| 竹原、御手洗(2025.09) |
大崎上島内は意外とバスの便がよく、うまく計画をたてるとそれほど移動に困らない(月~金曜日と土曜日、日曜日・祝日では運行体制がだいぶ異なる)。 白水港近くの大崎上島町役場前のバス停から大崎下島へのフェリーが出る明石港まで移動した。
大崎上島内のバスの利用者はほとんどが島民で運転手と客は皆顔なじみ。そのせいか走っているうちに運転手の頭から僕の存在が消えてしまい困ったことが起きた。 あるバス停で一人のおばさんが下車したのだが、下車の際、かなり長時間話をした。運転手もそのおばさんもバスの後ろの方にもう一人客がいることを完全に忘れているかのようだった。田舎のバスだし、客と運転手が世間話を長々と話すことは珍しくはないだろうと思ったし、大崎下島行きのフェリーの出発まではかなり時間があったので別に何とも思わなかった。しかし、その次くらいのバス停でかなり困ったことが起きてしまった。 とあるクリニック前のバス停で運転手がエンジンを切ってドアをしめてクリニックに行ってしまったのだ。ただ、クリニック通いの常連の乗客がいて、その人が手助けが必要な人なので、いったんバスを離れてクリニックに迎えに行ったのだろうと考えた。田舎のバスの運転手ならばそれくらいのことをしても不思議ではないと思った。しかし、5分たっても10分たっても運転手はクリニックから出てこない。これはちょっと変だ。バスを降りてクリニックまで行って運転手に声をかけようにも、彼はバスのドアが外からしか開けられないようにして出て行ってしまったのでどうしようもない。 幸いクリニックから出てきて帰ろうとしている車に向かって大きく手をふると気づいてくれた。バスの窓を開けてことの次第を話すと、クリニックに戻って運転手に声をかけてくれた。もどってきた運転手と話すと、やはり僕のことは目に入っていなかった。そのクリニックは終点(明石港)一つ前のバス停で、すでに最後の客(さっきのおばさん)を降ろしたと思い込み、クリニックで診察を受けるつもりで運行を中断したということがわかった。その後、運転手は恐縮しながら港まで走ってくれたが、面白い経験をすることができた。
フェリーは大崎下島の小長(おちょう)港に到着。そこから御手洗(みたらい)の歴史的町並みまで20分以上かかったか? 御手洗は瀬戸内海の真ん中あたりにあり、江戸時代、交易の中継点、潮待ち・風待ち港として栄え、日本遺産「北前船寄港地・船主集落」に指定されており、国の伝統的建造物群保存地区となっている。町の観光案内マップの記述によると、御手洗の町づくりは1666年広島藩の認可によって始まり、1806年伊能忠敬が測量の際滞在、1826年江戸参府の途次シーボルトが町娘を診察、1863年広島藩と薩摩藩が御手洗で密貿易を開始、1864年八月十ハ日の政変に際して都落ちした三条実美ら七卿が滞在、等々歴史的出来事があった場所ということだ。
御手洗には江戸時代の待合茶屋若胡(わかえびす)屋跡があり建物も残っているのだが、残念かがら修復工事中だった。 町を一通り散策した後、呉方面行きのバスに乗り呉線の仁方駅前で下車(大崎下島は橋で本土と結ばれている)し、JRを乗り継ぎ山陽本線の白市まで移動し、そこからバスで広島空港まで行って、JALの東京行きの最終便に搭乗。台風の影響で湿った空気が流れ込んでいたので、若干雨に降られる場面もあったが、何とか大きな影響を受けずに済んだ。 その日は東京の家の様子をみて翌日札幌に戻ったわけだが、その間に台風に追い付かれてしまう。台風の上陸はなかったのか? 温帯低気圧に変わったのか? 詳しいことは忘れてしまったが、朝からかなり強い雨で、お昼すぎには土砂降り。加えて雷鳴もとどろきだした。航空ダイヤも乱れに乱れ、搭乗予定の便の機材は羽田に到着したものの、客を降ろして出発準備をしている間に落雷を受けて運航がキャンセルされてしまった(落雷の影響で電気系統とかに障がいがでたのか? 詳細はわからず)。幸い別の便に変更することができ、その後天気も急速に回復して札幌に戻ることが出来た。
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