フランス・トルコ組合せ旅(トルコ2002年)

8月21日。
今日はトルコへの移動である。未訪問の遺跡へ行くことが主眼だが、かつて訪ねたことはあるものの再訪したい所もある。

15時、イスタンブール到着。入国手続きを終え、トルコリラを入手すると、すぐに国内線ターミナルへ移動した。できれば今日中にアンタルヤまで行きたい。発券カウンターへ行くと、16時50分発のビジネスクラスがあいていた。フライト時間は1時間ほどで、料金は米ドル換算で約110ドル。夜遅い便ならばエコノミークラスもあるということだったが、真っ暗になった町でホテル探しをするのもいやだ。ということで、ビジネスクラスのチケットを購入した。

ところで、トルコリラの下落は著しく、今春は1ドル100万リラだったのが、160万リラまで値下がりしていた。航空券をカードで購入したが、トルコリラで1億7700万という額で、サインする際に、何回も何回も桁数を確認した。まったく、このインフレ何とかならないものかと思う(その後インフレはおさまりデノミネーションが実施された)。

18時20分、定刻よりも30分くらい遅れてアンタルヤに到着。空港バスでアンタルヤ市街に出るころには日が暮れていた。しかし、アンタルヤは勝手知ったる街である。お目当てのホテルへ行くと幸い部屋は空いていた。食堂のテラスからの地中海の眺めが素晴らしいこじんまりとしたホテルである(写真を撮っておけばと思うがフィルムがもったいなくて撮っていない)。


8月22日。
今回の第一の目当てはケコワ島の海に沈んだ遺跡である。船の上から澄んだ地中海の水をとおして、ゆらゆらと揺れる建物の遺構などが眺められるという有名な遺跡である。最寄りの町はカシュというところなのだが、そこへ行く途中の道から脇へそれたところ(アリカンダ)にも魅力的な遺跡がある(とはいっても見たことはなく、『lonely planet』というガイドブックに行く価値があると記されているのを読んだだけなのだが)。

アンタルヤからフィニケという町へ行き、そこでバスを乗り換えてアリカンダへ向かった。アリカンダ事体には街はなく、滝がありその下に小さな市場のようなものがあるだけだった。幹線から分かれる道を10分強登って行くと遺跡が見えてきた。しかし、移動の途中での遺跡見物はつらい。荷物は必要最小限度に抑えているので、バックパックは7キロくらいの重さしかないのだが、強力な直射日光のせいもあって、荷物の重さが倍以上に感じられる。

遺跡は整備途中という感じだったが、劇場はなかなかのものだった。涼しい時期の旅ならば、遺跡の中にたたずんで、ボーっとすることができるのだが、真夏の炎天下ではそれもままならないので、劇場の席のところに生えている木の陰がありがたかった。



アリカンダの劇場。遺跡は険しい斜面に広がる。こういう山の中にこんな遺跡があることは驚きだが、勉強不足でその理由・背景はわかりません。



アリカンダ。




アリカンダ。




アリカンダ。形から見ると競技場跡か?



遺跡内で2時間くらいを過ごしたあと、フィニケへ戻ることにした。
バスがどの程度の頻度で走っているかは不明。来るときにバスを降りた地点でバスを待つしかない。
山側の場所(滝があり、小さな市も立っているところ)は日陰になっており、なおかつ滝の細かな水しぶきのため非常に涼しいのだが、フィニケ方面へのバスは、その向かい側の炎天下で待たなければならない。

1時間も待てばバスには乗れるだろうと楽観視していたが、3時半くらいから待ち始めて、5時10分すぎ、ようやくフィニケ行きのドルムシュをつかまえることができた(途中2台のドルムシュが通過したが満員で乗せてもらえなかった)。
 *ドルムシュ=乗合自動車、場所によって大きさは違うが、このとき乗ったのは定員12名くらいのもの



アリカンダの滝の前の小さな市。



6時すぎにフィニケに到着したが、できれば今日中にカシュまで行ってしまいたい。幸いカシュ行きのバスは頻繁に走っており、6時40分ころフィニケを出ることができた。

8時すぎ、カシュ到着。すぐにホテルを確保して街へ出た。

今日は何回もちょこちょこ食べており、あまり空腹は感じていないので、アイスクリームをかじってから、ホテル探しの途中に偶然見つけたインターネットカフェへ行った。8月17日に札幌ドームで行われた、わがコンサドーレ札幌の試合結果を確認したい。前の試合では実に久々の勝利を収め、17日の試合も、NHKの解説者早野氏が「プチ・ジダン」と評価してくれた山瀬の活躍もあって、札幌快勝、という情報が見られると信じて、札幌ファンの集まるホームページを開いた。ところが、Vゴール負けとのこと、そればかりではなく、山瀬が膝のじん帯を断裂したというショッキングな情報も・・・。少なからず落ち込んでホテルへ戻った。その夜は部屋の暑さもあってなかなか寝付けなかった。


