ハランにビーハイブハウスを見に行く

<8日目>
ここまで来たからには、ハランというところにある、円錐形屋根の住居群を見ておきたい。

ハラン観光の拠点となるのはシャンル・ウルファ。『歩き方』にはマルディンからバスが頻発とあるが、実際にはそうでもなかった。8時半ころバス会社に行ってみると、「夜までない」とのこと。別のバス会社へ行くと、「昼にある」、別の会社に行くと「10時半」という(マルディンには長距離バスターミナルがないようで、長距離バスはバス会社の前から出るというかたちのようだった)。

もっと早く行く方法はないのか尋ねると(この程度ならば、自分が行きたいところを伝えることができれば何とか通じてしまうものである。簡単ではないが)、シャンル・ウルファにはクズテペとフィランシェヒールでドルムシュを乗り継いで行けることがわかった。

マルディンを9時10分に出たドルムシュは10時にクズテペ到着。フィランシェヒール行きのドルムシュは10時5分に出発。非常に順調だ、と思っていた矢先に事件が起きた。

出発したドルムシュは一人の客のリクエストで、フィランシェヒールへ向かう幹線道からそれて、とあるパン屋の前にとまった(ドルムシュは客のリクエストに応じて、コース上のどこでも乗り降り自由だが、この地域のドルムシュは、もっと融通を利かせるみたいだ)。何をするのかとみていると、大量の、本当に大量のパンを積み込むようだった。積んでも積んでも、次から次へと持ってくる。ドルムシュはもともとそんなに荷物を積み込める構造になっていないから、見かねた運転手が、パンを大きな袋に詰め込むのを指示している客のところに文句を言いに行った(ようだ)。そうすると客もそのドルムシュで行くことをあきらめて、すでに積み込んだパンを降ろした。

大量のパンは車の後ろに降ろされ、さあ出発ということになったが、パンを積み込んでいる間に、買い物に行っている客がいた。だまって待っていればいいものを、運転手は親切にも車をバックさせて(車の後ろの方に買い物に行っていたのだ)、その客を乗せようとした。しかし、車の後ろにはパンを詰め込んだ大きな袋がたくさんある。道端にいた人々が「オオッ」と声をあげた。車はすぐとまった(パンを踏んだがどうかはさだかではない)。それを見ていたパン屋が猛烈に怒り、運転手になぐりかかった。ドルムシュの客が必死にとめに入るが、まったくおさまりそうにない。この間、パン屋と運転手の間でどういう会話がかわされていたのかはまったくわからないが、喧嘩の原因をつくった大量パンを積み込もうとした客が、「自分が悪かった」という感じで運転手をさかんなだめていた。しかし、喧嘩はとまらない。パン屋は主人と若い職人2人の3人、運転手は1人で勝ち目はない。そのせいか運転手は車を降りて殴りあうことまではしなかったが、20分くらいたったところで、猛烈な勢いで車を走らせ、ドルムシュの出発点(おそらく会社があるところ)へ戻った。そして、建物の中に入り、何か棒っ切れを持ち出した。パン屋に殴りこみに行きそうな勢いである。しかし、頭に血が上ったこの若い運転手を周囲の年配の男たちがなだめ、棒っ切れを置かせ、仕事に戻るよう促した。

10時半、ようやく出発。怒りがおさまらない運転手の運転が心配だったが、徐々に落ち着きをとりもどし、そのうち客と談笑するまでになった。1時間余りでフィランシェヒールに到着。ここでもわずかな待ち時間で、シャンル・ウルファ行きのドルムシュが出発。1時頃、シャンル・ウルファに到着した。

ホテルを確保するとすぐに、ハランへのツアーを出しているハラン・ドルムシュという会社を訪ねた。

ツアーは4時発で料金は11ドル。しかし、4時少し前、ハラン・ドルムシュへ行くと、ツアーは不成立とのこと。イラク戦争の影響で観光客が激減して、ツアーが組めない日が続いているということだった。

