棚田、棚田、棚田(元陽)
建水のホテルもまだ明けきらないうちにチェックアウト。
朝食は前日街のパン屋でかったパン。
l早朝の建水(ホテル前の道)。 |
朝陽楼を正面から撮影。 |
定刻が7時41分という中途半端な出発時刻のバスで元陽に向けて出発。
元陽への道は昆明-建水間の道とはうって変わって悪路。昔舗装したが、メンテナンスができてませんという道で、久しぶりでホッピング・バス(飛び跳ねるバス-バスが飛び跳ねるわけではないが、縦にも激しくゆれるので、一瞬尻が座席から離れる)を味わった。短い時間ならば楽しいが長い時間は疲れる。
これが乗車したバス。中国ではバスは基本的には禁煙になっているが、これは喫煙可。中国の成人男性の喫煙率は異様に高いので、喫煙可のバスはけっこうつらいものがある(日本を含めて、世界各地でけっこう禁煙が進んでいるので、以前よりタバコの煙に弱くなったというのもあるしれない)。しかし、皆かなりの頻度で吸う。昔は禁煙のバスなど存在しなかったが、中国人民に経済的余裕がなかったからなのか、なぜかわからないが、乗客が皆してタバコを吸うということはなかったような。。。幸い寒くはないので窓を開けるということができるのでしのげたが。 |
車窓に広がる景色。これは畑か、はたまた水を引き込む前の水田か? |
10時半ころ、元陽の南沙鎮に到着。棚田観光の拠点になる元陽の新街は、30㎞くらいはなれているが、バスや乗り合いタクシーなどで移動でき、僕はバスターミナルの前で街角の物売りに、新街へのバスを尋ねているところを、乗り合いタクシーの運ちゃんに強引な客引きにあい、ひっぱられるまま、車に乗り込んだ(ぼったくられることはなく、『歩き方』に一人15元とあるのだが10元で行ってくれた)。
南沙鎮と新街は距離もけっこうあるが、もっと違うのは高度。南沙鎮はだいたい240m~250mだが、新街は1600m近く。
新街でホテルで、「干ばつ」の深刻さを知った。日本を出る前にニュースで少雨についての情報を得ていたが、ホテルのレセプションで「没有水」で、ホテルの部屋も給水なしだと言われた。ただ、完全な断水ではなく、長い時間がすぎると、いつのまにか水洗トイレのタンクに水がたまっているくらいの給水はなされていた。
しかし、干ばつとなると、棚田の状況が気にかかる。
元陽の棚田は、稲刈り後から田植えまでの間、水田に張られた水に日の出や日の入り時に太陽の光が斜めに差し込んで、大変奇麗だといわれている。それが見られないとなると、魅力は半減である。元陽への車窓から見た棚田っぽいところには水がなかったし、心配である。
ホテルに入るとさっそく、棚田観光の車(三輪車だったが)の売り込みがあり、17時出発でお願いして、昼食がてら街歩きに出た。
ここは紅河ハニ族イ族自治州のほぼ中心に位置し、少数民族色は濃厚であった。
新街の街には民族衣装を着た女性がたくさんいた。 |
日曜日だったせいか、街はけっこうな賑わいを見せていた。 |
新街の街は斜面に広がっており、こんな坂道が沢山。 |
さて、いよいよ棚田観光である。『歩き方』のよると、みどころは、「は(土に覇)達梯田」、多依樹梯田、老虎嘴梯田の3箇所があって、運転手は、夕方は三つ目の老虎嘴梯田がいいと盛んに勧めるが、『歩き方』ではこの老虎嘴梯田の評価が一番低い。棚田と展望台が離れすぎているというのがその理由。多依樹梯田は普通朝日ねらいのカメラマンが集まるらしく、夕方は勧めないという感じ。
僕の選択は「は(土に覇)達梯田」と多依樹梯田。前者は夕方の名所、後者は棚田を順光で見たいという理由での選択。老虎嘴梯田は『歩き方』の評価を信じてカット。朝日はそれほどこだわらないし、朝早いうちにベトナムへ向けて移動したいので、見ないと決断。
有名な展望台は上記の3箇所だが、そこかしこで棚田がよく見えるところがあり、すごいとしかいいようがない。ここの棚田の歴史は1000年以上前までさかのぼることができるといわれるが、米作りへの執念のようなものが感じられる。自分に写真で表現できる力がないのが残念だが、とにかく大規模。稲が植えられた状態や、黄金色に輝く収穫時にも来てみたい場所だ。
一応水が引き込まれており一安心。少しもやっているが、元陽は霧の多い地域らしく、数日間滞在しても、棚田を見渡すことができない場合があるらしい。 |
「は(土に覇)」達梯田。幅3㎞、長さ5㎞、高低差300mあるという。 |
西日が反射してきれい(「は(土に覇)」達梯田。 |
こっちは順光で見た多依樹梯田。 |
集落があり、その下に棚田は広がっている(多依樹梯田)。 |
多依樹梯田とは別の場所(だっただろうか?)。奥の方の棚田には水がない。どうやら干ばつの影響らしい。三輪車のドライバーも水がないようなことを言っていた。 |
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