カーリエ博物館
イスタンブール旧市街の北西端、テオドシウスの城壁近くにあるカーリエ博物館は、6世紀に建てられたコーラ修道院付属の聖堂。現存する建物のもともとのものは12世紀前半に建設されたものだが、14世紀前半の増築によって現在のような形になり、このときモザイク画、フレスコ画も製作された。オスマン朝時代、キリスト教絵画の上に漆喰が塗られ、聖堂はモスク(カーリエ・ジャミイ)として使用されていたが、1948 年から1958 年にかけてアメリカのビザンツ研究所によって絵画を隠していた漆喰の除去や発掘調査、保存作業が行われた。その後、博物館として公開されてきたが、2020年アヤソフィアと同様にモスク化が決定され、現在はカーリエ・ジャミイとなっている。(建物の来歴や聖堂の構成などについては、猪俣圭祐「コーラ修道院聖堂におけるキリスト教絵画による空間構成」を参考にした)

ここには1994年、2004年、2013年の3度訪れている。1994年には訪れる人も少なくひっそりとしており、博物館周囲の街も普通の住宅街という雰囲気だったが、2004年にはそれなりの観光地という雰囲気になっていた。

なお、上述の通り現在はカーリエ・ジャミイ(モスク)となっているが、訪れたのはいずれも博物館時代なので上記表題も「カーリエ博物館」とした。



カーリエ博物館(奥のドームを持つ建物)とその前の街。オスマン朝時代にモスク化された時に造られたミナレットも見える。(2004年8月)




聖堂の中心の部屋(ナオスという)。(2004年8月) 光が差し込んでいる窓のところが祭壇があった場所だと思う。祭壇に向かって右にモザイク画(聖母子像)が見えると思う。それを撮ったのが一つ下の写真。なお、左側にキリストのモザイク画もあるのだが、他の観光客がいて絵的に美しくなかったのか、この角度で撮った写真しかない。それから、オスマン朝下ここがモスクになった際に付け加えられたミフラーブが見える(窓の右下に不自然な角度で設けられた暖炉みたいな形のもの。モザイク画が少なく質素な感じだが、当初はドームを含めて沢山の宗教画で飾られていたと考えられている。




一つ上の写真に写っている聖母子像のみを撮ったもの。(2013年3月)現在、ここはモスクとして使用されているので、礼拝時にはこの絵を隠すためスクリーンが降ろせるようになっているようだ(TBSの「世界遺産」で見た)。




ナオスの出入口の方を撮ったもの(向こう側に横長の部屋=内ナルテクス、外ナルテクスがあり、外ナルテクスに外との出入り口がある)。この部屋の出入口の上のモザイク画がありとても有名らしい。(2004年8月)




一つ上の写真に写っているモザイク画に注目して撮ったもの。これは「コイメシス(眠りの聖母)」と呼ばれるもので、中央に横たわっているのが永眠した聖母マリア。中央にはキリストが描かれている(マリアの霊を表す幼女を抱いている)。上からスポットライトが当てられていて、それによりかえって写真が撮りにくかった。(2004年8月)




(1994年3月) 内ナルテクス。右の光が差し込んでいる出入口は外ナルテクスに通じている(そのすぐ先に建物の出入口がありその光が差し込んでいる)。左側の出入口は聖堂の中心部(ナオス)に通じている。




(2004年8月)




(2013年3月)




(1994年3月)




(1994年3月)




(1994年3月)




(1994年3月) キリストと大きな帽子を被った男性が描かれた部分(下の部分)は、帽子の男性(デオドロス・メトキテス)がキリストのこの聖堂を捧げるところを描いたもの。デオドロス・メトキテスはビザンツ皇帝の宰相で私財を投じてこの聖堂の増改築と沢山の絵画の製作を行った。




(1994年3月)




(2013年3月)




(2004年8月)




(2004年8月)




外ナルテクス。この部屋はミュージアムショップがあり、下まで写すと美しくないため、上だけ撮ったのだったか?(2013年3月)




このキリスト像の下が内ナルテクスへの入口になっている。(2004年8月)




(2004年8月)




どちらのナルテクスにあった絵かはわからない。(1994年3月)




(1994年3月) 聖堂の中心(ナオス)の南側に通路で接続される形で増築された葬礼用礼拝堂(パレクシオン)のフレスコ画。 初めてここを訪れた際、ナルテクスのきらびやかなモザイク画の印象が圧倒的でパレクシオンのフレスコ画はあまりひきつけられず、モザイク画の写真の数が圧倒的に多くなってしまった(再訪時、再々訪時も同様)。あまり数は撮っていないのなかの一つがこれで「アナタシス(冥府降下)」と呼ばれる場面。復活のキリストが冥府(死後の世界)に降りてアダムとイブを救い出そうとしている。




(1994年3月) 葬礼用礼拝堂(パレクシオン)のフレスコ画。 かなりブレブレだが「最後の審判」の場面。




葬礼用礼拝堂(パレクシオン)のフレスコ画(聖母子像)。(2013年3月)




(2004年8月)