<目次>
・ペトラはやはりペトラだった(このページ)
・ジェラシュ遺跡周囲の街は拡大した?
・後悔のダマスカス
・ベカー高原の大遺跡
・発作的にユーフラテス川を見に行った
・アラブのスークの雰囲気を感じたければアレッポのスークへ行け
・シリアにも緑豊かな地域があるのだ


   ペトラはやはりペトラだった


2001年、3月2日、深夜2時半ころ、ヨルダンのクイーン・アリア国際空港に到着した。3度目のヨルダンである。

今回は、まずレバノン行きが決まった。バールベックの大遺跡を初めとする各地の遺跡を見ようというわけである。レバノンへはシリアから陸路入国が便利なので、シリア行きも決まった。もちろんシリアのあちこちにも行く予定。しかし、旅程を考えるうちににどんどんレバノンの日程が縮まっていった。ヨルダン再訪を組み込んだからである。

さて、3度目のヨルダンとはいっても、前回の訪問が1993年3月だから、すでに8年が経過している。もうちょっとで一昔前ということになるわけで、大変懐かしかった。

93年はエジプトのヌエバから船でアカバに渡った。ちょっと変った経路でヨルダンに入国したかったからなのだが、なかなか味わいのある旅になった。

さて、話を2001年に戻そう。既に書いたとおり、93年に2度目のぺトラ見物をしたのだが、やっぱり、この地域に来て、見ずに帰るという気にはなれない。そこで、レバノン・シリア旅行にヨルダンをふっつけることにした。その結果、旅程が窮屈になってしまったのだが。

旅程が限られているので、空港で少し時間をつぶした後、4時半ころ、タクシーでアンマンのワヘダットにある乗り合いタクシーターミナルに向かった。

5時ころ、ターミナルに着いたが、この日は乗り合いタクシーの客がぜんぜん集まらない。5時というのは少し早すぎたきらいがあるが、それでも、長距離移動の人々はかなり朝早くから動くということがわかっていたので、すぐに出発できるのではないかと期待していた。しかし、期待は見事に裏切られ、ぺトラ最寄の街、ワディ・ムーサに向けて出発したのは7時半すぎだった。

10時半すぎワディ・ムーサに到着。そして、ホテルを確保してすぐに3度目のぺトラ遺跡見物へと向かった。8年間のうちにぺトラもかなりの変化があった。エル・ハズネとか、エド・ディルとか主要な見所は、もちろん以前のままだったが、まず、入場料が20ディナール跳ね上がり(91年は1ディナール、93年は5ディナール)、2日券(25ディナール)、3日券(30ディナール)というチケットも売られていた。また、エル・ハズネに向かうシークという道に簡易舗装のようなものが施されていたのにはやや興ざめだった。

しかし、やはりぺトラはぺトラで、2日券を購入して遺跡見物を堪能した。



シークを進んでいくと石畳が。以前には見られなかった?



簡易舗装(?)





またまた、やって来ました。エル・ハズネ。



エル・ハズネから、その前の広場を望む。向こう側に見える幅の狭い裂け目のようなものが、1km以上も続くシークという道の出口。





向こうに見えるのは劇場跡。







ぺトラ遺跡の一番奥というか一番上の方にあるエド・ディル。登り口があるレストランのあたりからの標準的所要時間は1時間ということだが、何分で着けるかチャレンジしてみた。結果は24分。おそらくかなりのタイムだと思う(笑)





エド・ディルから下って行くときに撮った写真。


ペトラ2日目。以前、訪問したときにはなかった遺跡エリアの詳細な情報をもとに岩場を歩いてみた。




探検感が強まってきた。





一般の観光ルートに戻ってきた(劇場跡)。


午後、車をチャーターして、スモール・ペトラと呼ばれるシーク・アル・バリドへ行ってみた。








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