
久しぶりのイスタンブール
一時、頻繁にトルコを訪れた。そのため、トルコ出入国の最も主要なポイントであるイスタンブールも頻繁に訪れた。2年あくと久しぶりという感覚もあった。
イスタンブールには、ある時期泊り続けたホテルがある。ホテルのスタッフと顔見知りになり、特にレセプションを取りしきっていたおばさんはとてもよくしてくれて、たとえば、ある夏の日には、若い男のレセプションの人に「涼しい部屋にしてあげて」などと指示してくれたりもした。そう、ここは冷房のないクラスのホテルなのだ。しかし、一応3ツ星。部屋はコンパクトな作りながら、バス・トイレつき。このクラスのホテルには珍しく小さいながらバスタブつき(とはいっても栓がなくなっており、お湯はためられないのだが)。
トルコのホテルの星の数の基準というものはよくわからないが、最初にとまったとき、ここは2ツ星だった。何かの設備を整えて3ツ星になったようだ。本格的な調理場を持ったレストランはなく、朝食用の食堂があるだけである。
しかし、あるときからそのおばさんの姿を見かけなくなり、それ以来、僕の足はこのホテルから遠ざかっていた。
それで、久しぶりにこのホテルに泊り、そのおばさんの消息を尋ねてみようと思った。てきぱきと仕事をこなす有能な感じの女性だったし、もしかしたら他のホテルに移って仕事をしているかもしれない。ならば、そのホテルにも泊ろうかなどとも考えた。
成田からは、まず、パリに飛んだ。16年前に食べた、定食3種類のみやってますというタイプの小さなレストランを探したいと思い。2年前の夏、中心部でさがしたが、かつてあったそういう店はなかった。そこで、今回はホテル予約サイトの「周辺にはレストランも多い」という案内を信じて、中心部からやや離れたクリガンクールというところにホテルをとった。
パリは冷たい雨であった。地下鉄のクリガンクール駅界隈には確かに食べるところは多くあったが、めざすタイプのレストランはなく、また、中国、インド、アフリカのどこかの料理を出すレストランが多く、なかにはネムルートという、名前を見た瞬間にトルコ料理とわかる店もあった(ネムルート山はトルコ東部の観光地で標高2000mの山頂にある墳墓、神像彫刻で有名)。これからトルコに行くのにトルコ料理でもあるまい。雨脚も強くなり、食べるところを一生懸命さがそうという意欲もうすれてゆき、結局はマクドナルドにはいった。
翌朝、10時すぎの便でイスタンブールへ向けて出発。
14時半すぎイスタンブール到着。
15時半のバスで新市街のタキシムへ出た。バスの運賃は9リラで、この金額が実に新鮮だった。というのは、僕がこの旅の前に最後にトルコへ行ったときは、デノミネーションの前で、空港バスも700~800万トルコリラだったのではないだろうか。まずは、お金の数字の変化に慣れなくてはならない。
タキシム広場につくと、バスのチケット売り場で「アクビル」を購入。イスタンブール市内のほとんどの乗り合いの交通機関で使える電子チケットである。残金が少なくなったらチャージをすればよい。首都圏のJRでスイカが本格的に普及する前からイスタンブールでは普通に使われていたように記憶しているが、記憶違いだろうか。

アクビル。バスやトラムや地下鉄に乗るとき、金属の部分をセンサー(これがピタッとはまる形をしている)におしつけて料金を払う。ということで日本で普及しているICカードのような非接触型ではない。 |
目指すホテルは、新市街のアメリカ領事館の近くの、中級ホテルが固まってある場所にある。観光地としてのイスタンブールの観光地としての発展は著しく、あちこちに新しいホテルができており、それらと比べると立地も今一つだし、年季がかなりはいっているのでみすぼらしい感じもする。
レセプションで部屋はあるかと聞くと、リニューアルした部屋と古いままの部屋があると言われたが、以前の感じをまた味わいたかったので、迷わず古いままの部屋を選択。しかし、悲しいかな、かなりくたびれた部屋だった。
部屋で一休みしたあと、ガラタ橋たもとのカドキョイまで出た。この辺にあまり高級ではないフィッシュレストランが並んでいるからである。めざす魚はハムスィ。アンチョビである。寒い季節が旬の魚らしく、夏場にはあまり見かけない。庶民的な魚で料理のリストの中では一番安い。旧市街のクンカプというところには、観光客がたくさん行く高級なフィッシュレストランが並んでいるが、ハムスィは出すのだろうか?
グリルしたハムスィにレモン汁をしぼり、軽く塩をふって、評判の高いトルコのパンと一緒に食べる。これがかなりいける。旅先でしか飲まないコーラもあう(僕にとってコーラは旅の味で、それをとっておきたいというのもあって、意識的に国内でコーラは口にしない)。

ガラタ橋。 |
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