コトル(モンテネグロ)


ポドゴリッツァのバスターミナルに入るとすぐにコトルまでのチケットを購入して、バスの出発時刻も確認せずにトイレへ。ちょうど1時をすぎたところだったので、バスはしばらく出ないだろうと勝手に判断。しかし、トイレからもどるとちょうどバスは出発したところだった。チケットを見るとちゃんと出発時刻が印字されており、そこには13時04分とあった(バスの時刻が印字されているが、チケット変更せずとも後のバスに乗れた)。幸い、コトルへは1時間に1本は運行されている。1時間は昼食をとったりするにはちょうどよい小休止だった。

14時04分のバスでコトルへ向けて出発。16時すぎコトル着。直線距離だと2時間かかるような感じはしないのだが、山の上から海岸の街へ下り、また山に登りまた下るというのを繰り返すのでけっこう時間がかかるのだ。

コトルの旧市街にはホテルが少ないのだが、幸いにして部屋は確保できた。
もう、16時を過ぎているし、日が暮れないうちに街を歩いておきたい。翌朝はクロアチアへ向けて出発するので、観光の時間がないのだ。

モンテネグロのこのあたりは険しい山に囲まれた複雑な湾が形成されている。コトルはそうした湾の最奥部にあり、背後には標高1700m余りの山もひかえており、海と山に囲まれた天然の要害となっている。

コトルはこうした立地をいかして繁栄した交易都市で、12~13世紀につくられたイタリア南部の建築様式の建物や、ヴェネツィアの支配下で、最盛期を迎えていた時期の建物が多く残されている。



ポドゴリッツァからコトルへの道(バスの車内から)。



コトル旧市街への入り口。


7時半頃、シュコードラ行きのバス乗り場に到着。バスの駐車場の管理者みたいな人にバスの時刻を聞くと(と言っても時計を指差しての身振りの会話だが)、どうやら「8時発」らしい。



コトル旧市街。裏手は険しい山。







山に城壁があるのが見えるだろうか?



街の背後の山への上り口。



奥に見えるのはコトル湾。湖のように見える。






翌日は、6時半頃チェックアウト。前日確認したスプリット(クロアチア)行きのバスに乗るべくバスターミナルへ。(発車時刻は7時ころだったか)

7時過ぎスプリットという札のついているバスが来たので、さあと思って乗ろうとすると、車掌が「ここで待っていろ」というジェスチャー。

そのバスは客を乗せぬまま出てしまった。

そして、待つこと約1時間。先ほどのバスが再びやってきて、今度は乗れた。これでめでたくスプリットまで移動できるわけだが、なぜバスが1時間も遅れたのか?

バスターミナルの時計は止まっており、バスの中の時計は自分のより1時間遅れ、モンテネグロ側のボーダーに着くと、そこの時計は自分の時計と同じ。しかし、日付がおかしかった。ドブロブニク(クロアチア)のバスターミナルで小休止した際、そこで見た時計はバスのなかのと同じ時刻を表示。車掌がバスの停車時間を僕に知らせるときは、車内の時計を指さして「○×分まで」と言っていた。

ということは、この日見たいくつかの時計のなかで、正しい時刻を表示していたのは、バスの車内のもの、そしてドブロブニクのターミナルのものということになる。つまり僕の時計は1時間進んでいたのだ。

これで、この間のことがわかった。

サランダで午後7時に夕食をとりに行ったはずなので、客がほとんどおらず、8時になってやっと増えてきたこと(実は僕が行ったのは6時で、7時なって増えてきたのだ)

ドレスのホテルで朝食は7時にとお願いして、7時すぎに食堂に行ったのにもかかわらず、7時半ころになってようやく食べることができたこと(実は6時に食堂に行って6時半から食べさせてもらったのだ。食堂のオバサンありがとう!)

ティラナで朝7時だというのに車の交通量が異様に少なかったこと(実はまだ6時だったのだ)

4時過ぎからコトルの街歩きを始めたのにもかかわらず、コトルの太陽はなかなか西に傾かなかったこと(実は3時時すぎから街歩きを始めていたのだ)。などなど。

まったく間抜けな数日を過ごしていたもんだ。アルバニアで時計を合わせたつもりが、それが間違いで、この間「一人サマータイム」をすごしていたというわけである。



バスの車窓から見たドブロブニク。


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