アンコール遺跡群(カンボジア)

 9~15世紀にかけて繁栄したアンコール王朝によって築かれた建造物群。なかでも、12世紀前半にスーリャヴァルマン2世によって建立されたアンコール・ワット(ヒンドゥー寺院)と、12世紀末にジャヤヴァルマン7世によって建造された都城アンコール・トムの中心に位置するバイヨン寺院(仏教寺院)は有名。

*インプレッション
 建造物そのものも十分素晴らしいが、バイヨン寺院の多くの観音菩薩像、アンコール・ワットの回廊の図などレリーフ・彫刻の類が印象的。また、規模は小さいがバンテアイ・スレイのヒンドゥー神話を描いたレリーフ群は圧巻。内戦が終結してからしばらくたって、ようやく落ち着いてきたころの1997年に初めて訪れ、2012年に再訪した。遺跡観光の拠点シェムリアップの変容には驚いたが、遺跡自体の素晴らしさは変わってはいなかった。(以下の写真には97年と12年のものが混在しています)


バイヨン寺院


アンコールトムの南大門への道。城門の四面には、ジャヤヴァルマン7世の信仰した観世音菩薩の顔が刻まれている。



バイヨン寺院というアンコールトムの中心に位置する大寺院。ジャヤヴァルマン7世の信仰した観世音菩薩の顔が全部で196面もあるという。





上はカンボジア軍の戦闘の場面。右はチャンパの水軍、水中の魚まで描かれているのが面白い。この他にも興味深いレリーフが沢山。




アンコールワット


アンコールワットの正面の西参道を行く(12年)。奥に見えるのは西塔門。



西塔門をくぐるとアンコールワットの中心部が(97年)。観光客はそれほど多くなく、こんなに人の少ない時間帯も。ただ、2012年時でも昼食の時間帯は閑散としていた(観光客が一斉にレストランに入ったためと思われる)。



聖池に姿を映すアンコールワット(12年)。今度はグリーンシートのない時に来たい。



中央祠堂へ向かうには急勾配の階段を登らなくてはならない。写真は97年のもので、12年には、登ることのできる階段が限られていた。



中央塔かそれとも他の塔か?



上の写真を拡大するとこんな感じ。沢山のレリーフが施されている。





アンコールワットに残る江戸時代の日本人の落書き。寛永九(1632)年正月三十日の日付がある。肥州の住人森本右近太夫なる人物が、父の菩提を弔い、老母の後生を祈るため、はるばる海上を渡りこの寺院に到着し、仏像四体を奉納したというようなことが書かれている。


第1回廊にあるヒンドゥー神話「乳海攪拌」の図のレリーフ。神話の概略は次の通り。神々と阿修羅が相談して甘露を手に入れるため、大亀クールマの背中に大マンダラ山をのせ、その中腹に大蛇ヴァースキをからませ、それを両側から交互に引き合うことによって山を回転させ、大洋をかきまぜた(大洋をかきまぜることによって甘露が生ずるとされていた)。この攪拌によって大洋は乳の海となり、海中から様々な創造物が飛び出した。



いたるところにデバターが。



デバター。



アンコールワットの裏側。




バンテアイ・スレイ


アンコールワットから約40㎞のところにあるバンテアイ・スレイ。「女の砦」の意味を持つこの寺院は、967年、当時の王の重臣の菩提寺として建設されたとされている。僕が訪れた1997年3月には、この地区の治安はまだ安定しておらず、入り口には観光客を護衛する兵士が数人いた。ご覧の通り(人物の大きさと比べるとわかる)こじんまりとした寺院である。現在は遺跡保護のため中央祠堂周囲は立ち入り禁止になっており、「東洋のモナリザ」などは間近で見られないらしい。







ラーマーヤナに取材した、多頭多手の悪魔ラーヴァナが神の座すカイラス山を揺るがす場面。カイラスを象徴した四層のピラミッドの頂上に座すシヴァ神に妻パールヴァティーが恐れてすがりついている。

上の画像の部分を拡大したもの。左はシヴァ神とすがりつく妻パールヴァティー。右は悪魔ラーヴァナ(中央)と恐れおののく野獣(両脇)。



ラーマーヤナに取材した猿王スグリーヴァと兄ヴァーリンの一騎討ちの場面。左右上方から弓をひくのはラーマ兄弟。



「東洋のモナリザ」と呼ばれるデバター(だと思う)。




タ・プローム


1186年創建の仏教僧院であったものが、その後ヒンドゥー寺院に改められたものらしい。樹木の除去などが行われていないので、熱帯地域で遺跡が長期間放置されるとどうなるのかがよくわかる。




ニャック・ポアン




ニャック・ポアンには「絡み合う蛇(ナーガ)」の意味がある。12世紀後半にジャヤヴァルマン7世が貧しく病める人々に観世音菩薩の慈悲を分かち与えることを目的に建造したともいわれる。池の水は病人が聖水として使ったといわれる。中央に四角い池があり、その四方にさらに小さな池が配されているが、見ものは右の神馬の像。難破した旅人が流れ着いた島(セイロン島)は人食い鬼の住む島で、鬼から逃れるためにヴァラーハという神馬にしがみついて海を飛び越えた、という神話に取材したもの。逆光でやや見にくいが、馬にしがみつく人々の足を確認できると思う。12年に訪問した際には、ここまでは入ることができなかったが、現在はどうなっているか?




デバター
アンコール遺跡群には無数のデバター(女官)のレリーフが見られる。2012年に訪問した際には、デバターに注目して山ほど写真を撮ってきたが、そのほんの一部を。













プリア・カン


きりがないので、最後の1枚。二層構造になっているプリア・カンの中央祠堂。



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