エローラ、ビービー・カ・マクバラー、ムンバイ(ボンベイ) <11日目続き>エローラのヒンドゥー教石窟群を見学した後は、少し離れたところにあるジャイナ教石窟群に向かった。
滝を通り過ぎ、第29窟を見学した後(見学したはずだが写真は1枚も撮っていない)、少し離れたジャイナ教石窟群へ向かった。
これにてエローラ石窟群の見学は終了。かすかな記憶をたどると、基礎知識不足がたたり、2日連続した石窟と彫刻にやや食傷気味だったような気がする。それにフィルム節約癖が加わって、驚くほど写真も少ない(デジカメならば取りあえず撮っておいて後で確認ということをしたのだろうが)。今ならば、もっと丁寧に見学すると思う。 ジャイナ教石窟群からは、元来た道を戻ったのか、その近くに回しておいてもらったタクシーに乗り込んだのかは定かではない(ジャイナ教石窟群前に入退場ゲートがないと、この方法はとれないが、92年段階ではどうだったのか。ここを見てくれている人にとってはどうでもよい情報だと思うが、個人的には気になる)。
これで観光終了、ホテルに戻るのか、と思っていると、もう1箇所寄ってくれた。
17時少し前、ホテルに到着。 軽い食事をとってから、18時、オートリクシャーで駅へ向かった。(アウランガーバード市内での移動はもっぱらオートリクシャーを利用したが、当時はあまり観光ズレしておらず、料金交渉にも苦労しなかった印象が残っている)。 18時10分、駅に到着。 19時56分、列車は定刻から26分遅れて出発。 乗車したファーストクラスのコンパートメントの席は全部埋まっていたか? ところで、マンマード、アウランガーバード間とアウランガーバード、ムンバイ(ボンベイ)間とファーストクラス利用したが、いずれもACのない車両だった(つまり座席のクラスとしては、実は最上位クラスではなくAC2段寝台よりは料金が安かったと思う)。しかし、現在もACのないファーストクラスが残っているのだろうか? ACのない車両なので窓は開け放しで、出発を待つ間、蚊が入り放題だった。ということで、持参の蚊取り線香を携帯用のケースに入れて焚いてみたところ、同室のインド人に喜ばれたことを覚えている。 <12日目> 7時30分頃、ボンベイ(現在はムンバイ)の・ビクトリア・ターミナスに到着(現在はチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス)。 さて、ホテルをどうするかだが、当時、インドのホテル料金は安く、インドでしか泊ることができないだろうということで、オベロイ・ホテルへ向かった(安いとはいっても150ドルくらいした)。大奮発してタージ・マハル・ホテルにするという選択肢がなくはなかったが。しかし、高級ホテルに予約なしで行って、レセプションで「部屋はありますか?」というのは、今だとちょっと考えられない(ネットで予約を入れてから行くと思う)。
部屋に入りルームサービスで朝食をとって、その後、すぐに外出した。 まず行ったのがエア・インディア。 当時、エア・インディアの座席管理は信用されておらず、再リコンファームなるものが勧められていたような記憶がある。 続いて、インド門方面へ向かった。
その後、天気も悪く、夜行列車での移動疲れもあって、ホテルですごした。 <13日目> 10時40分、ホテルをチェックアウト。 11時、タクシーで空港へ向かう。 12時、空港到着。 17時、定刻から2時間遅れで出発。 <13日目> 9時半成田空港到着。 終わり。 |