スィデ(シデ)
スィデは、紀元前7世紀にギリシャ人によって造られた植民都市で、その後、アレキサンダー大王が支配。曲折を経て1世紀にローマ帝国の支配下に入り、2世紀にかけて最盛期を迎えたが、7世紀に大地震や起きて衰退した。

『地球の歩き方』の表記にしたがって「スィデ」と書いたが、現地のバス乗り場などではいつも「シデ」と発音して尋ねたりした(それで問題なく通じた)。

スィデにはアンタルヤから日帰りで行く観光客が多いのだが(アンタルヤの東約80kmのところにある)、ダイレクトにアクセスできるバスの便はなく(現在はどうなっているかわからない)、アンタルヤからマナウガットへ行き、そこでスィデ行きのドルムシュなどに乗り換える(マナウガットへ行く途中スィデへの分かれ道で乗り換えることができる)。

スィデ遺跡へは1992年3月、2004年8月、2011年8月の3度訪れている。1度目はアンタルヤからタクシーをチャーターして行ったが(ペルゲ・アスペンドス・スィデを巡るツアーが客が集まらず催行されなかったので)、あいにくの雨で次の機会をねらうこととなり、2004年8月に再訪した(アンタルヤからバス、ドルムシュを乗り継いでアクセスした)。しかし、アポロン&アテナ神殿の向こうに沈む夕日を見たくて、2011年3度目の訪問となった。この時は、カッパドキアから(たぶん)アンタルヤ行きのバスに乗り、スィデへの分岐点で降車してドルムシュに乗り換えて行った。



スィデのオトガルから遺跡の中心部に向かう途中にある建造物。どういう建造物の遺構なのかは詳細なガイドブックがなくわからない(2004年8月)




劇場。(1992年3月)




劇場。一つ上の写真とほぼ同じ場所から撮ったものだが、未修復の様子がよりわかりやすいと思う。海の方に見える建造物はアゴラのそれか?(1992年3月)




劇場。12年ぶりで訪れたが綺麗に修復されていた。(2004年8月)




劇場の北側だと思う。(2004年8月)




上の劇場の写真に遠景として写っている建造物。この手前がたぶんアゴラ。(2004年8月) 2020年以降の修復が著しいようで、グーグルマップの写真を見るとアゴラ(と思われる)広場の周囲には列柱が建てられている。




アポロン&アテナ神殿。雨のため陰鬱とした景色だった。(1992年3月)




アポロン神殿。これぞ地中海岸の遺跡という景色を見ることが出来た。(2004年8月)




アポロン神殿。(2004年8月)




スィデはリゾート地としても人気の場所。(2004年8月)




まさしく観光地という感じのメインストリート。(2004年8月)




2度目の訪問の際、日没までねばることも考えたが、アンタルヤに戻る交通機関のことが気になり、アポロン神殿越しに沈む夕日を見ることができなかった。ということで2011年、スィデに泊ることを前提にカッパドキアから向かった。夏なので日没までには余裕でたどりつけるだろうと思った。しかし、カッパドキアからのバスのスタッフがスィデへの分岐点で降ろしてくれという当方のリクエストを失念してしまい、ドルムシュを2本乗り継いでスィデに行く羽目に陥ってしまった。ただ、ぎりぎり日没には間に合い、劇場を横目に海岸への道を急いだ。(2011年8月)




アポロン&アテナ神殿と夕日。これを見に来た。(2011年8月)




アポロン&アテナ神殿のブルーモーメント(マジックアワーという言い方が一般的なようだが、この空の色が見られるわずかな時間にはやはりブルーモーメントという言葉の方がふさわしいと思うので、自分はそちらを使っている)。(2011年8月)




(2011年8月)




ホテルへ向かう道すがら振り向くと、空が北斎の絵にでもありそうな感じの色合いだった。まさしくマジックアワーだ。この日は綺麗な空が見られて運が良かった。