ビーハイブハウスの人々

<4日目>
8時過ぎホテルをチェックアウト。

次の目的地はハマ。大きな水車で有名な街だが、過去3回のシリア訪問ではなぜか縁がなかった。

アレッポのバスターミナルは郊外へ移転しており、市バスでバスターミナルへ移動。ターミナルに入るとすぐに客引きがやってきて「どこへ行く?」という。「ハマだ」と答えると、すぐにバス会社のカウンターへ連れて行かれた。言われるままにパスポートを出し、チケットを購入すると、チケットにローマ字で名前が印字されていた。乗客名簿も作られているらしい。

バスに乗ると僕の席は最前列の通路側で、何と隣は昨日のブラピ。ダマスカスまで行くという。後ろのほうはほぼ満席だったから、どうやら外国人のために最前列をとってあるとみえる。

9時を少しだけ回り、バスは出発(ほぼ定刻通り)。バスターミナル到着からここまでわずか5分強。ラッキーだった。

10時40分ころハマ到着。ここのバスターミナルからハマの中心部までは歩いていける範囲。街の様子を知りたいので歩いていくことにする。


ホテルはりアド・ホテルという評判の安宿を選択。ここも近郊のツアーを催行している。この日どうしても行っておきたかったのは「土の家(ビーハイブ・ハウス)」。日干しレンガで作った円錐形の住居建築で、イタリア南部のアルベロベッロのトゥルッリという建物の源流と考えられているものだとか。公共の交通機関だと行きにくいところなので、迷わずツアーを選択。しかし、またしても参加者は僕一人で全額負担。

ツアーの出発は12時半。ホテル近くでシュワルマ・サンドをかじっているうちに出発の時刻になった。



カイロ・ホテル、リヤド・ホテルという有名な安宿は同じ通り沿いに並んであった。




リヤド・ホテルのレセプションへの階段(があったような記憶)のところにはってあった「歓迎」のプレート。ひらがな、ハングルの表示もあり、日本人、韓国人の客もけっこういることをうかがわせるものだった。




ハマからビーハイブハウスへ向かう(mp4=3.8Mb)。



ビーハイブハウスさえ見られればと思っていたが、ツアーにはカスル・イブン・ワルダンというところも含まれており、まずそちらへ行った。



カスル・イブン・ワルダン。6世紀半ば、ビザンチンのペルシャに対する防衛線として建設されたもの。領主の宮殿(写真右側)と教会跡(写真左側)が残っている。



























カスル・イブン・ワルダンの近くに残る土の家(beehive house)。日干しレンガを積み上げた家で、『歩き方』には、ホムスからアレッポにかけての砂漠地帯によく見られるとあるが、トルコ南東部(シリアに近い地域)にもあり、この地域が文化的には同じ地域であることがわかる。




現在はほとんどが物置などとして使われているようだった。




住居として使われている土の家もあるが、この人たちは「土の家を壊している」ところのようだった。片言の英語での会話だったので、壊している土の家に今まで住んでいたのか、それともやはり物置だったのか、壊したあとどんな家を建てるのか残念ながらわからなかった。観光客が時々訪れる村なのだが、商売をしようという人たちではなく、純粋に客を喜んで迎え入れてくれた。全員の名前を教えられ、それぞれの名前を復唱したが覚えられるわけもなく(笑)。写真の写っている人たちが手にしているのは紅茶で、もちろん僕にもふるまってくれた。甘~い紅茶がうまかった。




こちらが住居として使われているビーハイブハウスの内部。料金どころかチップすら要求されず、純粋な好意から招き入れてくれた。



15時頃、ハマの街に戻ってきた後、街中にある水車を見物した。



モスクと水車。




水車のある公園。




夕食を終えてホテルに戻る。ところで、メモによると夕食では”ハーフ・チキン”を食べている。ハーフ・チキンとは、文字通りチキン半分。店の前に、たくさんの鶏肉がぐるぐる回転するロースターがある店で、シリアやトルコでよく見かけた。ローストしたチキンをスープに入れてじゃがいもや人参などと煮込んだスープが好きなので、それがあることをを期待して、その店に入ったのかもしれない。しかし、店に入ると「ハーフ・チキンね」という感じで注文を決められてしまった。ロースト・チキンしかメニューのない店だったのか? ところで、チキン半分というのはかなりのボリュームだ。ただ、何度も食べているが、いつも意外と軽くいけてしまったような印象だ。日本でそんな豪快な食べ方をさせるレストランがあれば行ってみたい。



この日は、ビーハイブハウス以外でも地元の人たちの交流を持つ機会があった。

水車のある公園では、中学生か高校生くらいの女子たちに「ハロー」と声をかけられた。とてもはずかしそうに手をふりながら。この年代で声をかけてくるのは男子だけという認識だったけれど、シリアの社会も少しずつ変化しているのかと思った。

また、別の水車を見物中、男性2人組にチャイを勧められた。記憶が定かではないが、バーナーとポットを持参してピクニックにでも来ていたのだろうか。シリアではこういうケースは何度か経験していて、あまり珍しいことではない。

街歩き後、ジュース屋でオレンジジュースを飲んだ時のことである。先客のおじさんが、何と飲みかけのジュースを飲めと勧めてきた。さすがにお断りしたが、このおじさんも外国人と交流したいようだ。僕の方が先にジュースを飲み終えて店を後にしたが。店を出るとき、おじさんは嬉しそうに右手を上げて挨拶してくれた。

普通に街を歩いているだけで、このように人々との交流が起きる国だったのだなあ、と思う。