ロードス島再訪

<11日目>
9時半、マルマリスに向けて出発(バスのチケットは、前日、遺跡へ行く前に購入)。

帰国便はアテネ・アウトだったのでギリシャには行かねばならず、88年とは逆ルートになるが、マルマリスからフェリーを利用してロードス島を再訪しようとしたのだと思う。

ただ、冬季、この区間のフェリーの便は少なく、週1便か2便だったと思う。当時の『歩き方』トルコ編をみるとフェリーの便についての詳しい記述はなく、ネットで簡単に調べられる現在とは違い、現地のフェリー会社なり旅行代理店に電話して運航日を確認するか、現地に行ってみるしか確認の手段はなかった。

前者の方法をとる場合、フェリー会社の電話番号を調べるところからしなければならないし、トルコ語しか通じない場合どうしようもない。しかし、どうせマルマリスへは再訪するつもりだったので、とりあえず行ってみることにしたのだと思う。

13時半すぎマリマリス到着。選んだホテルは例によって88年にも泊ったところ。

ところで、残念ながらロードス行きの近い日程のフェリーはなく(3日後の便があった)、いったんイスタンブールに移動してそこからアテネへ飛び、さらにロードスへ向かうことを選択した。

2日以内にロードスに到着できないのであれば、マルマリス近辺を観光してからフェリーに乗るという選択をすべきだと思うが、この時はなぜか2日以内に着けるかどうかチャレンジしてみようと思ったらしい。1日で着くのは絶対不可能、うまくいっても2日かかるので、フェリーで行くよりもロードスで使える時間が半日くらい増えるだけなのに。おまけにマルマリス-ロードス-アテネと移動するより、うまくいっても(イスタンブール-アテネの割安な航空券を買えても)3万円は余計にかかるのに。

ただ、もしかすると悪天候によるフェリーの欠航というリスクを勘案したのかもしれない。88年にロードスからマルマリスへ渡った際も翌日の便は欠航になっていたし。大きな船だと問題がなさそうな天気だったが、あいにくマルマリスとロードスを結ぶフェリーはとても小さな船だったのだ。



ホテルの部屋から。88年は海に面していない部屋だったが、今回は海側を選択。




同じくホテルの部屋からマルマリス湾を望む。



<12日目>
5時15分のバスでイズミルに向かって出発。
10時イズミル到着。珍しくタクシーを利用してトルコ航空オフィスへ移動して、その日のイスタンブール行きの便のチケットを購入。

12時の空港バスに乗車し12時半空港到着。

この後、何時の飛行機に乗ったかのメモがないが、15時にはイスタンブール・アタチュルク空港の空港バスに乗り、15時半ころアクサライで下車して、近くの安ホテルにチェックイン(どうやらこの日のうちにアテネに移動することははなからあきらめていたらしい)。

ここもメモがないのだが、小雨が降っていたか雨上がりだったか、寒空の下、スルタンアフメットの方へ急いだことを何となく覚えている。

そして、当時このあたりにたくさんあった格安航空券を売っている旅行代理店に入って、10時5分出発のアテネ行きトルコ航空便の航空券を購入した(100ドルちょっと超えるくらいだったので、たぶん相当ディスカウントされた航空券だったのだと思う)。


<13日目>
朝、ホテルから空港バスの出るシシャーネに移動したが、ちょうどよいバスの便がなかったらしく、タクシーで空港へ移動している。

10時5分発の便は12時くらいにはアテネに着いたと思う。この日のうちにロードス行きの便に乗ることができればチャレンジは成功である。

しかし、結局チャレンジは失敗。詳細なメモがないので、午後のロードス行きの便がなかったのか、それとも満席だったのかわからないが、結局購入できたのは、翌朝のオリンピック航空のチケット。


<14日目>
5時前、タクシーで空港へ向かう。(メモあり)

おそらく6時半くらいの便でロードスへ。(メモなし)

7時20分ころロドス空港からタクシーでロドス市内へ(メモあり)。一応、ロードスシティの旧市街を散策する時間分くらいはフェリーを利用するよりも早く着けた計算になる。

