トルコ再訪
 
(シリアまではかなり詳細な旅日記を書いていたが、トルコ入国2日目からは、何故か旅日記を書かなくなった。どうしてなのかは思い出せないが、トルコには1年半ほど前に訪れており、新鮮な気持ちになれなかったからかもしれない。ということで、ここから先はごくごく簡潔な記述のみになります)

(3月23日)
まだ、夜が明けきらない6時、ホテルをチェックアウトして、トルコ行きバスの乗り場へ向かう。(乗り場は街の中心部にあり徒歩ですぐであった)。

定刻の6時半、出発。(バスはトルコの会社のバスだったと思う)

ところで、乗客はわずか3人。こんなので商売になるのかと不思議だが、その辺の事情はわからない。アレッポからトルコにかけての地域は、砂漠地帯という感じではなく、バスは、青空の下、白っぽい岩の間に草が生えた平原のようなところを快調に走っていった。

時折鳴らすクラクションが変わっていた。「ヒュッ、ヒュッー」という感じの口笛のような音なのだ。この音が、天気、景色とあいまって、気分を爽快にさせた。

しかし、快調だったのは、シリアのボーダーまで。僕の出国手続きはあっけないほど簡単に済んだが、同乗のトルコ人2人が若干てこずり、さらに、3人がボーダーで新たに乗り込んできた。

トルコ側でも僕の入国手続きはあっさり済んだ。入国審査官は前回の訪問時のスタンプを見て「2回目か」と笑いながら、パスポートを返してくれた。

銀行で若干のトルコリラを手にいれ、アンタクヤ(バスの目的地)から先をどうするかと考えながらバスに乗り込んだが、まったく動く気配がない。同乗のトルコ人が入国手続きに手間取っているのである。入国審査後も税関でかなりもめているようで、結局、税関通過に2時間もかかった。

昼前、アンタクヤのオトガル(バスターミナル)に到着。バスを降りて、うろうろしているとすぐに客引きにつかまった。とたんに僕は、トルコに再訪したことを実感して、うれしくなってしまった。トルコの多くのバスターミナルでは、客引きのような人がいて、客が来ると、どこへ行くか尋ねて、自分の会社のバスに乗る客ならば、自分の会社のチケットカウンターに連れて行き、そうでなければ、あっちのカウンターに行けと教えてくれたりする。国によっては、この手の人間はチップ目当てで客に接しているのだが、トルコでは、まったくバスターミナルのシステムの一つとなっている(巨大なターミナルではインフォメーションの世話にならねばならない場合もある)。そうしたトルコ独特のシステムに接して、懐かしさからうれしくなってしまったのである。

可能ならば、今日中にイスタンブールに飛びたい。この地域の大都市アダナまで行けば、イスタンブールへの便があるだろう。ということで、次の目的地はアダナ。客引きに「アダナ」というと、「すぐにある」という。近距離区間のバスはしばしば、チケットはバスのなかで車掌から買うようになっているのだが、アダナ行きのバスもそうであった。

バスの中ではアダナへ行く学生と隣り合わせになった。彼にトルコ航空のオフィスの場所を聞くと、「アダナにはトルコ航空のオフィスはない」というではないか。「アダナは大都市だし、そんなはずはない」と話すと、アダナ到着後(2時間くらいで着いたか?)、あちこちの人に聞いてくれて見つけてくれた。現在は『地球の歩き方』にアダナのかなり詳細な情報が載っているので、この時のような苦労をすることはないが、そうした苦労は旅の楽しみでもあり、ある意味よい時期に訪れたといってよいのかもしれない。

アダナ-イスタンブール間の航空券は、夜遅い便のものが買えた(メモがないので正確にはわからないが20時すぎであったか?)。ここで、案内役を果たしてくれた学生さんと別れた(ここまで付き合ってくれるとは感謝、感謝である)。

イスタンブールに着いたのは22時頃。夜遅いので、空港のホテル予約カウンターで旧市街のラレリーにあるホテルを予約した。この旅初の旅行会社を通じてのホテル確保だった。


(3月24日)
イスタンブール一泊目のホテルは、若い西洋人の団体が深夜まで騒がしく、落ち着けなかった。ということで、朝食後、次のホテルを探しに街へ出た。ヨーロッパ方面からの鉄道の終着駅であるスィルケジ駅近くで部屋を確保したあとは観光。今、当時のメモを見ながらこれを書いているが、チャイグラスやチャイなども買ったようだ。今、食器棚の奥の方にチャイグラスがあるが、それはこのとき買ったものだったか。

それから、アテネまでの航空券も購入した。この時の日本からの航空券は、カイロ・イン、アテネ・アウトというものだったのだ。

(3月25日)
この日もホテルを変えた。前日のホテル、宿泊料金は10ドルくらいと手ごろだったが、館内のペンキを塗りなおしたばかりで、やはり臭いがけっこうきつかった。そこで、向かったのは新市街。昔はシシャーネというところに、トルコ空港のヘッドオフィスがあり、空港バスの発着点になっていた。そのトルコ航空オフィスのほど近くに中級ホテルが並んでいる場所があり、選択したのは、そのうちの一軒で、この後、しばらく僕のイスタンブールにおける常宿となったホテルである。

(3月26日)
イスタンブール3日目。あまり観光意欲もわかず、ガラタ橋の近く、エミノニュの船着場から観光船に乗って黒海の入り口に近いサリエールまで行った。サリエールからはローカル船に乗ってエミノニュに戻るつもりだったが、サマータイムに変わったことを知らず、船を逃してしまう。まったく間抜けである。しかし、ここでサマータイムになったことに気がついたおかげで、翌日のアテネ行きの便の搭乗手続きは余裕をもって行うことができたのだが。


アヤソフィア寺院
アヤソフィア寺院。


イスタンブール大学のあたり
イスタンブール大学のあたり。バスは時代を感じさせる。


ドルムシュ
イスタンブール旧市街を走るドルムシュ(乗り合いのミニバス)。


ドルムシュ・ステーション
ドルムシュ・ステーション。


イスタンブールのバスステーション
当時、テオドシウスの城壁のトプカプ門の外側にあったバスターミナル。


テオドシウスの城壁の上にたつ市
当時、毎日曜、テオドシウスの城壁のところにたった市。


エミノニュの船着場あたり
エミノニュの船着場のあたり。


サバサンド販売船
イスタンブール名物のサバサンドを売る船。今ではまったく変わってしまった。



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