ペルー再訪 

<6月20日>
この日の深夜の便でペルーへ向かうことになっているが、手持ちのブラジル・レアルが若干足りない。10時少し前、ホテルのレセプションに行き両替ができる場所を尋ねると、近くのショッピングセンターに両替所があるという。レセプションの人の知人らしい近くの本屋の経営者が「ショッピングセンター方向に行くから乗せてあげるよ」というので、ご厚意に甘えさせてもらった。

ショッピングセンターの両替所はブラジルの治安状態を反映して厳重な警備体制がしかれていた。しかし、パスポートがないと両替できないと言われてしまい、歩いてホテルに戻って出直した。さすがに、今度は送ってくれる車はなく、徒歩で往復し、11時すぎホテル帰着。

わずか30ユーロの両替のため、1時間強の時間をかけてしまったが、時間がたっぷりあるので、むしろ良かったというべきか?

11時半、ホテルをチェックアウトして、ロビーで少し時間をつぶし、ホテルの10レアルランチを食べた後、空港に向けて出発した。

空港は日本人だらけで、その中には岡田武史氏もいた。また、FC東京で活躍したルーカスとそのファミリーもみかけた。

他の便もそうだったと思うが、僕の搭乗便の乗客は大半が日本人で、日本の国内線状態だった。そして、僕の席から通路を隔てた斜め後ろには藤田俊哉氏が。



ナタルの空港。



16時にナタルを出発し、19時40分頃サンパウロに到着。飛行機のドアが開けられると、レシフェ、ナタルとはまったく違うひんやりとした空気が入ってきた。広大なブラジルは、地域による気候の差も大きいのだ。

その時、藤田俊哉氏と同行の人との会話が聞こえてきた。藤田氏は「この気候で調整して(日本チームが拠点としたのはサンパウロ近郊のイトゥというところ)、レシフェ、ナタル(で試合)だと暑いよね」と話していた。

日本チームがグループリーグを勝ち抜くことができなかった要因は沢山あるのだろうが、トレーニング地と試合会場との気候差も大きかったのかもしれない。涼しいところから暑いところに行くと、なかなか体は順応しないものだから。自分が応援しているコンサドーレも北海道がそれなりに暑くなる時期は本州以南での試合でもある程度動けるのだが、北海道がまだ寒く(涼しく)、本州以南がすでに夏の暑さになっている時期に一番動きが鈍くなることが多いという印象である。

サンパウロ到着後、まずは腹ごしらえをした。ブラジルに来てから、食事はホテルでしか摂っていないので、システムがよくわかなかったが、皿1枚につきいくら(料理は皿にのるだけ選択できた-ワンプレーと定食とでもいうべきもの)というタイプのレストランがあり、そこで食べた(何を食べたかはメモがない)。

食事を終えると一気に何もすることがなくなってしまった。早目にチェックインして、ラウンジでゆっくりしたいが、ペルー行きの便の出発時間は午前3時50分で、なかなかカウンターが開かなかった。

そして上でも書いたが、サンパウロはけっこう寒かった。この旅では基本的には寒さ対策はしてこなかったので、この寒さはこたえた。

日付が変わった0時半、ようやくチェックイン開始。運よくプレミアム・エコノミーにアップグレードしてもらえたが、ラウンジの営業は23時半で終了しており、搭乗待合室で寒さをこらえた。

3時少し前、ようやく「まもなく搭乗」というアナウンスが流れて列に並んだが、ここからさらに30分待たされてようやく搭乗した。


ところで、この世界一周旅を思いついた当初、ペルー行きは考えておらず、ワールドカップ観戦後、少しブラジル観光をしてから、アメリカを経由して帰国するつもりだった。

最初はレンソイス・マラニャンセス国立公園へ行こうと思っていたのだが、よく考えると案外綺麗ではないのでは、と思えてきたのだ。ここは白い砂丘が広がり、5~10月の雨季には、白い砂丘の間に多くの湖が現れるという場所なのだが、広大すぎて遊覧飛行でもすれば別だが、地上からだと見える範囲が限られ、それほどでもないのではと思ったのである。実際、インターネットで見られる写真にも今ひとつインパクトが感じられなかった。

