松山・卯之町・内子(2016.10)
2016年秋、コンサドーレはJ2リーグにおいて首位をキープし、翌年の四国遠征がなくなり九州遠征が鳥栖のみになることが見えてきていた。そこで、翌年の遠征費が減少することを前提に(前提が崩れなくとホントによかった)、四国・九州での試合の皆勤を目指した。ということで、10月初めの北九州戦に続き、中旬も松山へ遠征。

空港から松山城へ移動。


松山城。















お城の見物後、松山駅近くのホテルにチェックインして一休み。 その後、駅前からシャトルバスでスタジアムへ。 3度目の松山遠征だったが、やはりスタジアムへのアクセスは悪く、駅から50分を要した。



試合開始前。




ハーフタイム。オレンジ色の大きなものは牛鬼。 毎年、7月、宇和島で行われる牛鬼祭りで登場する牛鬼は、5~6メートルの牛をかたどった竹組みの胴体に丸木で作られた長い首と鬼面の頭、剣をかたどった尻尾がついており、全身はシュロの毛または赤色の布で覆われているようです。スタジアムで披露された牛鬼は形は同じですが、色は愛媛FCカラーのオレンジ色。実際の牛鬼は長い首を振りながら練り歩き、家ごとに首を突っ込んでは悪魔払いするようですが、スタジアムの牛鬼はスタンドに首を突っ込んでいました。 愛媛FC応援のための出し物ですので、(勝利を願う)悪魔払いはホームのゴール裏とバックスタンドの一部だけで終わりました(単に時間がなかっただけ?)。 しかし、こういう郷土色豊かなゆる~い出し物は嫌いではありません。



ちなみに試合は2-2の引き分けだった。


翌日、 まずJRで卯之町(西予市)というところに向かった。ここには江戸時代からの街並みが残っている。



卯之町の街並み。







街並みを抜けると、四国八十八カ所の札所への道標が。 片道2キロ弱でしょうか?(もう少し近かったか? ただ、けっこうな上り下りのある道でした)。何人かのお遍路さんとすれ違い、「こんにちは」と挨拶をしながら進みます。




明石寺(めいせきじ)。




明石寺。




卯之町に戻ってきました。写真は造り酒屋。店内の見学をさせてくれます。




造り酒屋の店内の帳場の上には明り取りがあって、日が差し込んでいます。電気のない時代に作られたものということです。しかし、そのうちそれとなく、酒のセールスが始まりました(汗)。この先も歩くし、そもそもアルコールは弱いし。。。 お礼を言って店を出ました。




1882年に町民の寄付によって建てられた西日本最古級の小学校。




町外れにある、宇和米博物館(この日は休館)。木造の旧宇和町小学校校舎を移築したもので、その名の通り米・農耕に関する資料を展示しているようだけれど、ここの109mの長い廊下を使った雑巾がけレース(Z-1グランプリ)が数多くの人が参加する名物イベントとなっているらしい。



卯之町からは内子へ向かうつもりだったが、列車までまだだいぶ時間がある。駅前にバス停があり時刻表を見てみると、大洲を通って松山方面へ向かうバスがあったので、それに乗って大洲まで行くことに(列車の車窓に綺麗なお城が見えたので、それを見るため)。



大洲の街並み(もっと有名な街並みがあるようですが、何も調べて行かなかったので見落としました)。




ポコペン横丁。昭和30年代の色々なものを集めているよう。




ポコペン横丁。




ポコンペん横丁。蔵を利用した昭和30年代の横丁を再現した展示施設みたいなものもあったはずだが、記憶が不確か。。




大洲城。天守閣は2000年代に入って再建されたものだが、近世初期に建設された天守閣をかなり忠実に再現した木造の建物。(時間がなかったので遠くから眺めただけ)







伊予大洲駅のホームから。 最後は、明治から大正にかけて蝋の製造で栄えた内子へ。




下芳我家住宅(蕎麦屋をやってます)で遅い昼食。




内子の街並み。







内子の街並み。




上芳我家住宅




上芳我家住宅




内子の街並み。




内子の街並み。




内子座。



以上で、愛媛遠征・観光終了。