自転車世界一周旅行者と出会う

「1986年8月7日、自転車を入れた大きな袋とたくさんの荷物を持って成田に向かう。荷物の多さにそのまま潰されてしまいそうだったけれど、いろんなものを捨ててきたんだという開き直りが、僕をかろうじて支えていた。正直言って不安ばかりで期待なんて湧いてくるどころでなく、一人旅にふさわしい寂しいスタートだった。
 北京のガランとした空港に着いて、さあどうしようとうろうろしていたら、同じようにうろうろしている旅行者がいて、あてのないわれわれは同じ飛行機の乗客から取り残された。どちらからともなく話をしていっしょにタクシーに乗り市内の安ホテルへ向かう。そして同じ部屋をシェア―する。まずは順調なすべり出しだ。緊張で顔が引きつっていただけに、寝所が確保できたということで、ひとつ大きな仕事をこなしたような気がして少々楽になった。」

上の文章は『天国と地獄 地球8万キロ自転車の旅』からの引用で著者はMさん(著作を明示しているので名前を伏せる必要はないのだけれど)。「北京のガランとした空港」で「同じようにうろうろ」していた「旅行者」とは僕である。

※この旅行記を最初にアップ(2021.5.9)した後、自分の部屋にあるガラクタ類を漁ってみると、この旅を終えてからあまり時間がたっていないときに北京到着当日のことを書いたものを発見した。ということで、それをもとに以下、若干加筆修正しました(2021.5.16)。


当時、中国を自由旅行する日本人は少数派で、同じ飛行機に乗っていた日本人(中国人乗客もそれなりにいたと思う)のほとんどは団体ツアー参加者、仕事で中国を訪れる人たちで、入国すると現地の担当者の案内ですぐに北京市内へ向かったと思われ、僕らが取り残されるようにして「うろうろ」していたのは当然であった。

僕らがうろうろしていた場所は、空港の到着口にあった中国国際旅行社(CITS)のデスクだったか、窓口のあたりだと思う。ここでホテルの部屋をシェアしようという話になり、CITSに予約とホテルまでのタクシーお願いした。ちなみに、空港にホテル予約の窓口があるなどということは当たり前のことだと思われるかもしれないが、手もとにある1985-86年版の『地球の歩き方』には空港にCITSの窓口があるという情報は載っていない。当時の北京は外国人観光客向けのホテルが不足していて、自由旅行者にとってホテル探しはかなり高いハードルだったので、空港でスムーズにホテルを確保できたというのは幸運なことだった。


ところで、この頃の中国旅行には制限が多く、まず、ビザが必要だった。そして、ビザ取得のためには、中国の公的機関、会社、友人、家族などからの招聘状が必要だった。

中国旅行は団体旅行が基本で、日本の旅行会社が中国の旅行会社(当時は中国国際旅行社が一手に引き受けていたのだったろうか)とコンタクトをとって、ツアー参加者分の招聘状をとって、その後に大使館なり領事館でビザを取得していた。

ただ、まったく個人が自力でビザを取得することが不可能だったのかというとそうではなく、中国旅行を扱っている日本の旅行会社に手数料を払って取得することは可能だった(通常航空券購入、ホテル予約、現地空港の送迎がセットだったが、なかには航空券購入+ビザ取得でもOKという旅行会社があった)。また、それとは別に香港でビザを取得するという手もあり、バックパッカーはこちらの方法を使うことが多かった。

さて、自分であるが、この年の7月だったか、中国に留学していた従妹が、上海で現地駐在のオーストリア人と結婚式をあげるということで、その出席のための招聘状を送ってくれたので、思いがけず中国旅行のチャンスを得ることができた。ただ、教員採用試験をひかえていて結婚式には出席できず、ビザだけは取得しておき、試験終了後、中国旅行に出かけることにした。

