コチ(コーチン)…ユダヤ人街

<3月8日(4日目)続き>
昼食後、ホテルで一休みしたあと、また、船で半島部へ出かけた。目的地はユダヤ人街。

ユダヤ人は紀元前1世紀頃からインドにやってきて、南インドの要港で貿易に従事するなどしていた。コーチンでは、ユダヤ人が香辛料貿易を一手に引き受けるほどの勢力を持ち、ジュー・タウンと呼ばれるユダヤ人街が形成された。

第2次世界大戦後、イスラエルが建国されると多くのユダヤ人がイスラエルへ移住し、現在コーチンに住んでいるユダヤ人は数家族のみとガイドブックには書いてある。(随分前に放送されたんNHKの『海のシルクロード』という番組では、「最後に残ったユダヤ人男性」が取り上げられていたような記憶があるので(ビデオを確認しなければわかりません)、もしかすると、もうユダヤ人はだれもおらず、本当に名前だけのユダヤ人街になってしまったのかもしれない。

エルナクラムのメイン・ジェッティーから船に乗り、マッタンチェリーのジェッティーまで行った。

船着場からすぐのところに、ダッチ・パレスという建物がある。ポルトガルが支配していた時代の1555年にポルトガル人がコーチン藩王のために建てた宮殿だが、その後、この地を支配したオランダ総督が宮殿を改築して住んだことからダッチ・パレスと呼ばれている。

しかし、ダッチパレスは素通りして、まずはユダヤ人街の中心的な存在であるシナゴーグへ向かった。



エルナクラム地区のバス停周辺の一コマ。




マッタンチェリーの船着き場。




ユダヤ人街へ向かう。




胡椒取引を行っている会社(団体?)




ユダヤ人街。道の両側に並ぶのはアンティークショップ。エルナクラム地区よりもずっと観光地化された感じ。奥に見える高い鐘楼のようなものがシナゴーグの一部。




シナゴーグに接近。




シナゴーグの入口。シナゴーグ(1568年創建、その後焼失、現在の建物は1664年に再建されたもの)。




シナゴーグの内部。床には中国から持ち込まれた陶製のタイルがはられている。模様はすべて手書きで一枚一枚微妙に異なる。当時のユダヤ人の富の一端を知ることができる。




シナゴーグの内部。



スパイスの王様ともいうべき胡椒の原産地はインド南部にあり、南インドでの栽培は紀元前500年頃から始まっていたとのこと。古くからヨーロッパへもたらされていたが、肉食を中心とするヨーロッパ人にとって胡椒は極めて貴重なもので、15世紀の大航海時代の幕開けも胡椒への欲求が背景にあり、コーチンはヨーロッパ人が進出して以来、胡椒貿易の一大拠点として発展した。現在は輸出品に占める胡椒の割合は低下しており、そういえば、こころなしか活気がないような感じもした。(ただ、これは訪問した時間帯のせいかもしれません)









ややくたびれた感じのスパイス貿易会社(?)




よくわかりませんが、pepper & spice trade association という名称から胡椒貿易の重要な団体なのかなと思います。




ダッチ・パレス




ダッチ・パレス




ダッチ・パレスから見たシナゴーグ。レンガ色の屋根が印象的だった(カメラの設定を直していなかったのでシナゴーグにピントが合っていません)。



ユダヤ人街からフォート・コーチンまで歩いて(20分ほどの距離)エルナクラム行きの船に乗った。



フォート・コーチン近くの運河。




昔ながらの手こぎボートと現代のコチ(コーチン)の街。




フォート・コーチンの船着き場で。




エルナクラム行きのフェリーからの眺め。




エルナクラム行きのフェリーからの眺め。