8月23日。
いよいよ今日は長年課題としてきたケコワの海中遺跡を見られる。
ただし、若干の問題がある。多くの観光客はカシュなどから出発するボートツアーで出かける。しかし、近年、島の海岸沿いにある遺跡に大きなツアーボートが近づきすぎ、座礁して遺跡を傷つるということがあったため、ツアーのボートではあまり近くから遺跡見物ができなくなったというようなことが『lonely planet』に書いてある。それではここまで来た意味があまりない。そんなわけでツアーの申し込みはせず、ケコワ島の対岸にあるユチャウズという村までタクシーを奮発して、そこで小さめのボートをチャーターすることにした(あとから気がついたのだが、一日一往復のドルムシュもあった)。
 
カシュを10時に出発、ユチャウズには10時半すぎに着いた。すぐにボートをチャーターしたが、あいにく船外機つきの小さな船はなく、20人は楽に乗れそうな船しかない。しかし、ツアーボートよりは大分小さい。

いざ、ケコワ観光へ出発。海水はとても透明度が高く、2000年ほど前に地震で沈んだ(といわれる)「sunken city」とよばれる遺跡もよく見えた。しかし、当たり前のことだが、波打ち際にある分、侵食の受け方もひどく、古代都市がそっくり見えるというものではない。それらしきものが水面下でゆらゆらしているというのが正確なところである。話の種にはなるが、過大な期待を抱いて行ってはいけない遺跡だと思った。ところで、ツアーの大きな船は、僕の船の後ろの方から遺跡を遠巻きに見るという感じだった。



ユチャウズ(のはず)。船で出発した直後に撮ったものか?ケコワの海中遺跡。遺跡全体が海中に沈んでいるわけではなく、一部は陸、一部は海中という感じである。保存状態はご覧の通り。




石棺が並んでいる。




入江の奥の方に石棺が見える。長いレンズがなくてこんな感じでしか撮れなくて残念。




カレ村? 山の上に要塞が。




遺跡はこんな感じで波打ち際にある。




建造物の感じが残る部分も。




何の遺構だろうか。



ケコワ観光を終えるといったん、カシュへもどり、昼食後、今度はバスでミュラの岩窟墳墓群と劇場を見に行くことにした。
ミュラ(デムレ)のバスターミナルから遺跡までは20分くらいかかるが、炎天下の20分はきつい。遺跡にも日差しをさえぎるものはなく、ずっと炎天下ということになる。



カシュの街中にあるリキヤの墓。




奥にあるEVYというフレンチレストランの看板が。フランスを回って来たからというわけではないが、この夜はちょっと奮発してこの店で夕食をとった。




カシュに残る劇場跡(のはず)。どのタイミングで撮ったんだったか? 劇場の向きと影に関係からみると翌朝撮ったものか?(ネガの順序を確認すればいいって話ですが)




ミュラのユニークな顔のレリーフ。後方に見えるのは劇場。




ミュラの岩窟墓。



遺跡を一通り眺めた後、遺跡前の茶店みたいなところで、缶入りアイスティーを飲みながら絵葉書を書いた。しかし、手が思うように動かない。熱中症一歩手前か?(熱中症で四肢が不自由になるのかどうか知らないが) 水分はかなりとっているが、塩分が補えていない。昼食をとった際に塩を少し紙にでも包んでくるべきだった。
しかし、30分もたつと楽になったので、またバスターミナルへの道を歩き出した。

ミュラのバスターミナルの近くには、サンタクロースとして有名な聖ニコラスゆかりの聖堂もあるが、疲れていたし、あまり興味がわかないのでパス。


8月24日
今日はデニズリまで出てホテルをとり、できればパムッカレを観光したい。
パムッカレに泊るという選択肢もないではないが、明日はバスやドルムシュを乗り継いで、アフロディシアスという遺跡まで行く予定である。大きなバスターミナルがありバスの発着が頻繁なデニズリの方がよいだろうという判断だ。

