瀋陽(1)

<5日目続き>
まず、ホテルに荷物を置き、瀋陽故宮博物院へ向かった。

瀋陽故宮博物院は清朝草創期の宮殿で、清の初代皇帝太祖ヌルハチと2代皇帝太宗ホンタイジがこの宮殿に住んだ。やがて清が明を倒し、北京に遷都されたが、遷都後も歴代皇帝はここに行幸している。

敷地内には、赤い瓦を載せた、17世紀前半の建築物が立ち並んでおり、それらがとても美しい。



上で建物が美しいと書いたが、しょっぱなから修復工事中で”美しくはない”。




鳳凰楼。美しく風格のある建物だと思う。



早くも何という建物かわからなくなってしまった。



門を通して向こうの建物を撮るため、シャッターチャンスを待ったが、観光客の波が途絶えることはなく、妥協して撮った一枚。




皇帝が式典を行う大政殿(八角殿)。正面から撮影するのを忘れてしまった。




敷地内で劇が行われていた(京劇だと思いますが)。




甍が沢山見られるポイントがあったので一枚。




玉座だと思います。



故宮博物院の後は、すぐ近くにある張氏帥府博物院へ。

ここは奉天軍閥張作霖とその長男張学良の官邸兼私邸。



張学良の像。




1916年から22年まで張作霖が執務室とした建物(だったと思う)。




上の写真の建物の窓の下のレリーフ。




大青楼内に展示されていた写真だったか? 柳条湖事件(写真にある「九一八事変」)のあと、国際連盟が派遣した調査団の団長リットン(中央)と張学良(右)。日本の関東軍が日本の経営する満鉄線を自ら爆破し、これを中国側の行為だとして自衛のためと称して戦争を始め、満洲全域を日本の支配下においたが、こうした日本の行動を中国が国際連盟に提訴し、リットン調査団が派遣された。しかし、むちゃくちゃな「自衛」名目だ。




大青楼(1922年建設)。




小青楼。張作霖の婦人や子女が居住した建物だが、1928年、関東軍が満洲占領を企図して、張作霖を列車ごと爆破して殺害しようとした際、瀕死の状態の張作霖が運ばれ息を引き取った場所。張作霖は爆破現場で亡くなったとばかり思っていたのでとても勉強になった。



張氏帥府博物院を見学したあとは、近くの金融博物館へ。



旧辺業銀行(1926年建設、現金融博物館)。




金融博物館内部の昔の銀行の様子を再現した展示。




これも金融博物館内部。



金融博物館の見学のあとは、故宮博物院の前を通ってホテルへの帰途についた。



故宮博物院の何の扉かは確認しなかったが、綺麗な朱色の扉。




故宮博物院前の道。




本日の宿、遼寧賓館。かつて南満州鉄道(満鉄)が経営していた奉天ヤマトホテルの建物を利用したホテル。ものすごく高いというわけではない。