フランス・トルコ組合せ旅(フランス) 8月14日(2002年)。今回の旅は珍しく、フランスなどという先進国に1週間も日程をとってある。 パリは一度3日間ほど観光したことがあるので、昨夕パリに到着したばかりだが、すぐに移動ということにした。 行き先は、サン・マロという街。地球の歩き方のホームページの掲示板で推薦する言葉があったので行くことにしたのだが、近くにに有名な世界遺産モン・サン・ミッシェルがある。これを無視する手もあるが、モン・サン・ミッシェル経由で行くことにした。 しかし、これが失敗。モン・サン・ミッシェルはとてつもない観光客ラッシュだった。
サン・マロの街のすぐ近くにはビーチがあり、フランス人に人気のリゾート地ということで、ここも観光客ラッシュ。城壁で囲まれた趣のある街なので、静かな時期に来たい所だ。城壁の上には海が見える場所もあるのだが、海水浴客でごったがえす様子よりも、誰もいない海を見たいものだ。
8月15日。 朝、サン・マロからレンヌへ出た。旧市街に中世の町並みが残っている。 駅前ホテルの部屋を確保してから、フジェールというところへ行こうとした。ここはかつてブルターニュ公国という独立国の国境近くに位置し、国境守衛のための巨大な城塞が残っている。しかし、困ったことにバスがないではないか。フランスでは休日になると極端にバスの便が減る。モン・サン・ミッシェルは別格らしく、レンヌからのバスの便はけっこうあるようだが、バスターミナルの切符売り場・待合室自体が鍵がかかって閉まっている。フジェール行きはあきらめて、レンヌの街をぶらぶらすることにした。
夕食は上の写真のようなう古い建物を使ったレストランで食べた。別にガイドブックにのっているわけでもなく、街をぶらぶら歩いているときに見つけたレストランだ。高級な店ではなく、普段着で食べに来る店だった。フランスに来たからには何としても本場のフランス料理を、という発想は僕にはあまりなく、あまり高くない値段で、とりあえず何か食べられればという気持ちで何となく入った。フランス語のメニューを読むための予習もまったくしておらず、前菜とメインディッシュとデザートくらいの区別はつくが、はっきりいってあてずっぽうで食べるしかない。幸い店の人が、今日のおすすめを教えてくれ(少し英語もまざっていたが、基本的にフランス語なのでよく理解できなかったが)、一か八か鶏肉(?)のオレンジ何とかというやつを頼むことにした。料理名はわからないが、鶏肉(鴨?)をローストしたやつをオレンジソースで煮た(?)ものだった。昔一人暮らしを始めたばかりのころ、料理本を見て鶏肉のオレンジソース煮のようなものを作ったが大失敗したのを思い出した。しかし、こちらの料理はあたりだった。 8月16日。 この日は移動の日。最初は、TGVを乗り継いで南部のトゥールーズへ行くつもりだった。しかし、パリからのTGVが満席だったため、急行(っていうのだろうか?)に変更。チケットはフランス・レイルパスというやつで、座席指定をしない場合は、これさえあればどこでも乗り降り自由というものだ。 しかし、トゥールーズまで行こうと思っていたのにもかかわらず、途中で目的地をフィジャックに変更。どうせフィジャックへ行くのだし、と思ったわけだが、ガイドブックを見るうちに、明日トゥールーズからカルカッソンヌへ行くのもいいかもと思えてきた。車中でああでもないこうでもないと考え、結局、トゥールーズへ行くことにした。行き先の決まっていない旅はこういうところも楽しい。
8月17日 朝、トゥールーズの旧市街を少しだけ歩き、その後、カルカッソンヌへ移動した。フジェールの城塞を見られなかったのでこちらで、というわけでもないが、19世紀にはいって復元されたシテ(城塞)を見に行った。ここも世界遺産に指定されているらしい。
8月18日 午前中、鉄道でトゥールーズに出て、さらにフィジャックという町まで行った。地方の小さな町なので列車の本数は少なく、かつトゥールーズからの列車はわずか2両編成だった。そのせいですべての席がうまり、のんびりと車窓を眺めながらの移動とはならなかった。 フィジャックは12世紀から14世紀の街並みが残ることや、ロゼッタ・ストーンを解読したことで知られるジャン・フランソワ・シャンポリオンの故郷として知られる。しかし、シャンポリオンの故郷かどうかはどうでもよく、とにかく古い街並みを眺めながらのんびりと歩きたかった。 さすがに観光ラッシュはフィジャックの町までは及んでいなかった。