成田-北京の片道航空券を購入し(ノーマル運賃)、あとは成り行きに任せ、2~3週間旅して適当な頃合で帰国するといういい加減な計画で出発した。実はこれが初めての海外旅行だったのだが、けっして肝がすわっていていい加減な計画で出かけたのではなく、『地球の歩き方』というガイドブックはあるものの、今のように微に入り細にわたるものではなく、もちろんインターネットもないので、行ってみなければわからいということが多すぎて、細かい計画を立てるのは不可能だったのだ。実際、肝がすわるどころか、けっこう緊張しており、成田空港ではやたらとトイレが近かったという記憶がある。

北京の空港でのMさんとの出会いはそうした緊張から解放してくれた。とても幸運だったと思う。

さて、われわれを乗せたタクシーは空港を出ると、北京市内へと続く、何の木だろうか並木が続くまっすぐな道を走って行った。首都の空港と首都を結ぶ幹線道路にはふさわしくない、片側1車線の道で(センターラインはなかったと思う)、対向車とすれ違うときは若干スピードを落とさなければならないほどの道幅しかなかった。対向車のないときはタクシーは道のまん中を飛ばしていった。ずーっと見渡せる広い大地とまっすぐな並木道に、故郷北海道も広大だが中国はもっと広いぞと感じた。Mさんも思わず「オーッ」と声をあげた(ような記憶がある)。

それにしても彼の荷物は大きかった。飛行機の搭乗手続きの際、手荷物の重量超過料をまけてもらったと言っていた。光華飯店というホテルがわれわれのホテルで、そこで彼の大きな荷物が自転車であることを知った。さらに彼の目的地は中国だけではないこともわかった。カシュガルを経てフンジェラーブ峠を越えてパキスタンへと向かい、その後、世界の大陸を走破する予定だという。Mさんは旅程を書いた紙を見せながら旅の予定を話してくれた。カシュガルからパキスタンへと抜ける旅程もそうだが、自転車旅ではないものの、Mさんとの出会いは、その後の僕の旅に大きな影響を与えたと思う。そして、実際、この5年後、僕はフンジェラーブ峠越えの旅に出かけている。


以下、写真とともに簡単な旅行記を記していこうと思うが、この旅では旅日記、メモの類はまったく書かなかったので、写真を並べただけという感じになるかと思う。



北京到着日の天気がとてもよかったのは確かで(空港から市内に向かうタクシーからの眺めが鮮烈に記憶に残っている)、影がくっきりとしていること(晴れている証拠)、影が長いことから、北京到着日に夕食をとるため出かけたときに撮った写真だと思う。影の向きから考えると、北方向を撮ったものだと思われる。東長安街から東単か王府井に入っていったのだと思う。




一つ上の写真と同じ通りか? 旅に出るとけっこう街の何でもない様子を撮ることが多いが、この旅では自転車大国中国の様子をカメラに収めたかったのだと思う。残念ながら自転車の洪水という感じの写真を撮るチャンスには巡り合わなかったが。ちなみに現在は一人乗りの乗り物の主流は自転車は電動バイクに変化している。道路沿いの掲示板みたいなものは”壁新聞”か?




これも北京到着当日か?日本では見られないトロリーバスが珍しくてカメラを向けたのだと思う。

(8月7日の北京:晴、最低気温21°,最高気温31°…帰国後に新聞の世界の天気のコーナーで調べたメモが残っていた)


<ここからが2日目だと思う>
この日はMさんとは別行動をとった。

まず、最初に向かったのは北京駅。

この旅の最大の目的はシルクロード方面へ行くことで、少なくてもウルムチやトルファンあたりまでは行くつもりだった。それで、まず西安までの列車の乗車券を買いに行ったのだ。

当時、中国の列車の乗車券、とくに寝台券の購入は極めて難しいということだったが、北京駅の外国人窓口でわりとあっさり西安までの寝台券が確保できた。



北京駅。




北京駅から建国門大街に出たあたりか? 街のあちこちに掲げられている、国家目標を記した大きな看板が物珍しかった。そして、日本では見られない連結バスも。




建国門大街か東長安街と思われる。自転車の通行区分がかなり広く確保されているのが珍しくて写真を撮ったのだと思う。この日の天気は今一つ。とても湿気の多い日だった。




故宮博物院の午門。




午門の前にあった弁当屋。




大きな建物は太和門。




太和門。




太和門から午門を望む。




太和殿。




太和殿。ここは外朝といわれる皇帝が政務や儀式をおこなった場所の中心。




太和殿。




太和殿から太和門、午門方向を望む。




どこを撮ったものかわからなかったが、色々と調べてみると保和殿のようだ。雲龍石彫と呼ばれていて、雲・龍・海が描かれているそう。そして、何と一枚岩だそう。なお、故宮内にはこの手の階段があちこちにあるが、皇帝のみが通ることのできた(輿の乗って通った)。




