万里の長城と明の十三陵 <3日目>この日は森さんと二人でタクシーをチャーターして万里の長城と明の十三陵の観光に出かけた。 まず、向かったのは万里の長城観光で有名な北京郊外の八達嶺。
この後、明の十三陵へ移動する途中、昼食タイム。何を食べたかなどはすっかり忘れてしまったが、トマトに砂糖がかけられていたことを何となく覚えいている。ところ変われば品変わるである。
定陵を見学した後、十三陵の参道にあたる部分に行った。ここには、功官、文官、武官、馬、麒麟(想像上の動物)、象、ラクダ、カイチ(想像上の動物)の石像が並んでいる。 一応、以下撮影した順番で並べて置いたが、どういう感じで回ったのだったろうか? ちなみに、当時は車が通る道だったが、現在は整備された遊歩道みたいになっている模様。
明の十三陵を見ているあたりで、かなりグロッキーな状態になっていたと思うが、この日の夜、高熱に襲われた。 風邪気味というわけではなかったと思うが、ホテルのベッドで毛布にくるまって、思い切り汗をかいても熱が引く兆しはなく、その後、旅程をどうしたものかと考えた。 森さんにもご心配・ご迷惑をかけ申し訳のない一晩をすごした。 (8月9日の北京:曇り、最低気温21°、最高気温31°) <4日目> 朝になっても熱は引いてはいなかった。
この日の午前中だったか、森さんは西へ向かって自転車で出発した。森さんが出発するところの雄姿をカメラにおさめておけばと、いまさらながら悔やまれる。 当時、中国では外国人に開放していない都市や地域が多くあり、森さんは甘粛省で公安につかまってしまい、カシュガルを経てパキスタンへという予定を変更して、鉄道・バスでラサまで移動。そこから自転車旅行を再開してヒマラヤを越えてネパールに入った。その後、ヨーロッパ、南米、北米、ヨーロッパ、アフリカ大陸と走ったが(何度か空路移動)、ナイジェリアで肝炎にかかってしまいアフリカ大陸南部へは行けずに帰国された。その記録をつづった本が、この旅行記の最初に引用した『天国と地獄 地球8万キロ自転車の旅』である。 森さんの旅の最中、僕は何度か手紙のやり取りをした。今ならば(これを書いているのは2021年5月)Eメール、SNSなどを利用して連絡を取り合うことは容易だと思うが、そんなものがなかったこの当時、国際電話以外の手段は紙の手紙しかなかった。そもそも旅先で知り合っただけで、特に急用や大切な用件もないのに国際電話を利用するなどということがありえないので手紙の一択である。 ところで、いったい旅行中の人にどうやって手紙を送るのかと疑問に思うかもしれないが、森さんが「次は〇〇に行くので在○○日本大使館止めで送ってください」と手紙をくれて、こちらはそれに合わせて手紙を書いたというわけである。自転車旅なので予定通り到着できるとは限らないが、手紙の保管期間はけっこう長かったのだろうか? さて、自分の旅である。 この日は西安に向けて出発する予定だったが、熱が引かないので出発をあきらめる。
この日は1日ホテルで休み、体調が好転するのを待ったが良くなる兆しがないまま夜になった。 (8月10日の北京:晴、最低気温19°,最高気温31°) <5日目> やはり熱が引かない。 残念だが旅の続行をあきらめて帰国することにする。ということで、北京の旅は4泊5日で終了となった。 光華飯店から歩いて行けるところにある京倫飯店というホテルにJALのオフィスが入っていて、そこで、この日の14時半発大阪伊丹行きのチケットを購入。 熱があるまま飛行機に搭乗して、熱があるまま帰国。コロナ禍の現在ならば大問題になるところだ。 入国後、伊丹空港内にあるエアポートホテルに行くと幸い空室があった。 ホテルのレセプションで何か薬はないかと尋ねるとバファリンをくれたのだが、これが効いたのか、夜半には、前日までのあの状態はなんだったのか、というくらい熱は下がっていた。 <6日目> 札幌行きの飛行機にも空席があり、無事帰宅。 初の海外旅行は散々な結果に終わったが、自転車で世界を旅しようという方に出会うことができたし、この後の海外旅行のバネにもなったので、振り返ってみると意外と収穫の多い旅だったと思う。 終わり。 |