フェティエでバスを乗り継いでデニズリに着いたのは15時半。まだ日は高いので十分パムッカレ観光が可能だ。

バスターミナル裏のホテルに部屋をとり、すぐにパムッカレ行きのバスに乗った。

パムッカレは3度目だが、この間大きく変わったらしいので確認しておきたい。
世界遺産に指定されてから、「綿の城」と呼ばれる石灰棚(温泉が流れそこに含まれる石灰分が堆積してできた奇景)保護のため、立ち入りを大幅に制限したり、石灰棚の上にあったホテルをすべて閉鎖・移転させたりとかした。

以前は、バスはパムッカレの村から石灰棚の横を通って古代遺跡のある山の上の方へ上っていったのだが、今は大きく遠回りするルートに変更されていた。

2度目の訪問の際にかなり黒ずんでいた石灰棚は、整備の甲斐あってか、メインの箇所の白さは保たれていた。しかし、斜面全体を温泉が流れる様子を知っているものにとってはやや物足りない。石灰棚の中も、指定された遊歩道のようなところしか歩けなく、自由な構図で写真をとることもかなわない。



パムッカレの石灰棚。立ち入り禁止なので人の姿は見えない。写真の下の方に遊歩道があるのだが、はだしで歩くことが義務づけられているので、足の裏が痛いのなんのって・・・。こんなに足の裏がひ弱になっているとは思わなかったが、他の観光客も皆痛そうにしていた。




かつて石灰棚の上の方にあったホテルは閉鎖されていたが、この温泉プールは残っていた。プールの中に古代遺跡の柱などがゴロゴロしている。




ヒエラポリス。




ヒエラポリス。遠くに劇場が見える。



パムッカレ観光を終えて村の方へ行くと、一軒の旅行社の前のボードにアフロディシアスへの往復バスの便が載っていた。公共の交通機関では行きにくい遺跡なので、このバスはありがたいのだが、あいにくホテルはデニズリにとってしまった。しかし、デニズリからパムッカレは30分くらいのものなので、明日の朝、またパムッカレに来てもいい。明日起きてから決めることにした。


8月25日。
アフロディシアスにも一度行ったことがある。その時は3月で非常に寒く雪もちらついていた。遺跡の印象は天候に左右される部分が大きい。是非、青空の下、アフロディシアスの遺跡を堪能したい。そう思い、今回再訪することにした。

前に行った時はバスやドルムシュを乗り継いで、最後はタクシーを使った。とにかく交通の便の悪い遺跡である。

劇場・オデオン(音楽堂)・競技場など、なかなかの保存状態を保つ遺跡で、団体ツアーに必ず組み込まれるエフェソスなどに勝るとも劣らないものなのだが、観光のメインルートから少し脇へそれ交通の便も悪いからなのか訪れる人は少ない。

前夜色々と考えたが、結局、まずパムッカレからのツアーバスを利用することにした。

パムッカレに着いてツアーバスについて尋ねると、参加者は昨日の段階で3人しかおらず、乗用車を一台用意しているだけだという。ハイシーズンでもアフロディシアスへ行く旅行者は少ないようだ。しかし、少し大きめの車が用意できるかどうか、交渉してくれることになった。

結局、ツアー参加者はフランス人3人組、アメリカ人3人(こちらは皆個人)、そして僕ということになった。

ガイドはつかない輸送だけのツアーなので、遺跡内は皆思い思いに歩いた。

数組ヨーロッパからの団体が来ていた。以前来たときは、広い遺跡内で、見学者は僕だけだった。こういう広い遺跡は少しは人で賑わっていた方がよい。



アフロディシアス。




競技場。




オデオン。




劇場。




遺跡付属の博物館にある石棺。




同じく遺跡付属の博物館にある石棺。



8月26日。
アフロディシアスの見学で、今回、当初から考えていた観光は完了。あとはイスタンブールへ出て、適当に時間をすごし帰国するだけとなった。

できれば今日中にイスタンブールまで行ってしまいたいと思ったが、昼過ぎイズミールに着き、トルコ航空のオフィスに行ってみると、「今日のイスタンブール行きは全便満席」という。仕方がないので、翌朝6時の便を予約して、あとは何となく時間をつぶすことにした。しかし、例によって日差しが強烈だ。イズミールの街にはさしたる名所もないし、散歩するような天気ではないので、エアコンの効いたホテルでごろごろしていた。


