イサク・パシャ・パレス

<4日目>
今回の旅の主要な目的地の一つはドゥバヤズィットにあるイサク・パシャ・パレスである。88年の旅でオーストラリア人とTさんから聞いて是非行ってみたいと思っていた場所だ。

当時はバス情報はとても貧弱だったので、トラブゾンからドゥバヤズィットまでのバスの便の事前情報は皆無だった。地図を見るとトラブゾンからいったんエルズルムまで移動して、そこからドゥバヤズィットに移動するのがよいと思われた。(現在の『歩き方』によると、トラブゾンからアールへ移動し、そこでドゥバヤズィット行きを捕まえるという手があるようだ)

ということで、この日はエルズルムまで移動ということにした(バスのチケットは前日購入)。

バスの発車時刻まではけっこう時間があったので、少しだけ街歩きをした。



トラブゾンは黒海に面したところにある街だが、山が海に迫っている地形で、街はこんな感じで起伏に富んでいる。




トラブゾン。どの辺りだろうか?




トラブゾンの市場。この写真には写っていないが、当時はロシア人を沢山見かけたような記憶がある。



12時、エルズルムに向けて出発(バスの最終目的地がどこであるかはメモがなく不明)。

17時30分、エルズルム到着。


<5日目>
7時45分、ホテルをチェックアウト。

この当時、オトガルはまだ街の中心部近くにあり歩いて移動。

8時15分、オトガル到着。

10時50分、ドゥバヤズィットに向けて出発(メモによるとチケットはこの日買っており、おそらく前日にバスの時刻は調べず、この日出たとこ勝負にでるつもりで早目にオトガルに行ったと思われる。なおメモには「チケットには10時と書いてある」とあり、バスの出発が遅れたようだ。)


ところでドゥバヤズィット行きについては一つ心配なことがあった。トルコからの分離独立をとなえるクルド人過激派のテロが激しくなっており、東部トルコの各地では、トルコ軍との戦闘が起こっていたのである。加えて、トルコ政府への嫌がらせとして過激派による外国人観光客拉致事件も多発していた。

イスタンブールのホテルで見たテレビニュースでは、テロリスト情報が流されていた。テレビ画面に東部トルコの地図が出てきて、そこには太陽のマークのようなものが何ヵ所かについていた。言葉がわらないものだから最初は天気予報と勘違いして、「東の方は天気がいいんだな」などと思って見ていたのだが、どうもへんだ。東トルコの地図しか出てこないのである。天気予報ならば、全国の地図を出すはずだ。そのうち、アナウンサーが繰返し発する一つの言葉が聞き取れるようになった。「テロリスト」と言っている。太陽のマークと思っていたのは、爆破マークか何かで、テロが発生した場所か、トルコ軍とクルドの過激派が軍事衝突した場所なのだろう。

エルズルムのホテルで見たニュースでも相変わらずテロリスト情報を流していた。道中の安全を祈るばかりである。


ドゥバヤズィット方面はクルド人ゲリラとトルコ軍の衝突多発地帯である。クルド人と言われる人たちの多くは、トルコ・イラン・イラク国境地帯に居住しているが、これから行くドゥバヤズィットはイラン国境のクルド人街である。 クルド人の一部がテロという過激な行動に出るのは、少数民族は存在しないとするトルコ政府のかたくなな姿勢に起因しているらしいが、クルド人と一括して呼ばれる彼らが話すいわゆるクルド語にも、実は様々な言葉があり、中には方言の枠を超えるまったく違う言語もクルド語とよばれているらしく、かなり複雑な状況らしい。

東西文明の交差点に位置するトルコだから、トルコ人も基本的には西と東の民族の混血の度合いが強いはずなのだが、クルド人に対する差別意識は強いようで、「東部トルコへ行こうと思う」と言ったら、「そんな所へは行かない方がいい」とトルコ人に言われたという旅行者に会ったこともある。

ドゥバヤズィットへの道は厳戒体制がしかれていた。検問も多く、道筋のあちこちに戦車も待機していた。本当にヤバイ所に来てしまったのかもしれない。 ある乗客には「なんでドゥバヤズィットなんかに行くんだ」と聞かれた。「イサクパシャパレスを見たいんだ」と答えると、「この道は危険だぞ」と真剣な顔つきで忠告された。もしかすると彼もクルド人を嫌うトルコ人なのかもしれない。そして検問のトルコ軍兵士からはやはり何かピリピリしたものを感じた。

15時すぎ、アララット山に迎えられるようにしてドゥバヤズィットに到着した。街のどこからも見られるこの山はノアの箱船が流れ着いたという伝説で有名な、頂上付近に万年雪を頂いた孤峰である。

街には緊張感というものはなく、のどかな田舎という感じだった。また、トルコ軍の大きな駐屯地があり、「ここに攻撃が加えられることはないだろう」という気がして、何となく安心感があった。しかし、クルド人たちはトルコの支配を受けているという意識を持って、息苦しい感じで生活しているのかもしれない。 ホテルに入るとすぐにタクシーでイサクパシャパレスへ行った。イサクパシャパレスは、17世紀にこの地方を支配したイサクパシャというクルド人の王が建てた宮殿で、街の東の山の中腹にある。





まだ修復途中という感じだった。




宮殿を通り抜けて振り返る。









宮殿内のモスクで記念撮影をする人たち。




イサク・パシャ・パレスから少し山を登ったところからの眺めが素晴らしい。この眺めを見るためにやって来た。




残念ながら、この位置からはアララット山を望むことができない。




街のあちこちからアララット山が見える。これを書いている2020年現在、街並みは激変しているのだろうか?




かなり見にくいが、山の中腹に何か建物があるらしいことはわかると思う。それがイサク・パシャ・パレスです。




街で出会った少年たち1(写真を撮ってくれと頼まれたのだと思う)。




街で出会った少年たち2(これも撮ってくれと言われて撮ったのだと思う)。




珍しく泊ったホテルを撮っていた。ドゥバヤズィットでなぜ「ホテル・イスファハン」という名なのかは不明(イランとの国境の町だし、世界の有名な都市とかの名前をホテルの名前にするということは割と普通にあるといえばそうだが)。大変立派な外観だが1泊600円くらいだった(けっこう古い建物で部屋はとても質素な感じだった記憶がある)。




1994年当時、ドゥバヤズィットにはオトガルはなく、バス会社の前からバスが出るという感じだった。




わかりにくいが、アララット山がうっすらと見える。