そこで思いついた選択肢は2つ。1つは乾期のウユニ塩湖(ボリビア)、もう1つがナスカの地上絵(ペルー)だった。前者は一度雨季に訪れたことがあるが、塩湖の水が完全になくなった真っ白な平原も見てみたいという理由から候補となった。後者は、前回の訪問時には時間の都合で、地上絵を間近に見られるミラドール(観覧用のやぐら)に行けなかった、フィルム(当時はまだフィルムカメラだった)をケチったため地上絵の画像をあまり撮れなかった、その後、新たな地上絵(パルパの地上絵)が発見され見物が可能になった、などの理由から候補となった。前者は所要日数的に訪問は難しく、そこでナスカをめざすことにした。



<6月21日>
7時20分ころリマに到着。リマでの宿泊は日系人の経営するペンション(当山ペンション)。到着口で出迎え担当者と落ち合い、ペンションまで移動。

荷物を置いて一息ついた後、まず、近くの銀行のATMでペルーの通過ソルを確保。その後、翌日のナスカ行きのバスのチケットを買いに出かけた。

ペルーのタクシーにはメーターがついておらず、いちいち運転手と交渉しなければならない。しかし、メーターではないことにはメリットもあって、遠回りをされて余計な金額を払わされるということはない。地元の人に聞いて相場さえわかっていれば、観光客であってもけっこう安心して使えるのである。もちろん、相場を知らなければとんでもなく高い金額で乗らなければならない可能性もあるのだが。

ペンションで一応の相場を聞いてから、オルメーニョというバス会社へ向かった。ペルーのバスは基本的にはバス会社の建物のある場所から出発するので、ターミナルへ行って多くのバス会社の出発時刻や料金を比較してチケットを買うということができない。オルメーニョ社は前にナスカへ行ったときに使ったバス会社で、現在はどんな感じになっているか興味があった。また、そこから徒歩圏内にクルス・デル・スール社もあり、どちらかで確実にチケットが確保できるであろうという計算である。

オルメーニョ社に行ってみると、前に来たときはもっと立派だったように思うが、時間が過ぎた分だけ寂れてしまったという感じ。翌日のナスカ行きの便について聞くと「ない」という回答。しかたがないので、クルス・デル・スール社へ向かう。こちらは立派なターミナルで、随分と繁盛している感じだ。

ナスカ行きの便は朝早い時間帯と午後に何便かずつあり、僕は翌日の朝7時半の便を選択。チケットの料金は73ソルだった。

ナスカ行きのバスのチケットを確保したので、この日やるべきことはなくなった。あまり寝ていないのですぐに宿にもどって部屋でゆっくりとも考えたが、新市街のミラフローレス地区に出て、市内観光ツアーの情報を得た後(これは、と思える情報はなかった)、昼食をとってから宿に戻った。



ミラフローレスの中央公園のあたり。様々なタイプの絵が売られていた。



夕食はペンション近くにあった日本食レストランで摂った(何かの会館みたいなところに入っていた)。ペルーにも日系人社会があり、客の多くは日系人だっただろうか? お茶は無料で「ああ日本式だなあ」と思った。天ぷら定食を注文したが、これについてきた吸い物にはうどんが入っており(記憶が定かではないのだが、蕎麦ではなかったと思う)、天ぷら定食・小うどんセットという感じで、腹がパンパンになったことを覚えている。

帰りがけにはパン屋に寄り、明日のバスで食べるためパンを2つ買った。長距離バスなので食事休憩があるとは思うのだが。。。



<6月22日>
朝6時半、同宿の人たちがまだ寝静まったなかペンションを後にする。朝早いが、近くのショッピングセンターの駐車場には数台のタクシーが止まっており、そのなかの一台に声をかけて、クルス・デル・スール社まで移動。