8月19日。 今日は唯一出発前から行くことに決めていた、コンクという町へ行く日である。 スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路にある小さな村である。 『地球の歩き方』には「ここには登山靴にリュック、そして木の杖を手にした巡礼者が多い」とあり、俗塵にまみれていない静かな村ではと思い、行くことにしたのだ。また、フランスでもっとも美しいといわれる村の一つでもあるらしい。 しかし、問題が一つあった。交通の便が最悪なのだ。土曜・休日にはここへ行くバスはなく、平日も、ロデスという都市との間に一往復しかないのだ。とはいっても、観光シーズンは少しは増発もあるのではと思い、『地球の歩き方』で知ることができたホテルにメールで問合せてみた。しかし、回答は『歩き方』と同じ内容で、結局、19日の夕方4時半のバスでロデスからコンクへ入り、翌日の朝8時のバスで、コンクからロデスへ戻るという旅程で行くことにした。 ロデス駅前にはコンク行きバスの表示は一切なく不安になったが、駅員にたずねたところ、確かに一日一便あるとのこと。 バスは10分以上遅れてやってきた。運転手はまるまると太ったおじさん。「ボンジュール」と言って乗り込んで席に着いたが、客は僕一人だけだった。運転手が盛んにルームミラーを見ながら話しかけてくる。すべてフランス語だから、何を言っているのかほとんどわからないが、「どこから来たのか」と聞いているらしいことと、身振りからコンクで泊るのかと聞いていることがわかった。そして今日はもうロデスへ戻るバスはないと言っていることもわかった。「今日ロデスに戻るバスはないが、お前はコンクに泊るのか」と聞いていることがわかったので、「そうだ」と答えた。 バスには途中で小さな荷物を積み込んだので、郵便屋かもしくは宅配便的役割も担っているようだが、客は最後まで僕一人だった。 17時半過ぎ、コンクへの上り口で降ろされ、細い道を登っていくと、観光客でごった返すコンクの街に出た。皆車で来るのだ。 予約しておいたホテル(色々と問い合わせたこともあり、お礼として予約したのだ)、にチェックインして、すぐに街歩きに出た。山間のこじんまりとした街で、高いところからの眺めが素晴らしい。
8月20日 パリまで移動するだけの日である。 しかし、朝8時のロデス行きのバスを逃すと、公共の交通機関でコンクを出ることが不可能になる。例によって目覚ましを二つセットして(いつも目覚ましを二つ持っている。電池切れ・故障などで万が一のことがあったら旅程がめちゃくちゃになるので、念には念を入れるのである)、6時には起きた。8時のバスに乗るにしては早い起床だが、シャワーを浴び、スニッカーズをかじり、そして、いったん外出した。ホテルの朝は遅く、7時だというのに、朝食の準備はまだで、玄関の鍵さえ開いていない。ホテルから預かっていた鍵で玄関を開け(夜から朝までは従業員が配置されておらず、客に鍵が渡されるのである)、街へ出た。 フランスはサマータイムを採用しているので、7時をすぎているのにまだ薄暗い。目指すは、谷を隔てた小高い丘である。ここからはコンクの村全体が見渡せるらしい。しかし、結構距離がありそうだ。バスの出発は8時である。15分で着けなかったらあきらめて引き返そう。そう決めて、きつい下り坂と上り坂を走った。途中から小雨が降ってきた。この旅初めての雨である。傘は部屋においたまま出てきたが、引き返す時間もないし、ギブアップするのも悔しいので、かまわず走った(上りはさすがに小走りという感じだが)。幸い雨はあまり強くはならなかった。 タイムリミット寸前でめざす展望台のようなところに着いた。しかし、黒い雲が空一面を覆っており、かつ夜も完全には明けきらないという状態で、村の上に薄墨をぬったようになっている。写真撮影には極めて厳しい状態だ。この当時、僕は基本的にiso100のフィルムしか使っていなかったので、かなりのスローシャッターでないと撮れない状態だった。走ってきたせいで息があがっており、かなりぶれそうだ。ダメモトで2カットほど撮ってから、ちょっとの間、村を眺め、また村へ向かって走り出した。
7時50分ころホテルをチェックアウトしたが、ようやく朝食の準備を始めたところだった。「朝食を食べていかないのか?」と聞かれたが、バスは8時なので食べる時間がない。 ロデス行きのバスの客は僕をいれて6人だった。運転手は昨日と同じおじさん。途中、地元のおばさんを乗せ、客は7人になった。荷物待ちのためか、ある町で20分ほど停車し、9時半ころロデス到着。パリ行きの列車は11時50分発なので暇だが、ロデス到着直後から猛烈な雨が降り出したので、街をぶらつくこともできず。 列車は18時50分、ほぼ定刻通りパリに到着した。カルチェラタンにホテルをとり、夕食をとり、セーヌ河畔を散歩した。たまにはフランスみたいなところもいいもんだと思った。実際、とくに田舎に行くと皆気さくで、外国人観光客に対するホスピタリティーもあふれていた。フランスという国をちょっとみなおした。まあ、今までフランスを知らなすぎたのだが・・・。 |