パムッカレ、カラハユット
<パムッカレ>
パムッカレは温泉地で、その湯は高さ100mに及ぶ台地の斜面を伝って流れ落ち、湯に含まれた石灰分が結晶して階段状の石灰棚を形成している。しかし、乱開発のため温泉の湧出量が減少し、斜面を流れる湯量を抑え、また、景観保護のため石灰棚への自由な立ち入りは禁止され、遊歩道を歩いたり(裸足になる必要がある)、一部の石灰棚に入ることができるだけになっている。ここへは1988年11月、1992年3月、2002年8月に訪れている。1988年にはまだ、シーズンオフの11月であるにもかかわらず、石灰棚にどんどんお湯を流していた(残念ながら撮影済みのフィルムを失うという失態を演じてしまい写真はない)。まだ、温泉湧出量の減少が問題にはなっていなかったのだろうか? しかし、1992年3月には石灰棚へはお湯を流し込んではおらず(時々は流していたのか?)、このときには温泉の枯渇への対応が強く意識されていたのだと思われる。2002年8月にはごく一部の石灰棚のみにお湯を流すように調節されており(お湯がないと美しくないし、また流すことにより白さを維持しているらしく流す場所を計画的に変えているらしい-遊歩道脇は常に流していると思われるが)、また、観光客は自由に歩き回ることが禁止されていた。



(2002年8月) 遊歩道から石灰棚を眺める。




(2002年8月) 遊歩道から(だと思う)石灰棚と麓のパムッカレ村を眺める。




(1992年3月) 石灰棚に流れるお湯がとめられていた。




(1992年3月) 石灰棚に流れるお湯はとめられていたが、一部の石灰棚には水がたまっていた(たまにお湯を流していたのか?)。観光客の姿が見えるが、まだ、石灰棚の中を自由に歩き回ることができた。




(1992年3月) 




(1992年3月) 温泉のお湯が流れる水路が左端に見える。




(1995年6月) これは両親がトルコ旅行に行った際に撮った写真。この頃石灰棚への立ち入りは自由だった。 




(1992年3月) 雪が積もった石灰棚。




(1992年3月) 石灰棚の上にあったホテル。石灰棚に似せたプールがあった。ちなみに石灰棚の上にあったホテルは、その後、温泉の保護・環境の維持のためすべて閉業して取り壊された。




石灰棚から上にあがっていった場所にあるパムッカレ温泉。プールの底にギリシャ・ローマ時代の遺跡がごろごろしている。



パムッカレのお湯の流れ出る台地の上にはヒエラポリスという都市があり、現在その遺跡が残っている。ヒエラポリスは紀元前190年ペルガモン王国の時代に建設された都市で、2世紀にローマ帝国の支配下に置かれ、温泉を利用した保養地として繁栄した。その後、ビザンツの支配を経て、セルジューク朝により攻撃で衰退し、14世紀半ばの大地震で都市は崩壊した。



(1992年3月) ローマ時代の劇場。ヒエラポリスのなかで一番の見どころといわれているが、この頃はかなり荒廃した状態だった(その後綺麗に修復された)。なぜか劇場内の写真は撮っていない。もしかしたら88年に訪れたときから荒廃した状態に変化がなかったので、中に入いらなかったのかもしれない。




(1992年3月) ヒエラポリス。建造物のこういう装飾の残骸が面白かった。




(1992年3月) ヒエラポリス。




(2002年8月) ヒエラポリス。




(2002年8月) ヒエラポリス。遠くに綺麗になった劇場が見える。この時、劇場は見学しなかったと思う。




(1992年3月) ヒエラポリスの墓所の部分(ネクロポリス=死者の街)。




(1992年3月) ネクロポリスの石棺だと思う。



*1988年11月の旅日記
1988年の旅ではかなり詳細な旅日記を書いていた。そのなかのパムッカレの部分は次のような感じ。

「(デニズリのオトガルから乗った)パムッカレ行きのミニバスはデニズリの街の同じところをまわりだした。客集めだ。車掌役のおじさんが「パムッカレー、パムッカレー」と叫ぶ。「パムッカレー」の後に別に何か言っているが「パムッカレーはないかー」と聞こえる。 市街地を3周ほどしてからやっと郊外への道を走り出した。20分ほどで白い段々畑のような石灰棚が目の前に現れ、その縁に沿う坂道をバスはウインウインとうなりながらのぼっていった(今は車の立ち入りはできなくなっている)。石灰棚はもっと大規模なものかと思っていたが、小さなスキー場の距離は短いが少し傾斜のきつい中上級者向けコースという感じだ。……さっそくホテル捜しだ。石灰棚の麓にいけば安宿はたくさんあるようだが、石灰棚の上にある高級ホテルを奮発する。コッテージ式で一部屋一部屋玄関が別になっており、共同の中庭には温泉プールがあるという豪華さ。しかし、一泊朝食付きで日本円換算約2500円だった。ただ、これはシーズンオフ料金だから、オンシーズンはもっとするはずだが…。チェックインの後、石灰棚を見てから、さらに山の上の方にあるローマ時代の劇場に行ってみたが、エフェソスを見てしまった目には少々物足りない。遺跡を見た後、また石灰棚に戻ってきた。この石灰棚は夕暮れが美しいと言われている。靴を脱いで棚田のようにお湯がたまっている中に足を入れる。あまり暖かくない。お湯は上の段から下の段へと流れ落ちていくので、下の段へ行くと冷たいくらいだ。陽が傾くにつれて遠くの景色が逆光にかすんで、白い石灰棚が薄いオレンジ色になってきた。丁寧に構図を決めシャッターを切る。写真の出来上がりが楽しみであったが見ることができなくなってしまった(フィルムを失うという失態を演じてしまった)。ところで明かるい時間帯は美しい石灰棚だが、夜になるとそうでもない。昼食が軽かったので、日が暮れるとすぐに空腹に襲われた。ホテルの夕食時間が8時からと遅くて、それまで待ちきれそうにないので、石灰棚の下の安宿街まで歩いて出かけたのだが、石灰棚を照らす照明が寒々として何かナイタースキー場といった感じで、なおかつ白い斜面には誰もいないので、かなり不気味な光景だった。」




<カラハユット>
カラハユットはパムッカレのすぐ北にある温泉地。ここへは2011年8月、スィデからイズミルまで長距離移動した日にちょっと寄り道した(時間がなかったのでパムッカレには寄らなかった)。



カラハユットの温泉の噴水(バスの中から撮った写真)。




カラハユットの北の端にある市営温泉に向かいます。




市営温泉に向かう途中振り返って撮った写真。




市営温泉の露天風呂。水着を着て入るタイプの共同浴場だった(となりの部屋は泥温泉)。係りの人に「水着持ってないんだけど」というと、客が自分一人だったためか「鍵をかけて入っていいよ」という。ということで個室露天風呂として利用した。湯船というか小さいプールは深いところは胸くらいまでお湯がくる。また、お湯はちょっと熱めだった。







浴室の入口方向はこんな感じ。