悪かった。 銀行からオートリキシャーで駅に向かい、予約専用の窓口に行き、「明日のピンディー行きが欲しい」と言った。「はいわかりました。いくらいくらです。」という答えが返っててくると思って財布を出す用意をしていた。しかしである、ACは1か月くらい先まで、一等も2週間近く先まで空きがないというではないか。金のあるパキスタン人は、クエッタ-ピンディー間は飛行機で移動するにきまっていると考えた自分が甘かった。列車の上等の車両は予約開始直後に埋まるらしい。 二等の座席での車中泊は御免こうむりたいので、日中のバスで何とかムルターンまで移動できないのか? と考えた。ツーリストインフォメーションで尋ねると、はっきりしたことはわからないが、「ムルターン行きのバスはあるはずだ」と言うではないか。さっそく、街はずれのバスターミナルまでオートリキシャーを走らせた。
ムルターン行きのバスはなかった。ギルギットに行く前に可能ならば寄って行きたいと思っていたペシャワールまで、40~50時間かけて走るバスもあるらしいが、これ以上バスには乗りたくない。 再び駅に行き、「二等の予約はできるか?」と尋ねると、「ここではない」と言われ、指示された通り行ってみると、駅の端っこにその窓口があった。二等は、AC・一等と切符売り場まで厳然と分けられているのだ。 行ってみると窓口が2つあり、片方には列ができているが、片方には列ができていなかった。列のない窓口に列車番号を告げると「隣へいけ」と言われた。しかたなく、隣の窓口の列についたが割り込みが絶えない。ようやく、僕の番になったので、列車番号を告げて金を出そうとすると、隣の窓口だという。隣の窓口では、今「隣へいけ」と言われたのばかりだ。しかたなく、また隣の窓口で尋ねると、「明日の9時に来い」と言う。「2つのうち、こっちの窓口ですね」と念をおしてから駅を出た。明日切符が買えれば、二等でピンディーまで行こう、もし買えなかったカラーチーまで出てそこからピンディーまでゆっくり北上して行こうと思った。 その夜は、中華料理屋で夕食をとった。すこしでも旨いと感じて食べないと身に付かない。自覚症状はないが相当体力を消耗しているはずだから、きちんと栄養になるものを食べなければと思った。しかし、完全に中国スタイルのレストランで、1人で食べるようにはなっておらず、巨大な食器に3~4人分はあろうと思われる分量の料理が入って出てきた。チキンコーンスープ、サラダ、チキンチャーハン、トマトオムレツ、ジャスミンティーで、しめて284ルピー(900円弱)。3~4人で食べると安いのだが。 <8月26日> 前日は「9時に窓口に来い」と言われたが、長い列に並ぶのは避けたいので少し早目にホテルをチェックアウトして、8時半には駅に着いた。もうかなりの列ができているのはと思っていたが、一番乗りだった。 9時過ぎ、窓口が開いた。早速、ピンディー行きの列車番号を告げたが、「隣の窓口だ」と言われた。昨日、「この窓口ですね」と確認したのにもかかわらずだ。もう一方の、窓口には、7~8人並んでいたが、客の出足は想像以上に遅く、簡単にチケットは手に入った。しかし、チケットには座席番号などが一切記されていない。自由席ということは、パキスタン人と席の確保を巡る攻防戦を繰り広げなければならないではないか。 「座席は指定できないのか」と聞くと、「チケットコレクティングルームに行け」と言われた。いったんホームに出ると、「チケットコレクティング」の札がみつかった。部屋の中はすでにパキスタン人で一杯だ。どうやらここで席の指定をうけるらしい。言葉のできない僕は、小さなチケットをふりかざして、駅員の注意を引くしかなかったが、親切なパキスタン人が、駅員に僕の座席指定を先にしてくれるように言ってくれ、切符の裏に座席番号(2-52)を書き込んでもらった。 ホームのベンチで時間をつぶしていると、10時半ころ列車が入線してきた。 軌道が広いため車両の横幅が広く、車内も、片側に4人掛けシートが向かい合わせになっている席があり、通路を隔てて、1人掛けの向かい合わせの席がある。僕の席は4人掛けの窓側から2番目の席だった。不思議なのは、4人掛けの席の上に、シートのようなものがあるということだ。荷物スペースがシートのようになっているのも変な感じだが、まさかここに人が座るわけでもあるまい。一応、席の上のシートとも荷棚ともつかないところに荷物をおいた。 その内、段々席が埋まってて、僕の席のところも8人が揃った。向かいは夫婦と子供1人、夫婦とどちらかの母という家族4人連れで、僕の右となり(窓側)はアフガンからの難民だというおじさん。左となりは仕事でどこかへでかけるらしい男性2人。 僕の右となりのおじさんは、棚の荷物を座席の下に置けと盛んにいう。なぜなのかわからなかったので、席の下は余りに汚すぎる。「これは背中に背負うものだから、こんなきたないところに置きたくない」ということを身振り手振りで示した。そうしたら、おじさんは了解してくれた。 11時18分、定刻より18分遅れて列車は出発した。ピンディー到着は、翌日の夜9時半の予定だが、この調子で遅れていくと深夜になるかもしれない。
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