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蛯子真理央さんのエッサウィラを描いた絵にひかれた理由

200608エッサウィラ

もうけっこう時間が経ったが、以前、母の付き添いで通ったクリニックの待合室に飾ってあったモロッコのエッサウィラを描いた絵画のことを書いた
その時は書かなかったが、なぜ、エッサウィラを描いた絵に魅かれたのか。もちろん、旅行が好きでモロッコにも度々出かけていたということもあるが、エッサウィラを訪れた時の自分の心持ちが、件の絵への関心を強くさせたのだと思う。

エッサウィラには2度訪れている。最初が1999年春、2度目は2006年の夏。そして、件の絵画は2006年のエッサウィラ訪問の記憶を呼び起こした。

2006年の夏、エッサウィラへ行こうと思うきっかけになったのは、その何年か前から交流を持っていたあるホームページ(ブログ)にアップされたモロッコ旅行記(旅先からアップされた日記かもしれない)だったと思う。その旅行記(ブログの日記)にアップされた写真とほとんど同じ構図の写真を自分も撮っており(この記事冒頭の写真)、それは影響を受けてのである可能性が高い。件の絵画の構図はそれらの写真の構図は似通っており、それがその絵に対する興味をかき立てられた要因だと思う。

2006年夏のモロッコ旅行は直前まで行けるかどうかわからない状態だった。なぜかというと、その年の早い時期から父がガンで入院して(何度目かの入院だったと思う)闘病生活を送っており、夏には容体が芳しくなくなる日もあったからだった。ずっと持っていなかった携帯を緊急の連絡用に買ったのもこの年だった(購入したのはPHSの通話ができてPCメールも送受信できるW-ZERO3という機種)。

2006年当時書いた旅行記(ホームページに載っている)を読むと、父の病気のことは伏せてあり、ただ「直前まで行けるかどうかわからない状態だった」というようなことは書いてある。この直前まで行けるかどうかわからなかった理由が父の病状だったのだ。

記憶は定かではないが、出発直前の時期、父の病状は割と安定して、母が旅への背中を押してくれたのだったと思う。しかし、旅に出ることにはしたものの万が一のことは考えておかねばならない。ということで、出国当日成田空港で携帯をレンタルした。当時、携帯の国際通話がどの程度普及していたのかは記憶にないが、自分が使っていたPHSでは国際通話はできなかった。レンタル携帯は、当時、世界を席捲していたノキアの携帯。起動時や着信時のメロディーは記憶に残っており、海外旅行に行くとあちこちで聞こえるほどノキアの携帯は普及していた。

携帯を借りるだけでは緊急時には対応できない。すぐに帰国できるよう心の準備もしていた。今ならばネットで片道の安価な航空券が手に入るが、当時はそうはいかなかった。モロッコからの緊急帰国の方法は、まず、ノーマル運賃でパリまで飛ぶ。そして、パリの旅行代理店でなるべくすぐ出発できる日本行きの便の航空券を手に入れる。ただし、夏の多客期なので安い航空券が手に入らない可能性も高い。その場合、パリからもノーマル運賃の航空券を買おう。そんな覚悟を決めて出発した。

この旅の際にとっていたメモが残っているので、これを書くにあたって読んでみた。エッサウィラへ向かう前日の母との電話で父の病状が悪化したことを聞かされた。熱が出て、血液検査の結果、白血球の数も増えていると。しかし、幸い、エッサウィラに着いてからすぐの電話では容体は安定したという話を聞くことができた。詳細は覚えていないにしても、この夏のモロッコ旅行はそんな記憶と結びついている。ちなみに、その時の父の容体の悪化は、その後のさらなる悪化の始まりで、帰国して2週間くらい後、帰らぬ人となった。

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