アフロディシアス
アフロディシアスは紀元前3世紀ころから愛と美の女神アフロディーテの聖域とされ、アフロディーテ神殿が築かれ、これを中心に都市が形成された。紀元前1世紀に成立したローマ帝国とは密接な関係を持ち、現在の残る建造物や彫刻などはローマ時代のものが中心。

この遺跡には1992年3月と2002年8月の2度訪れているが、知名度は非常に低く、特に1992年当時『地球の歩き方』には1~2世紀に建造された競技場の保存状態がとても良好というような情報が載せられていたが、肝心の行き方が記されていないという状態だった。そこで地図を見てバス、ミニバス、ドルムシュが走っていそうなルートを選んで行こうとしたが、結局、最後はタクシーを利用せざるをえなくなった(ちなみに現在の『地球の歩き方』にはアクセス方法の記述がある)。この時は雪が降るほどの寒さで、遺跡の雰囲気も陰鬱なものだったので、2002年8月、青空のもと遺跡見学をしようということで再訪した。この時はパムッカレの旅行会社が催行していたワンボックスカーを使ったツアーに参加した(輸送だけでガイドはつかず)。

1992年は遺跡内の情報もなく、写真のネガフィルムの画像の並びを見ると順路もへったくれもないという感じで歩いており、2002年にはテトラピオン(神域への入口)を通った後は、遺跡内の北はずれにある競技場に直行している。最後の訪問(2002年)から23年経過しているので(これを書いているのは2025年3月)、修復が進んで遺跡の様子は随分と変わっているかもしれない。



テトラピロン。これはアフロディーテ神殿の神域の入口にあたる。(1992年3月) うっすらとだが雪が積もっていた。




夏のテトラピロン。(2002年8月) 奥に見える白い柱はアフロディーテ神殿の遺構。




テトラピロンに施されたレリーフ。(2002年8月)




右の白い列柱はアフロディーテ神殿跡。左の方、木の陰になって一部のみがみえているのはテトラピオン。(1992年3月)




アフロディーテ神殿跡。 中央奥にテトラピオン上部(三角の部分)が見える。(1992年3月)




議事堂。(1992年3月)




議事堂。遠くにテトラピオンが見える。(2002年8月)




議事堂の一番上にあった座席。(1992年3月)




座席の装飾はイルカか?(1992年3月)




競技場。これを見るために来た。(1992年3月)




競技場。一つ上の写真とは逆の方向を撮る。(1992年3月)




競技場。(2002年8月)




競技場。トラックの部分に降りてみた。(2002年8月)




ハドリアヌスの浴場のあたりか?(1992年3月)




一つ上の写真と同じ建物。(1992年3月)




劇場。劇場の向こう、列柱が立っている部分は浴場だとか。(1992年3月)




一つ上の写真と同じような場所に立って。(2002年8月)




劇場。劇場の正面(写真の上部)に噴水(円形のもの)を供えた広場がある。(2002年8月)




右の斜面の部分は劇場。(1992年3月)




石棺。(2002年8月)




石棺。(2002年8月) アフロディシアスにはこの遺跡で出土した沢山の彫刻を展示している博物館があるのだが(ネット上には館内で撮った写真が見られる)、何故か1枚も撮っていない。1992年に行った際には入館しなかった可能性があるが(旅のメモによるとアフロディシアスには1時間強しか滞在していない)、2002年に行った際には入館しているが(旅のメモには入館料を記している)はフィルムの残りが少なくなり撮らなかったのか(遺跡の写真も驚くほど少ししか撮っていない)。