楽山大仏

<13日目>
10時20分チェックアウト。

10時35分、民航へ行く。ここから空港へのバスが出ていた。

11時、空港バスが出発し、11時半空港到着。

13時30分、成都行きの便が出発。

16時15分、成都到着。

到着後、空港内で3日後の上海行きの航空券を購入。航空券の売り出しからけっこう日数が経過しているので3日前というのは”危険”な時期になっていたと思うが、何とか購入できて胸をなでおろしたのだと思う。もし航空券の購入に失敗したら、満員列車でなおかつ無座(文字通り自分の席がない状態-あいていれば座ることができるが指定券を持った客が来たらどくしかない)で移動しなければならない可能性が高かったのだから。

ただ、帰国便の航空券はまだ買っておらず、上海からの帰国日は決まっていなかったし、北京から帰国することも可だったので(ちょっと高くなるが)、成都を出るチケットの選択肢はそこそこあった。

なお、この旅行記の最初の方にも書いたが、当時の中国では乗り物のチケット販売のオンライン化はまったくなされておらず搭乗地・乗車地で購入するというのが基本だったので、成都発の航空券を烏魯木斉で購入するということは困難だったのだ(ツアーの場合、現地旅行会社間のやりとりで前もって席をおさえておくということができたのだが、個人旅行の場合それは基本不可能だった)。

航空券購入後、バスで成都市内に移動し、ホテルの部屋を確保。



<14日目>
この日の目的地は楽山。山を削って作られた巨大な仏像を見るためである。

9時、楽山行きのバスが出る新南門バスターミナル着。

ここで公衆電話を利用して北京の日本航空事務所(支店?)に電話をかけた。前日、成都-上海間の航空券を確保し上海到着日が決まったので、上海からの帰国便の予約をするためである。(帰国便の予約は問題なくできた)。

9時40分、楽山行きのバスが出発(定刻は9時半)。

しかし、成都市内の道が混んでいてなかなか進まない。

14時40分、ようやく楽山に到着。なんと5時間を要した。現在だと高速もできてこんなにかからないのだと思う。

すぐにタクシーで大仏寺(大仏寺は通称で正式には凌雲寺という)近くの遊覧船乗り場へ移動。大仏の全容は川からしか見られないので。

15時、遊覧船に乗船。

15時15分頃、烏尤寺(当時の『歩き方』には烏龍寺とあったが)という寺の近くに到着。

観光の順路がよくわからないまま、東方仏都なる場所の入場券を購入。

しかし、そこをゆっくり見ている時間はないので、先を急ぎ大仏寺へと向かった。

まだ、昼食をとっていないが食べている時間はなく、ビスケットを買い、アイスキャンディーでもカロリーを補給した。



遊覧船がどういうルートで航行したのかは完全に忘れてしまったが、これは大仏寺(凌雲寺)から離れた場所からの眺め。中央やや左に見えるとがった建物は大仏寺の塔だと思う。何でも、これは仏が寝ている姿に見えるとか見えないとか。




楽山大仏。これを見るためにやって来た。岷江と大渡河の合流点にあるこの像は高さ71mを誇る。唐代の713年、僧海通が川を航行する船の安全を願い発願し、90年の歳月をかけて完成を見た巨大磨崖仏である。完成当初の大仏は全身を金色と彩色装飾で彩られ、十三重の木造の楼閣におおわれていたと伝えられる。




縦の写真も。




大仏の前を通りすぎて船の下船地点に向かう。当時の『歩き方』には「船は烏龍寺(正しくは烏尤寺)に着く」とあった。




これはどこの寺だ? 遊覧船は烏尤寺の前に着いたらしいのだが、果たして烏尤寺に寄ったのか寄らなかったのか? web上にある旅行記には烏尤寺の画像はあまりなく、この写真がどこななのかはっきりしない。烏尤寺だと思うが、この時の自分にはそのような時間はなかったので確信がもてない。




上の写真と同じ寺。




大仏の見学ルートがわからずに買ってしまった東方仏都なる場所の入場券。web上にある色々な人たちの旅行記を見ると石仏を刻んたテーマパークみたいなところらしい。




東方仏都。色々と磨崖仏が並んでいるが、「テーマパーク」ということを知った上で写真を見ると、なるほど寄せ集め感満載な感じ。下まで下っている時間はない。とにかく大仏をめざす。




これも東方仏都。一つ上の写真の低いところから急な階段を上ったところに仏像がある。近年の写真を見ると立派なひさしが造られていた。




楽山大仏の参観券。券に印刷された風景は、なぜか大仏の姿ではなく遊覧船からの眺め(上の方にある写真を参照)。




大仏寺の参観券の裏側にあった地図。赤い部分が大仏




やっと大仏と対面。とにかく大きい。




大仏を真横から。




逆側に移動。




大仏の足元に降りる凌雲棧道のチケット(左)と保険(右)。保険が必要なほど危険ということ?




なぜか凌雲棧道のチケットがもう1種類。




大仏の横に造られた階段(九曲棧道というらしいのだが、チケットには凌雲棧道とあった)を下って行く。




さらに下る。大仏の足の向こう側になにやら入口があるが、ここからの通路が船を降りた場所に近いところ方面に続いているらしい。




下から見上げた大仏。




あまり変わり映えしないがさらに下から撮った写真。



現在は大仏の足元に降りる順路は決まっていて、大仏横の階段を下ったあとは、足元にあるトンネルみたいなところに入りけっこう離れたところから出るようになっているようだが、このときは階段を逆方向に進む(登ってもどる)ことも可能だった。

往路は成都から楽山まで5時間を要したので、楽山の出発時間が遅くなると成都の到着が深夜になる恐れがある。最悪の場合、成都に戻る足がなくなるかもしれない。翌日、何も予定がなければ楽山に泊ることも可能だが、北京からの知り合い(この旅行記の最初で書いたS氏)と成都で落ち合う約束をしているので成都に戻らねばならない。

ということでかなり急いでおり、大仏を見た後、凌雲寺を拝観するのはあきらめて外へ出た。16時40分だった。



凌雲寺。ここから中へは進まなかった(はず)。



大仏寺を出た場所あたりに成都行きのミニバスがいたので迷わず乗車。

しかし、このミニバス客集めのため楽山市内をグルグルまわりなかなか成都行きのルートに乗らない。そして成都に向かって走り出したと思ったら今度は故障。

18時半、やっと成都に向かって出発。ところが、途中で何と洗車タイム。

22時ころ、泊っているホテルに近い場所でミニバスを下車(バスターミナルまで行かず、客の都合で下車させてくれたことはミニバスを利用したメリットだったか?)。故障とか洗車タイムがあった割りには早く着いた。

この日はほとんどまともな食事はとっていなかったが、メモによると、この夜モモ(チベットの餃子)を食べたことになっている。当時の中国は食事時が終わると食べ物屋は店じまいしてしまうことが多かった記憶だが、いったいどういうところで食べたのだろうか? 詳細なメモをとっていないことが悔やまれるが、メモはないものの、ホテルに向かう道すがらチベット族(民族衣装だったのでわかった)の男性(2人組だったか?)とすれ違ったことは鮮明に覚えている。ここ成都はチベットへ向かう旅人の拠点の一つで、いつか行きたいという思いがあったからよく覚えているのだと思う。