保和殿の裏側から。赤い瓦が連なる光景に魅かれて撮ったものだと思う。




皇帝は日常生活をおくった内廷エリア。たぶん、右側の門をくぐると内廷の中心である乾清宮があるエリアだと思う。とにかく広大で、わけのわからぬまま、湿気もあってヘトヘトになりながら歩いたという記憶がある。奥の高いところに見える建物は景山公園のものだと思う。




屋根の走獣とよばれる厄除けのための飾り。大きな建物にはもっと沢山の動物が連なっているのだが、長いレンズがなくちゃんと撮れないので、低いところにあるものを撮影。一応、大きな屋根についているものとデザインは共通していて、先頭が仙人、途中に想像上の動物(縁起の良い動物)が並び、最後尾に角を持つ動物を配するという点は同じ。




乾清宮。




一番北端にある御花園。観光客がわんさかと写っているので、下をカット。奥に見える岩が有名らしい。




御花園。




2つ上の写真に写っている岩山。堆秀山といい、中国各地から集められた奇岩を使って作られた築山だそう。重陽節(9月9日)に皇帝と皇后が登り宴を行ったとか。上に建っている楼閣も重要な建物らしい。もちろん、この時、そんなことは知らず、ただ何となく撮った写真に写っていたというだけ。




御花園。




故宮の北にある神武門から退出した後振り返って1枚。




旅にまつわるガラクタの中から発掘。



故宮博物院を出た後、すぐ北側にある景山公園に行った。その名の通り、景山という山を中心とする公園。景山は元代にフビライの命令で築かれた人工の山で高さは43m。北京随一の見晴らし台ということで行ってみた。



景山から故宮を望む。月並みの言葉しか出てこないが、すごい眺めだと思った。




景山の北側の眺め。




故宮(紫禁城)の周囲には堀がめぐらされている。




東長安街へ向かって南下しているときに撮ったもの(どの通りなのかはわからない)。



この後、北京飯店に寄ったと思う。

当時、中国では清涼飲料水といえば汽水という炭酸飲料で、炭酸は抜け気味、色は不自然、味はファンタオレンジもどきというものだった。乾いたのどにはこれで十分だったが、北京飯店のショッピングコーナーみたいなところに行けば、コカ・コーラが手に入るということで寄ったんだったか?

そういえば、景山公園のあたりだったか、酸梅湯なる甘酸っぱい飲み物も飲んだと思う(酸梅湯は伝統的な飲み物らしく、この旅行記を書くにあたって調べてみると、日本でも売られていて通販でも手に入るらしい)。

北京滞在中、北京飯店に入っている五人百姓という日本料理屋へも行ったが、それはこの時だったか?

旅行記を書いているうちに、意外と色々と思い出すものだ。



天安門と天安門広場。




天安門広場(天安門を背にして)。3枚の写真を強引につなげてみたもので、右が人民大会堂、左の塔は人民英雄記念碑でその後ろの建物は毛主席記念堂。



たぶん、天安門広場でこの日の観光は終了したと思う。
(8月7日の北京:曇、最低気温21°,最高気温32°、北海道人の自分にとってなかなか厳しい気候だったのだなと思う。)



バスの切符。幅2センチ、長さ5~6くらい。乗車後、車掌に行先を告げて買うが、中国語をちゃんと発音できないとわかってもらえないので、地図を指さして買う必要があった。北京のバスは基本いつも満員で切符を買うのは一苦労だった。




トロリーバスの切符。サイズはバスの切符と同じ。