V・ファーレン長崎戦と長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(2015.08) |
2015年8月8日、長崎へ出かけた。目的はこの日のV・ファーレン長崎と戦うコンサドーレの応援と翌日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。(この時のことは、コンサドーレがファン、サポのために用意していたブログに書いたので、それを再構成してアップすることにした-2025年8月) 午後の東京ー長崎便に搭乗したが、平和祈念式典に参列する国会議員が搭乗していたり、長崎からの放送のためTBSのサンデーモーニングの出演者も搭乗していたりした。 長崎空港到着後はバスでV・ファーレンのホームスタジアム長崎総合運動公園陸上競技場(2016年8月からトランス・コスモススタジアム長崎)のある諫早へ移動(2024年の秋からV・ファーレンは長崎市内にオープンしたピース・スタジアムをホームスタジアムとしている)。 空港からのバスが諫早駅に到着したのは、あいにくシャトルバスが出た直後で、次のバスを待たずに歩いてスタジアムへ行くことにした。 西日がきつく暑くはあるが、猛暑日続きの東京で慣れてしまったせいなのか、やや気温が低いのか、東京とは風が違うのか、それほどの苦痛もなく20分強でスタジアムの入口に到着。
試合は0-0の引き分け。試合終了後はJRで大村に移動して宿泊。9日は平和祈念式典に加えて原水爆禁止世界大会も開催されており、かなりはやく旅程を決めたのにもかかわらず、長崎市内ではホテルがとれなかったのだ。
長崎は学生時代以来4度は訪問していると思うが(この後も何度か2度くらい訪れたか?)、平和祈念式典のタイミングでの訪問は初めてある。よい日程で試合が組まれていてよかった。”日程君”ありがとう、という感じ。(日程君とはできるだけホームとアウェイの試合が交互に開催されるようにする、各クラブの特別な事情があればそれも考慮しる、などさまざまな条件に基づき日程を決めるコンピュータソフト) 8時少し前の列車で大村をたち、浦上から市電に乗り換え、9時半ころ式典の会場である平和記念公園最寄りの停車場である松山町に到着。
式の開始時刻(10時35分)まで50分くらいあるが、すでに一般の参列者用の席はいっぱいで、酷暑のなか立って待つことに(もちろん式典も立ち見)。一応、木の下に立っていたが、葉がまばらで日をさえぎる効果はあまりなく、汗だくになりながら開式時刻を待った。
被爆者の方々による合唱で始まった式典は、原爆死没者名奉安、式辞、献水、献花(ご遺族、三権の長、各政党の代表、諸外国からの来賓、参列者の代表らによる)を経て、原爆が投下された11時2分に黙とう(この時刻は絶対はずせないはずなので、ここまでの式の進行にはものすごく気をつかうのだろうなあ)。黙とうの際には長崎市内にサイレンが鳴り響いた。 このあと、長崎市長による「平和宣言」、被爆者代表の方による「平和への誓い」と続いたが、「平和への誓い」のなかで話された被爆時のお話は、月並みな表現だがずっしりと心に響いた。 その後、小学生による合唱をはさみ、来賓の挨拶があり、最後は女子高校生による合唱となった。(11時48分ころ閉式) テレビの中継でしか見たことのない式典だったが、現場に立ってみると、そこでしか感じられない空気感があって、とてもよい経験となった。
爆心地公園からすぐのところには長崎原爆資料館があるが、自分は被爆者の証言・体験談を読んだだけで、その情景が頭の中で再現されてしまうという性質で、資料館に行ってもその展示物を直視するのは無理だろうということで、その後は長崎市街に戻って昼食をとり、大浦天守堂とその界隈、復元された出島を見た後空港に向かった。
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