8時、新市街のホテルに部屋を確保した後、旧市街散策。

11時半ころ港へ行きマルマリスからの船の到着を確認。



ロードスシティ旧市街のメインの見どころともいえる騎士団通り。ロードス島は聖ヨハネ騎士団が拠点とした島。パレスティナにおけるイスラム勢力との戦いに敗れたあと、14世紀初めにこの島を攻撃して支配下に置いていた。




どこに行くとはなしに適当に歩いた。




夏場は観光客で賑わう旧市街の中心部だが閑散としていた。




旧市街のはずれの教会。88年にはこの教会の隣にあるペンションに泊っており、ここの教会の鐘の音が妙に記憶に残っており再訪した。




ロードス島に残る城壁。ちなみにロードス島は16世紀初めオスマントルコの攻撃を受け、敗れた騎士団は島を去ることになったが、その時トルコ軍の攻撃に備え城壁が増強された。何でもトルコ軍の戦法は陸側からの大砲や大人数の兵力を用いたものが基本ということで、海側に比して陸側の城壁が堅牢なものとなっている。この時は塩野七海の『ロードス島攻防記』を読みながら旅しており、ここの城壁にもいっそう興味を掻き立てられたことを覚えている。




マルマリスからのフェリー。当時はこんな小さな船だった。ちょっとしたことですぐ欠航というのもあり得るサイズだ。




ロードス・シティ旧市街の城門の一つ。




地元民の生活の香りの漂う通り。




騎士団通りに戻って来た。




騎士団の紋章(色々ある)に注目して撮った写真だと思う。




立派な城門。




ロードス島の商港。風車が珍しくてカメラを向けたのだったと思うが、古代ロードスはエジプトとの交易で栄えており、この港をまたぐ形の巨像が作られたとか(古代世界の七不思議の一つ)。



昼食後、午後は海岸で過ごした。
塩野七海の『ロードス島攻防記』をを読みながらのんびり過ごしたのだと思う。


<15日目>
この日はロードス・シティを離れてリンドスへ行った。

9時のバスに乗り、10時20分にリンドス到着。

リンドスにはアクロポリスの遺跡が残っており、その足下には白い家々が立ち並んでいる、いかにもギリシャという街だった。

13時のバスでロードスシティに向かい、帰着後はまた『ロードス攻防記』を読むなどのんびり過ごした。しかし、物語の現地で読むと何となく臨場感がありよいものだった。



リンドス。




リンドス。




紀元前5世紀頃から地中海で使用されていた軍船(ガレー船のレリーフ。




アクロポリスからの眺め。




アクロポリスから。




アクロポリスから。




アクロポリスに残る聖ヨハネ騎士団の城の石段(帰りがけに撮影)。




アクロポリスの丘からビーチを望む。




リンドス。




リンドス。シーズンオフのため閑散としていた。




アクロポリスとは逆に方向にある小高い丘から。



<17日目>
この日のメモには、ロードスシティ(近郊)のあるアクロポリスに行ったとある。最近の『歩き方』にはロードスシティの箇所にアクロポリスの記述はなく自分の勘違いか?と思ったが、下の写真を撮っていた。ネットで色々調べると確かにロードス・シティ近郊のアクロポリスだった。 



ロードスシティの南の方にある古代ロドスのアクロポリス。柱はアポロン神殿跡のもの。



16時の便でアテネへ移動。


<18日目>
午前中はゼウス神殿、オリンピック競技場、リカヴィトスの丘を歩く。

しかし、この日から写真がない。持参のフィルムが底をついたのだろうか? フィルムを買ってまでして写真を撮ろうという意欲がわかなかったのだろうか? それとも自宅の部屋のどこかに紛れ込んでいるのだろう?

ホテルで一休みしたあと、15時半、オモニア広場からスニオン岬行きのバスに乗車。
スニオン岬は88年にも行っているが、この旅のテーマ「再訪」の締めくくりである。

17時半スニオン岬到着。アテネ市内から2時間。そこそこ遠い。

ポセイドン神殿を見た後(夕日は見られなかったか?)、19時のバスでアテネに戻る(19時45分到着)。

スニオン岬で知り合った一人旅の日本人と夕食。

<19日目>
帰国の途についた(帰路、モスクワ泊はなし)。

終わり。


          

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