バス会社で待つことしばし、チケット売り場の前に日本のテレビ局の撮影クルーがいた(スタッフの一人に尋ねたところテレビ東京の番組の撮影とのこと)。彼らとは同じバスでナスカまで移動することになったが、バスに乗り込んでみると、自分の前の席一帯が彼らの席だった。前日、バスの座席を指定したとき、すでにけっこう埋まっていたのは、彼らが押さえていたからなのであった。撮影はその場でチケットを買うという設定のようだったが、当たり前だが、前日から押さえてあったのだ。

乗車前に、まず大きな荷物のチェックインを行う(これは係員がバスの荷物室に入れる)。そして、乗車の際に車内に持ち込む荷物のチェックを受けて乗車となる。このシステムは以前に来たときと基本的には変わっていないと思う。

リマを出発したバスは、パラカス、イカと停車してナスカまで行く。パラカスはペンギンや海鳥の生息地として有名なバジェスタ島への船が出る街で、また、ここからナスカの地上絵の遊覧飛行も出ていてけっこうな観光拠点となっている。実際、ここでかなりの数の観光客が下車した。




日本のテレビの撮影隊。旅人は内藤大輔さんと河相我聞さんで、写真はバスのチケットを購入している(という設定)の場面。




バスの車内。内藤さんと河合さんは右上に見えるテレビの手前の席に座っていた。途中、パラカスでだっただろうか? 小休止があり、その際、内藤さんとちょっと話をした。テレビで見る飾らない、あのまんまの方だった。




バスで出された朝食。昼食は出なかった。飲み物のサービスもあった。




パラカス。街と幹線道の分岐点で撮ったもの。




イカ。この街の近くには広大な砂丘が広がっている。



15時過ぎナスカ到着。予約していたホテルへ向かう。

ホテルに荷物を置いた後、すぐに翌日の地上絵の遊覧飛行を申し込みに出かけた。

遊覧飛行の料金はまちまちで、いくつかの旅行会社を回って決めた方がよい。ということで、まず、ホテル近くの会社を訪ねた。聞くと遊覧飛行には2種類あって、一つは以前からあるルートで所要時間は35分くらい。もう一つはパルパの地上絵まで行く、飛行時間1時間くらいのもの。前者の料金は空港までの送迎もついて75ドル。後者の料金は一気に跳ね上がって160ドル。両方とも『歩き方』に乗っている料金よりも20%以上安い。探せばまだ安いフライトがあるのかもしれないが、ガイドブックに掲載されている金額よりも安いなどということは、長い旅行経験のなかでもめったにないことである。ということで、この会社で遊覧飛行を申し込むことにした(ちなみに、上で書いたテレビ東京の番組でも出演者が地上絵の遊覧飛行に参加したのだが、帰国後番組を見たところ料金は100ドルであった)。

今回2度目のナスカ訪問を決めた経緯から、参加すべき遊覧飛行は1時間コースなのだが、一つ問題があった。料金が高いので参加者が集まりにくいのだ。参加者が少ないと、その遊覧飛行は催行されず、30分コースで我慢しなければならない。「明日の朝までに何とか参加者を確保したい。とりあえず、今は35分コースの料金を支払って、明日の朝、1時間コースが催行ということになっていたら残金を支払って」といわれ、75ドルを支払いバウチャーを受け取り、そのオフィスを後にした。

その後、ナスカの街を少し歩き、ホテルに戻った。



ナスカの街の中心、アルマス広場。




市場を散策。日曜市でにぎわっていた。




これも市で撮ったもの。誕生会が行われていた。




宿泊したホテル。プールもある高級ホテルだが、日本円で6000円代で泊れたので選択。もちろんレストランもあり、この日の夕食はそこで摂った。メモによると「野菜スープ、牛肉・たまねぎ・トマトの炒め物、水でしめて30ソルだったようだ。3週間ほどの旅なので、この程度の贅沢をする余裕はある。