初めて佐賀県をちゃんと観光した(2025.05)
<両親が訪れた場所を訪ねる旅>
5月末、佐賀県に行ってきた。鳥栖でのコンサドーレの試合を見に行くついでにちょっと観光しようというわけだ。実は九州にはかなりの回数訪れているし、鳥栖戦にも何度も出かけているのだが、佐賀県を巡ったことがなく、これが自分史上初の佐賀県観光である。

コンサドーレと観光にもう一つ東京の家のチェックを組み合わせるという旅程を組んだが、札幌を離れられるのは最大2泊3日という事情があって、新千歳から福岡に飛んで、そこから鳥栖へ向かい、試合観戦後唐津に移動して1泊、翌日唐津周辺を観光して、夕方の飛行機で東京へ移動して東京の自宅で1泊して翌日札幌に戻るという日程になった。

この日程の最大の問題点は、鳥栖戦は前半の途中からしか見られないということ。福岡空港から博多駅は地下鉄で2駅ととても近く、博多から鳥栖へもうまく特急がつかまえられたら21~22分、サガン鳥栖の本拠地は鳥栖駅のすぐ裏という立地なので、飛行機が定刻通り飛んでくれればフルには試合を見られないものの、まあ許容範囲かという感じだった(加えてキャパオーバー状態で遅延が慢性化している羽田がからまない地方都市間の便は早着ということもままあるので、けっこう早目にスタジアムに到着できるかもという期待があった)。

しかし、結果は甘くはなく、搭乗した新千歳-福岡便は出発間際に整備必要箇所が出たらしく遅延、さらに当日は強烈な偏西風の影響でさらに遅延。試合の前半途中ににスタジアムに到着できる可能性は早々に消滅。

飛行機が遅れたときのことを考えて前売りチケットは勝っておらず、この時点で後半のみの割引当日券で入場するつもりで鳥栖へ向かった。

しかし、列車内でチェックした試合の速報で、2点先取され、さらにレッドカードで一人少なくなったことを知ってしまった。これは後半やりたい放題やられるパターンだ。この段階で心が折れてしまった。鳥栖到着後、駅から出ずにスタジアムから聞こえる歓声を聞きつつ佐賀方面行きの電車を待つことににした。まったくサポーター(というほど最近は熱心には応援していないが)にあるまじき行動だ。



鳥栖に行ったからには何か、と思って買ったのがこれ(鳥栖駅名物のかしわめし)。唐津での夕食とした。




佐賀発、西唐津行きの列車(唐津線)。



翌日はタクシーをチャーターして,いろは島展望台、浜野浦の棚田、名護屋城跡を回った。レンタカーの利用も考えたが、道中の景色を楽しむということを考えるた(そういう景色があるかどうか不明なのだが)。上記3箇所は唐津市内から意外と離れておらず15000円で済むというのもタクシー利用に踏み切った理由。



いろは島展望台からの眺め。ここのことは「日本縦断こころ旅」で知った。




いろは島展望台からの眺め。




いろは島展望台からの眺め。




浜野浦の棚田。夕日の時間帯が美しいらしい。



いろは島展望台、浜野浦の棚田の後、向かったのは名護屋城跡。
90年代の後半、両親は小樽-舞鶴フェリーを利用し、山陰、九州を巡るというかなり長いドライブ旅行をしているのだが、その時のアルバムに名護屋城跡の写真があった。写真を見る限り、九州では大分県、熊本県、長崎県がメインの訪問地だったようで、名護屋城跡は長崎県をめぐった後、舞鶴に向かう途次にちょっと寄ったという感じだ。天守台跡で撮った写真に写る風景がよい感じだったので、今回訪ねてみる気になった。



名護屋城跡。名護屋城は豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った際に本陣を置いた場所。教科書的には秀吉が日本を中心とする東アジアの国際秩序を築くため明の征服を考え、朝鮮に日本への服属と明への先導を要求したが拒否されて出兵したということだが、「日本を中心とする東アジアの国際秩序を築く」というのは”妄想”か?と思えるもので、そんな軍事行動で荒らされた朝鮮は甚大な被害をこうむった。また、出兵を命じられた諸大名たちもいい迷惑だったのではないか。










海が見える開けた場所に本丸跡がある。




天守台跡。両親が記念写真を撮ったこの景色を見に来た。天気が良いと対馬が見えることもあるとか。




天守台跡からの眺め。二つ見えている島の奥の方にかすかに壱岐が見えた。




天守台跡から北東方向を眺める。見えている橋は呼子大橋。その向こうに見える小島は鷹島。この島は付近の海底から鎌倉時代に来襲した元の軍船などの遺物がみつかったことで有名。






唐津市内に戻ったところでタクシーを降り、昼食後、少し街を歩いた。



旧唐津銀行本店(辰野金吾記念館)。唐津出身の辰野金吾が設計を依頼されたが、当時辰野は東京駅の建設(辰野が設計)で多忙だったため、辰野の監修のもと弟子の田中実が設計を担当し、明治45(1912)年3月竣工。




旧唐津銀行本店の内部。




唐津城。江戸時代、天守閣は建てられなかったらしいが、江戸初期の様式を想定して1966年に建てられた天守(模擬天守)がある。




模擬天守から東の方を望む。ちょっとわかりにくいが、街並みの向こうに、海岸に沿って弧を描くような松原(虹の松原)が見える。




浄泰寺。山門は名護屋城から移築されたものとされている。




浄泰寺の前の太閤道(名護屋城跡まで続く道))。



適当なところで街歩きを切り上げて福岡空港へ向かうことにした。



筑肥線、虹の松原駅。ここでは降りず写真を撮っただけ。虹の松原は、唐津湾沿いに虹の弧のように連なる松原で、唐津藩初代藩主寺沢広高が防風・防潮林として植林したのが始まりで、全長約4.5km、幅約500mにわたって続く松原(約100万本の松があると言われている)。三保の松原、気比の松原とともに日本三大松原の一つに数えられ、国の特別名勝に指定されている。