<目次>
 1.トラブゾン再訪(このページ)
 2.イサク・パシャ・パレス
 3.ちょっとカッパドキアへ
 4.クズカレシ
 5.アンカラ・エクスプレスでアンカラからイスタンブールへ
 

  トラブゾン再訪

1988年秋のトルコ旅行の最後の最後で撮影済みのフィルム全てを失うという大失態を演じ、90年代に入り88年に訪れた場所への再訪を繰り返していたが、1994年は春に続いて夏にもトルコへ行った。

再訪の目的地はトラブゾンとその近郊にあるスメラ僧院(正確には僧院跡もしくは修道院跡だけれど「跡」のつかない名称で呼ばれているので「僧院」と書いておくことにする)。

スメラ僧院は切り立った山にへばりつくようにして建てられた修道院で、冬は雪に閉ざされアクセスが厳しくなる。1988年11月に訪れた時は雪が積もっており、僧院への道は滑るし、靴は濡れてぐちゃぐちゃになるしえらく往生した。おまけに僧院跡のそこかしこに大きなつららがぶら下がっており、管理人のおじさんから「そっちは危険、こっちは駄目」とか言われて自由には歩けない状態だった。

逆に夏は緑が美しくアクセスも容易ということで、この夏の旅で再訪することにしたのだ。

<1日目>
1994年7月某日、まず、アエロフロート機でモスクワまで飛び、同日のイスタンブール行きの便はなかったので、トランジットホテルで1泊(92年春にも泊ったクリキノ・ホテル)。

17時過ぎモスクワに到着しバスでトランジットホテルへ移動。

18時から夕食をとり、その後19時から21時までモスクワ観光に出かけた。ロシアのビザは持っていないのでバスから外に出ることはできないはずなのだが、92年のトランジット時と同様に下車してちょっと歩くことが可能だった。



赤の広場。有名な聖ワシリイ大聖堂が見える。




聖ワシリイ大聖堂を背にして見る赤の広場。




モスクワ川越しにクレムリン宮殿方向を望む。




<2日目>
7時にホテルを出発(7時半空港着)。

10時30分、15分遅れでイスタンブール行きの便出発。

12時15分、イスタンブール到着。

空港バスでイスタンブール新市街に移動し、すっかり定宿となったホテルにチェックイン(40ドルの部屋を25ドルにしてくれた)。



エミノニュから新市街・ガラタ塔方面を望む。




有名なサバサンド売り(当時はこんな小規模な商売だった)。




エミノニュの船着場とトプカプ宮殿(奥に見える建物)。




ガラタ塔からの眺め。




ガラタ塔からの眺め(奥にボスポラス大橋うっすらと見える)。どうということのない眺めだけれど超個人的な記憶の補助として。




ガラタ塔。20時近かったが、まだこの明るさ。




<3日目>
6時40分、ホテルをチェックアウト。

7時のバスで空港へ(7時25分空港到着)。

9時30分頃、トラブゾン行きの便出発(45分遅れ)。

10時40分、トラブゾン到着。

空港バスで市内に移動し、88年と同じホテルにチェックインした(予約なしの飛び込み)。内装が新しくなってかなり高級感も増して、一泊の料金も前回のほぼ2倍の日本円で約3000円となっていたが、部屋の作りまでは変わっておらず、部屋に入ると、寒い中移動してきた身にとって、しっかりきいているスチームが有り難かったこと、スメラ僧院の雪ですっかり濡れてしまった靴もそのスチームのおかげですぐに乾かせたことなど、6年前のことが鮮烈に思い出された。

昼食後、スメラ僧院跡へ(12時30分トラブゾン市内発、13時半にスメラ僧院跡の登り口に到着)。

この時、スメラ僧院へのアクセスはそれほど便利ではなかったようで、メモによるとタクシーを利用している(おそらく翌日でよければトラブゾン市内からのツアーか何かがあったのだろうが)。ちなみに、88年は、それぞれ一人で旅をしていたオーストリア人・日本人とタクシーをシェアして行った。



登り口に着くと気が急いていたのか、すぐにスメラ僧院跡への道を歩き出した。湿気がものすごく、霧がたちこめており見通しが悪かった。天気がよければ、登り路から断崖にへばりつくように立っている僧院跡が見られるのだが、それはかなわず(88年には見ることができたのだが)。25分で僧院到着。







ほぼ廃墟という感じだが、僧院の壁に残るるフレスコ画が往時の素晴らしさを感じ取ることができる。







僧院跡への登り口。




僧院跡への登り口近辺はこんな感じ。マイナスイオンが豊富という感じ。




こんなこぎれいなレストランも。



16時頃トラブゾン市内に戻り、その後、乗り合いタクシーでアヤソフィアへ。



アヤソフィア。この時は博物館だったが、その後モスクになったよう。もともとは5世紀に建てられた教会でオスマントルコ朝期以来モスクとして利用され、1964年からは博物館として公開されていた。上から見ると「十字型」の建物。88年、スメラ僧院まで一緒に行ったTさんと一緒に訪れている。







内部のフレスコ画が有名なのだが、フィルム節約モードに入っていたのか、それとも88年以来の再訪を果たし満足してしまったのか内部の写真は2枚しか撮っていない。