一写入魂の頃~ギルギット(パキスタン)
1997年夏、アジア陸路横断の未踏破区間であるイラン-パキスタン間を旅した(詳しい内容は鋭意作成中の本編で)。
写真は、その旅のゴールとなったギルギットで撮ったもの(ギルギット川にかかるつり橋からギルギットの街を望んだ)。
例によって、やたらとフィルムを使うのを避けるため、丁寧に構図を決めて撮った(のだと思う)。
しかし、おそらく、このときは、橋を歩く人がこちらに向かってきており、向こうに歩いていく人の後ろ姿を画面に入れようということでもう1枚撮ったのだと思う。それが次の写真。
微妙な露出の加減でモスクのミナレットとか山とかがやや不鮮明になってしまった。でも、後ろ姿の男性のお蔭で1枚目よりは動きが感じられるカットになっているかも。
デジカメだと、いくつかのパターンを試すことができるのだけれど、フィルム節約の旅をしていた自分にとって、ここは2カットが限度。
でも、上の写真には満足している。少なくとも、あの時自分が感じた空気感は思い出すことができるので。
一写入魂のころ~ダウラターバード(インド)
この日の最大の目的地はエローラだった。
アウランガ―バードのホテルで個人旅行の大先輩(知り合いではありません)に出会った。
「僕らのころは、アフガニスタンにも行けて、バーミアンの石窟寺院も見てきましたよ」
そのころは、まさか「僕らのころは〇〇にも行けて、△〇も見てきましたよ」と下の世代の旅行者にいうような状況になるとは思わなかった(実際にはそういう話をするシチュエーションになったことはないですが)*ちなみに、「〇〇」には「シリア」とか「イエメン」とかが入るし、△〇には「パルミラ遺跡」とか「シバームの砂漠の摩天楼」とか色々とあてはまってしまう。まったくひどいことになってしまったものだ。
話を戻します。
中学生くらいの甥っ子1人を連れてきていた、その個人旅行の大先輩氏が車をチャーターしてエローラへ行くので一緒に行かないか誘ってくれたので、便乗させてもらうことにした。
エローラへ向かう道すがら見えてきたのが上の写真のダウラターバード砦。岩山を利用した巨大な砦だ。
ここがなかなかのもので、フィルムを節約しなければならないのに、予定より多めにとってしまい、おかげでこの日のメイン、エローラの写真が十分には撮れなかった。
砦(岩山)の上からの眺め1
砦(岩山)の上からの眺め。城壁と堀が見える。
一写入魂のころ(中国蘭新線の車窓)
一写入魂のころー大理の月曜バザール(1987)
上の写真は1987年3月、中国雲南省大理近郊の月曜バザールを見に行ったときに撮ったもの。30年もたってしまったかと思うと、感慨深いものがある。
すでに、このようなバザールはなくなってしまったような感じ(『地球の歩き方』には記述がない)。
実は、去年の夏、雲南省に行ったとき大理再訪も考え、色々な情報を見てみると、その変貌ぶりは驚くべきほどだった。そして、その変貌ぶりを確認するため行くべきか、記憶のなかの昔の印象を大切にすべきか迷った結果、再訪はやめにしたのだが、この写真を見ると正解だったのかなあ、と思う。ただ、街や生活の変貌は、そこに暮らす人たちにとって良い面が多々あり、昔は良かったというのは旅行者のかなり勝手な思いなのだが。
例によって、フィルムをけちっていた自分だが、このバザールでは割りと多くの写真を撮っていた(ホームページ本編の旅行記の中に「世界の市場」というコーナーがあり、大理の月曜バザールの写真が何カットかありますー画質がよくないですが)。
一写入魂のころ-ペトラ遺跡(1990)
ペトラ遺跡。
3度も訪れたお気に入りの遺跡である。
シークと呼ばれる切り立った岩盤の隙間の通路を進んでいくと、写真のように巨大な建造物が見えてくる。
写真に見える建造物は岩を削って造られたもので、エル・ハズネ(宝物庫)とよばれる。
例によってフィルムをけちっていたため、大量には写さなかったが、シークから見える、このエル・ハズネのカットは割とうまく撮れた。
この時の旅は、エジプト・ヨルダン・シリア・トルコ・ギリシャとめぐる比較的長い旅だった(中心はエジプト・ヨルダン・シリア)。
その時の写真のフィルムをスキャンし、古いホームページに載せていた文章に付け加えて、ホーム(Sonosakino-巨大遺跡へ行こう2)にアップした。
ページの編集作業をしていると、25年前の記憶が鮮やかによみがえってきた。
また行きたいところばかりだが、現在は再訪不可能なところが多い。再訪が可能になるときが来るのだろうか? かなり絶望的な状況ではあるが・・・かの地の人々に平穏な日々が戻ることを祈るばかりである。
一写入魂のころ-チベット(1998)
明けましておめでとうございます。
今年もあまり頻繁な更新はできないと思いますが、よろしくお願いします。
新年にふさわしい画像がなかったので、98年のカトマンズ-ラサを陸路移動したときの写真を。
大雨の影響で道が荒れ、性能の悪い車がなかなか進めず、そのせいで大渋滞になった。
えんじ色(?)の衣の人たちは、若い僧侶たち。渋滞の先頭が気になって仕方がないよう。
一写入魂のころ-パキスタンのクエッタ(1997)
最近はデジカメを持って旅をしているので、とにかく撮れるものは撮ってしまう。
違う角度から、違う構図で、はたまたほとんど同じ構図で、シャッタースピードを変えて、絞りを変えて、とにかく色々と撮る。
しかし、フィルムカメラを使っていた時代は、そうはいかなかった。
現像・プリント代の問題が大きかった。
それで2週間くらいの旅で、36枚撮りのフィルム8本という目安を決めていた。
36枚撮り8本という数字には何の根拠もなかった。ただなんとなくだった。
撮影可能枚数に限度を設けているので、「一写入魂」でいかなければならず、何でもかんでもバシャバシャ撮るわけにはいかなかった。そのため、絵を作るよりも、まず、記憶の補助のための写真ということになりがちだった。
記憶の補助にするにしても、どこでその1枚を撮るか、けっこう大きな問題だった。
上の写真はアフガニスタンとの国境に近い、パキスタンはクエッタのメインストリート。
何の変哲もない写真だが、ゴテゴテの装飾を施したバスが珍しく、これを画面にいれつつ、クエッタの街を撮った。今では貴重な記憶の補助になっている。
このメインストリートを抜けると中華料理屋があったが、記憶の彼方で、どんなたたずまいの店だったのか思い出せない。
今だったら、間違いなく1カット撮っていただろう。
イランのイスファハンからバス車中3連泊でようやく到着したクエッタ。そこでの久々のまともな食事ということで、とても思い出深いレストランである。
洗面器のような巨大な器に入ったスープが妙に記憶に残っている。