8月27日。
飛行機の出発が6時ということで、早朝4時40分ころチェックアウト。

飛行機は定刻通り飛びたち、7時にはイスタンブールに到着した。明日の出発もけっこう早いのでホテルは空港からあまり離れていないところに予約してある。

しかし、チェックインには早すぎる時間だ。ホテルに荷物をあずかってもらい観光に出るという選択肢もあるが、ホテルへのアクセスはタクシーのみなので、空港-ホテル-イスタンブール市街とタクシーを利用するか、空港-ホテルをタクシーで往復して、空港からバスで市街に出るかするしかない。前者はタクシー代がかなりかかりそう。後者はタクシー代は節約できるが面倒くさいでしか行けない。というわけで、空港の荷物一時預かりに荷物を預けて空港バスで街へ出ることにした。我ながら細かいです(笑。

さて、イスタンブールで何をするかは、まだ決めていない。
何度も何度も来ているから、主要な観光地は訪問ずみだ。何度訪れても飽きないのだが。京都に繰り返し出かけるのと同じ感覚とでもいうか。。。

結局は、久しぶりでボスポラス海峡を黒海の入口の方へ向かう観光船に乗ってみることにした。夏に乗ったことはなっかったような気もするし。



ファーティフ・スルタン・メフメット大橋(昔は第2ボスポラス大橋と呼んでいた)とその脇にあるルメリ・ヒサル(1452年メフメット2世が建造)。



ルメリ・ヒサル。




アナドル・カヴァ。




アナドル・カヴァから黒海方面を眺める。




船の上から(山の上にある城はアナドル・カヴァだと思う)。



復路も観光船に乗ることが可能だが、小さなローカル船で対岸にサリエールへ渡り、そこからバスでエミノニュにもどった。船より少しでも早く戻り、旧市街をぶらつきたいと思った。

4時少し前にエミノニュ到着。観光船で戻るより1時間くらいは早く着けた。

まず、エミノニュからすぐのエジプシャンバザールへ行った。かつては、ほとんど地元の人たちのための市場という感じだったが、近年はお土産屋が急増している。チャイ(紅茶)や食料品を売る店も多く、母から頼まれた蜂蜜をさがした。なんでもテレビ番組でトルコの養蜂家をとりあげていたそうで、非常に多くの花の蜜からできている蜂蜜があるので、それを探してきてほしいと頼まれたのだ。手掛かりは「たくさんの花」だけなのだが、蜂蜜を売っている店に入ってみると、ラベルを貼った大量生産ものと、ただ瓶につめられただけの、いかにも「少量生産」です、というものがあり、後者を味見させてもらうと確かにうまい。500グラムのを一つ購入してグランドバザール方面へ歩いていった。何かを買うという目的もなくだた雰囲気を味わうだけのために。



エジプシャン・バザールの裏の商店街の雑踏。




グランド・バザール。




グランド・バザール。



イスタンブール観光の締めは、エミノニュの鯖サンドということにした。一つ150万トルコリラ(約1ドル)。さらに焼きとうきび(とうもろこし)をかじり腹いっぱいに。これを夕食とした。

すぐホテルに入って休みたいが、空港まで行って荷物を受け取りそこからタクシーで行かなくてはならない。

朝、少しでもゆっくりできればということと、100ドル以上する部屋がインターネットで予約すると半額くらいで泊れたので思わず予約してしまったのだが、後悔である。旧市街に出て、そこで適当なホテルを探せばよかった。


8月28日。
6時半にチェックアウト。空港には6時45分ころ到着した。
チェックインを済ませ、お土産屋をのぞくと(買う気はないが)、蜂蜜も売られていた。どうやら蜂蜜もトルコの名産らしい。

9時すぎトルコ出発、12時少し前パリ到着。パリ出発は夕方なのでかなり時間がある。
そこで、パリ市内で札幌ラーメンを食べたいと思った。パリで出す札幌ラーメンってどんなものか興味があった。

ただ、大きな荷物を持ってパリ市内を歩きたくない。しかし、空港駅の荷物一時預かり(ロッカー)は閉鎖中だった(前年の同時多発テロの影響らしい)。

結局、パリ市内で札幌ラーメンというのはあきらめて、空港駅でツナサンド(バゲット)をかじって昼食とした。

その夜、機内でひどい下痢・嘔吐・発熱に襲われた。

日本到着後、成田空港の検疫所で検査を受けたところ、腸炎ビブリオというやつで、食後数時間から半日で発症ということだった。ということは、空港のツナサンドが犯人の可能性が高い。
無理をしてでもラーメンを食べに行けば・・・。検査結果を聞いて若干後悔した。

  終わり。