仕方がないので、車をチャーターしてハランへ向かうことにした。料金は30ドル。さらに、ハランは一人で歩くと地元の子どもたちが寄ってきて、いろんなものをくれといってうるさいということなので、ハラン・ドルムシュでバイトをしている高校生ガイドもつけた。しかし、高校生といっても侮ってはいけない。英語力はかなりのものである(自分などは足元にも及ばない)。なんでも、イスタンブールの大学をめざしているそうで、トルコでは一流大学の授業は英語で行われるため、入学前に英語力を磨いておく必要があるそうだ。そんな彼のガイド料は200万トルコリラ(約180円くらい)だった。 



預言者イブラヒム(アブラハム)ゆかりの聖なる魚がすむ池。周囲は公園になっており、地元の人々の憩いの場である。しかし、連日最高気温が40度くらいらしく、憩う気はおきず。早々にホテルに逃げ込み、一休み後ハランへ向かった。



聖なる魚がすむ池に近接してシャンル・ウルファ城がある。ご覧の通り高いところにある。炎天下、坂道を登る気もおきず、下から眺めるだけにとどめた。




ハランの集落のそばには遺跡がある。写真に見える塔は8世紀の建てられたモスクのミナレット。周辺にはイスラムの大学跡もある。ここは古い歴史を持つところで、古代の遺跡もあるが、せっかくガイドがいたのに、神様関係の話が理解できず、よくわかりません(あしからず)。







英語ではBeehive House(蜂の巣住居)と呼ばれる円錐形の屋根を持つ住居。日干しレンガづくりらしいが、中には石材(遺跡から持ってきた?)を使って作っているものもあるよう(未確認です)。






これはトンガリ屋根の住居の内部(土産物屋兼茶店みたいなところ)。ガイドのアリ君は、こういう形の住居はここトルコのハランとシリア、そしてイタリアにあるという。イタリアはもしかしてアルベロベッロではあるまいかと思い、「アルベロベッロ?」と問うと「そうだ」という。また、「ハランの方が起源?」と聞くと「そうだ」との答え。帰国後に調べたのだが、ハランのトンガリ屋根の住居は紀元前3世紀くらいまでさかのぼることができるとのこと。



ハランのトンガリ屋根住居の集落。乾燥地帯の真っ只中にあるにも関わらず、緑の耕地が見えるのはユーフラテス川の水を利用した灌漑のおかげ。しかし、すぐ隣のシリアは黄土色一色の世界である。シリアはトルコが水資源を使いすぎていると抗議する一方、トルコは適正利用だと主張しているという。

 

<9日目>
ネムルート山再訪をとも考えたが、どこかで夜行バスを利用しなければならず、疲れ気味の体にはきつそうだ。結局、アッディヤマン、マラティアへとドルムシュで移動した。午後1時ころマラティアに着くと、すぐに鉄道駅へ行った。

最初に書いた通り、「世界の車窓」にも動機付けられての今回の旅行であり、どこかで鉄道に乗っておきたい。アンカラ-イスタンブールは飛行機のチケットがあるから、マラティアからアンカラに行くまでの間で鉄道を利用しなければならない。しかし、列車の時刻は未確認。ちょうどよい時刻の列車があることを祈ってマラティア駅へ行ったが、運良く3時のアンカラ行きがあった。目的地は途中のスィワス。初めてトルコを訪れて以来行っていないスィワス再訪、実はこれも今回のトルコ旅行の大きな目的だ。

定刻より20分遅れで出発した列車は、午後8時ころスィワス到着。距離は300キロくらいらしいが、料金は1等で何と590万トルコリラ(500円くらい)。バスだと2000万トルコリラくらいにはなると思われるから格安であった。

スィワスの空気はひんやりとして、トルコ東南部とは別世界であった。夏だからなのか、街の雰囲気は15年前の秋とは大きく変わり、多くの人々で賑わっていた。



マラテア駅。




これもマラテア駅だったか?



<10日目>
朝、カメラを持って勇んで散歩に出た。しかし、突然、カメラのシャッターがきれなくなってしまった。まったくトホホである。(この日はバスでアンカラへ移動し、翌日イスタンブールへ飛び、その翌日帰国の途につき、色々あったが一応無事12回目のトルコ旅行を完了した。

                    終わり。