2005年、春の旅である。
目的地はボリビアのウユニ塩湖ただ一つ。日程はわずか9日間。ボリビアの首都ラパス(憲法上の首都はスクレ)までは日本から機中2泊の行程で(時差の関係で出発した翌朝ラパス到着ということになる)、帰路もアメリカ1泊の2日間行程だが、時差の関係で足掛け3日かかる。ということで、9日間の日程でボリビアへ行くとすると、現地では5日間くらいしかとれないことになる。さらに、ラパスからウユニ塩湖の最寄の街ウユニまでも半日かかる。そこまでしてなぜウユニ塩湖なのか? と不思議に思われるかと思うが、それは写真を見ていただければわかると思う。

3月3日、夕方、成田発ロサンゼルス行きのJAL便で出発。さすがに2連続機中泊は厳しいので、マイレージでビジネスクラスにアップグレードしておいた。この路線にもシェルフラットシートというのが導入されており、ここでしっかり睡眠をとっておこうという考えである(なお、もとのチケットはJALの正規割引チケットだが、2005年4月以降、割引率の高い運賃ではマイレージのアップグレード特典は受けられなくなっている)。しかし、気流が悪くやたらと揺れて、熟睡することなく、現地時間の9時半ころロサンゼルス到着。

ここからはアメリカン航空を利用し、マイアミ乗り継ぎでラパスへ向かう。当然、日本からすべてアメリカン航空を利用した方が安くつくわけだが、機中1泊目だけでもビジネスクラスでゆっくりしたかったので、上記のような選択となった。

ロサンゼルスからラパスまでは、乗り継ぎ時間を含めて13時間弱の旅。ロスを午後2時少し前に飛び立ち、ラパスには朝の6時半頃到着というスケジュールだ。

6時ころ、アメリカン航空機は、朝日を浴びながら厚い雲をくぐりぬけながら高度を下げて行った。「やはり曇りか、仕方がないな雨季だから」1週間前にネットで見たラパスの週間予報も雨や曇りのマークばかりだった。やはり、晴天に当たる確率は低いのだろうか? 晴れなければウユニ塩湖観光は失敗。高い航空券代を払って何も収穫なしに終わることになる。

飛行機は定刻より少し早目に到着。入国審査もスムーズに終了。到着ロビーに出るが非常に狭かった。日本の地方都市の空港よりもさらに小さい到着口である。タクシーの客引きがいるかもと身構えたが、それもなし。

まずは市内に出るためにボリビアの現地通貨(ボリビアーノ)を入手しなければならないが、到着口にある両替所は閉まっていた。また、タクシーをお願いするブースらしきものもない。現地通貨も欲しいし、白タクにも乗りたくない。急激に便意ももよおしてきたので、トイレを探しも兼ねて出発ロビーの方へ行ってみた(到着口には税関を出るとトイレがなかった)。
用を足したあと、出発ロビーを歩き回ったが(というほど広くはなかったが)、こちらにもタクシーのブースがないようだ。長旅で疲れているので、あわてて行動すると失敗のもとである。さっき見落としたものもあるかもしれない。ということで、また到着口へ戻ってみた。
結果としては、この行動をとらないとえらいことになるところだった。

話せば長いことながら、それは次のようなことなのである。
実は、今回の旅は自分の海外旅行史上初の友人との旅で、ラパスで落ち合って、ラパス-ウユニ塩湖往復を一緒に行動することにしていた。友人は、世界一周航空券での旅をしており、その途中ボリビアによるという行程で(正確にいうと自分がボリビア行きを決めたあと世界一周のコースに南米を組み込ませた)、前日ラパス入りしていた。また、今回は日程が非常に窮屈で、現地に着いてから乗り物の手配をする余裕がないかもしれないので、日本の旅行会社を通じて、オルーロ-ウユニ間の鉄道のチケットの手配もお願いしておいた(鉄道はラパス始発ではないのだ)ラパスから。そして、チケットの手配だけでは引き受けてもらえなかったので、前日ラパス入りした友人のホテル一泊と出迎えガイドもお願いしておいた。
ということで、僕はその友人と落ち合うために、彼の泊っているホテル・イチバンへ飛行場から直行することにしていたのだ。ところが到着口に戻ってみると、その友人Yの後ろ姿があるではないか! なんで空港に来ているんだ? もし、さっき両替所が開いていて、タクシーのブースがすぐにみつかっていてたら、完全にすれ違いだった。トイレタイムも大きな意味があったかもしれない。

