シリアにも緑豊かな地域があるのだ


3月11日、前日調べた7時の列車でラタキアへ行くため、6時半にホテルをチェックアウト。
 
列車は10分遅れで出発、11時10分頃ラタキア到着。車窓には緑が広がり(オリーブの木々など)、たいへんのどかな感じの2時間の汽車旅だった。ここで収穫されるオリーブの実からとったオリーブオイルが、有名なアレッポ石鹸の原料となる。

ラタキア駅に隣接するバスターミナルからバニアス行きのバスに乗り、バニアスからセルビスに乗り換えマルカブ城へ向かった。どうやらこの旅でもクラック・デ・シュバリエには行けない感じになってきたので、十字軍の時代のキャッスル・ベルト(地中海東岸沿いに城がたくさん並んでいる)の一つである、マルカブ城でも見ておこうというわけである(11時30分頃ラタキア発、12時10分頃バニアス着、昼食、13時頃バニアス発、13時10分頃マルカブ城への登り口着)



マルカブ城。





マルカブ城から地中海を望む。




 
3時少し前、この日の最終目的地タルトゥースに到着。この街は昔NHKで放送された「海のシルクロード」で知った。「地中海の海中から発見されたアンフォラという壺」、記憶はこれだけである。例によって旅に出る前の下調べは何もしていないので、博物館にでも行けば何かわかるだろうと思い、行ってみたが何もわからなかった。

アンフォラ以外のもう一つのタルトゥース訪問の目的は、アルワード島。フェニキア時代には、東地中海交易の一大拠点として栄えた都市国家アラドスだった場所。何もない島らしいが、船造りが盛んらしく、それを見てみたいと思ったのだ。



タルトゥース博物館。



タルトゥースの港。



船造りの現場。





アルワード島の地中海側の海岸。



日が傾いてきた頃、渡し舟でタルトゥースに戻った。


3月12日。

さて、この旅も終わりに近づいた。しかし、帰りの便はアンマンからである(なぜアンマン・イン、ダマスカス・アウトの航空券を買わなかったのか?)。ということで、アンマンにもどらねばならない。

9時発のバスでダマスカスに移動。昼頃、ダマスカスに到着し、この日はダマスカス泊を選択。

3月13日。
乗り合いタクシーでアンマンに移動。メモには、8時40分出発、11時過ぎ到着とあり、この日の移動も順調だったようだ。

ホテルの部屋を確保したあと、マダバの聖ジョージ教会に残る、モザイクで描かれた6世紀のパレスチナの地図を見に行った。この旅、最後の観光である。



聖ジョージ教会の床に残るモザイク画。エルサレムの地図、死海などが描かれており、興味深い。

     
                       終わり


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