Yいわく「政府に反発する勢力(※)がオルーロへの道を塞いでいて、ラパスからオルーロへのバスが動いていない。仕方がないので旅行社のアドバイスにしたがって4駆をチャーターして、どこか抜け道をさがしてオルーロへ向かうことにした。チャーター料金は190米ドル。高いが仕方がない」ということだった。実は、デモの動きは出発前、日本の旅行社から情報を得ており、オルーロからの鉄道がストップしているということだったが、旅行社情報では鉄道は動くだろうということだった。しかし、ラパスから出られない状態だとは。。。予想外の事態である。Yに先乗りを頼んでおいてよかったと思う。

(※政府の公益事業の民営化政策に反対する勢力がデモ・ストライキなどかなり強硬な抵抗をしているらしかった。)

Yに促されるまま、両替もせず、オルーロへ向けてあわただしく出発した。ホテルで待っていてもよさそうなものだが、先の読みにくい事態のようだった。

同行はYと僕、それから前日ラパス入りして同じくウユニ塩湖をめざすTさん。Tさんはバスでウユニへ向かう予定だったらしいが、こういう状況ということで、Yが同行しないかと誘ったらしい。

空港を出てしばらく行くと、道路のあちこちに石がおかれているところに出た。反政府勢力がどういう理由からかはわからないが、交通を止めているのだ。ぱっと見では緊迫した感じはなかったが、4駆は幹線からわき道へ入いっていった。そのとき事件が起きた。車へ向けて投石されたのである。最初は2~3コの小石で、これだけであればあまり問題はなかった。しかし、その後、大きめの石が投げつけられたのだ。石は後列右側の窓を直撃。ガシャンという音とともにガラスが粉々にくだけて、僕の右の首筋に石があたった。幸い、ガラスにぶつかって勢いが奪われ、衝撃は少なく、怪我といえば、ガラスの破片が2片ほど手のひらにささって、ほんの少し出血したくらいだった。

幸い投石は続かなかった。ちょっと走ったあと車を停めて、ガラスの破片をきれいに取り去った。ガラスなしでオルーロまで行くのかと思っていると、ドライバーがとある雑貨店で透明なテープを購入して、これで応急処置をはじめた。これで、オルーロまでの3時間くらの道のり、寒い思いをせずにすむ。



投石を受けたあと。幹線から入った脇道で。雲が多目である。



雑貨屋さん。ここで透明なテープを購入。



小休止。すっかり晴れ上がった空。Yの話だと前日も好天だったとか。雨季の中休みに入ったらしい。晴れているうちにウユニ塩湖観光を済ませてしまいたい。



後ろのドアのガラスに注目。透明テープで応急処理されたのがわかると思う。ガラスが割れた状態の写真も撮っておけばと思ったが、投石直後はちょっとドキドキしていてそういう余裕はなかった。

10半ころオルーロ到着。スペイン語しか話さないドライバー氏と何とかコミュニケイトして、氏の助けを得て、Tさんの列車チケットも購入。これで、なんとか3人でウユニに向けて出発できそうである。

列車の出発は15時30分。まだ、だいぶ時間がある。昼食をとりがてら街へ出たが、心配していた高山病の症状はでない。ためしにちょっと小走りしてみたが、そうするとさすがに息が切れる。

昼食をとったレストランのすぐ側をデモ隊が通った。なにか叫びながら歩いているが、ダラダラといった感じのデモである。ただ、なにか爆薬を持っているようで、ときどき低いドーンという音が聞こえ、ちょっと不気味でもあった。(爆竹系のものなのかもしれないが音の高さが爆竹のそれとは違った。)


オルーロ駅(その1)。



オルーロ駅(その2)。



2時40分をまわり乗車開始。

14時40分ころ、ホームへの鉄の柵が開かれ乗車開始。どうやら定刻通り出発できそうであると思ったら大間違いであった。出発時間が近づくと、車掌が、窓と内側の金属製の日よけを閉めるようにと指示しにきた。実は、列車はしばらく街の中を通るので、そこで反政府勢力を刺激しないため、もしくは攻撃から身を守るためと思われた。冷房がないので、車内の温度はどんどん上がるが、我慢するしかない。

しかし、定刻を過ぎてもなかなか出発しない。そのうち車内放送があり、乗客の一部が降り始めた。運行キャンセルか? スペイン語がまったくわからないので、どうすることもできない。その後、いったん降りた地元の人たちが再び乗車してきたので、やっぱり出発するらしい。が、駅構内を出たところで、デモ隊が火をたいたりしながら、列車の出発を邪魔するような動きをみせているらしい。

17時10分ころ、列車はようやく動き出した。まだ、安心はできないが、これで何とかウユニにはたどりつけそうである。列車は定刻から3時間遅れて、午前1時30分、ウユニに到着した。長~い時間の移動が終わった。



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