パスポート発行の手数料、マイナンバーカードを利用しない従来型の書面での申請の場合、300円値上げ
政府がタイトルのようなことにすると決定したと報じられているが、これって「法の下の平等」に反するものだろう。
マイナンバーカードの所持は任意、つまり個人の自由なのだ。それなのに、それを利用しないものに300円とはいえ不利益を与えるというのは。。。もう、開いた口が塞がらない。異常だろう、これ。
従来通りの書面による手続きだと経費が余計かかるとかいっているようだが、これを認めると、例えば、同じ証明書を発行してもらうとして、相談時間が長かったとか言われて手数料に差をつけられることを認めることになってしまう。
額が小さいからといって、このようなことに慣れてしまうと、なし崩し的に何でも好きにされてしまうだろう。
認知症の母親と生活した時間は幸せな時間だった
少し前のことになるが、ある女性芸能人が語った内容としてネット記事に次のようなことが載せられた。
母親の認知症が進んで以降、母親を抱きしめたり、思い切り甘えたりするようになった。昔はちょっと怖い(威厳のある)母親で自分がそんな態度で母親に接するようになるとは思いもよらなかった、というような内容だったか?(その記事を目にしてから随分経ってしまったので、正確ではないが、そんな感じだったと思う)
今は世の中に認知症の高齢者は沢山おり、認知症の親とその子との関係も色々だと思う。
記事にあるようなある種幸せな関係を持つことができる親子は多いのか少ないのか、それはわからない。
しかし、自分の場合、幸いにも、件の女性芸能人と同様とても良い関係を築けていた。
抱きしめるとか、甘えるとかまではできなかったが、通院の際などの際には足もとがおぼつかない母を支えるため手をつないだり、クリニックの待合室の長椅子ではかなりぴったりふっついて座って順番が来るまで話したり。。。
母がしっかりしていたころならば薄気味悪がられたかもしれないが。
もちろん母はは突然変なことを言い出したり、急に機嫌が悪くなったりすることがなかったわけではない。しかし、それらは概してマイルドなものだった。
思えば、かかりつけ医に恵まれていた。
母はもともと血圧がかなり高い状態で循環器科のクリニックに通っていたのだが、降圧剤などの薬では抑えが効かない状態で、時々、暴走といってもよいほど血圧が高くなることがあった。それで、かかりつけの医師は自律神経というか精神の方の制御が必要ではないかと、知り合いの神経内科の受診を薦めてくれたのだ。
そして、従来通り、血圧を下げる薬、血液をサラサラにする薬、血管を広げる薬を飲みつつ、安定剤を服用し、自分は循環器科の医師のアドバイスを参考にしながらコレステロール値を下げるのによい食事を用意するようにした。
そうすると血圧は安定、降圧剤も少し弱いものに変更できるまでになった。
もともとは血圧の暴走を止めるために飲み始めた安定剤だったが、それが、認知症にともなう精神の不安定からくる諸問題を抑制してくれたように思う。
そのお蔭で、最晩年の母の思い出として心に残っているのは、穏やかでニコニコしている姿ばかりである。
どんどん気持ち悪い国になっていく日本
まだ、詳細は確認していないのだけれど、政府は携帯電話契約の際の本人確認はマイナンバーカード以外使用できないようにしようとしているようだ。
今や人々にとって必需品となっているともいえる携帯電話が、取得が任意であるマイナンバーカードがなければ持つことが出来ないことになる。
マイナンバーカードの取得は任意であり、そしてそこに記録されている情報が何等かの形でもれて被害をこうむったとしても、政府は一切責任を負わないことになっている。被害があった場合はすべて自己責任だ。そんな代物をなんだかんだ理由をつけて持たそうとしている。
マイナ保険証というものも、巨額の予算を使って普及させようとしているが、利用者は5~6%とかいうではないか。それでも今年の末には健康保険証を廃止する。
所持が任意のものを、それがないと不便になる状況をどんどん作って、無理やり持たそうする(健康保険証についてはマイナンバーカードと保険証の紐づけをしていなければ資格確認証というが発行されるが)。なんて陰険なのだ!
今や、パスポートに住所欄がなくなり、身分証明書として利用できる範囲はほぼなくなってしまったようだ。
裏金問題で大逆風が吹いているのにもかかわらず、国民に不人気の政策を強行する。これは大きな利権がからんでいると見られてもしかたがあるまい。
多くの国民がマイナンバーカードを持ち歩き、色々なサービスと紐づけて利用すると、いわゆるビッグデータというものが得られる。これは経済界にとってはとても貴重なデータのようだし、カード読み取り用の機器などもものすごい数となり巨大な利権だろう(現にマイナンバーカード関連企業から自民党への献金はかなり巨額であることがわかっている)。
前にも書いたことがあるかと思うが、裏金問題で次の国政選挙が厳しいので利権グループの結束を強化して乗り切ろうという魂胆でもあるのだろう。なんの根拠もない憶測だが、自民党のこれまでの行動はそう憶測させるのに十分だと思う。
「アメリカへのコロナウイルス長期障害の脅威が現実のものになってきた」という内容の報告
一昨日、新型コロナウイルス感染症の後遺症というか長期障害に関して少し書いたけれど、その手の情報は続々と出てきている感じだ(日本ではあまりというかほとんど報道されないようだけれど)。
最近、またアンテナを張り巡らせるようにしているのだが、次のような情報がひっかかってきた。
アメリカで発信されたもので、「アメリカへのコロナウイルス長期障害の脅威が現実のものになってきた」というようなもので、そこに示されている問題点は、4月時点で約1370万人が長期障害を負っていて女性の罹患率が高い、1年以内に回復する人は22%にすぎない、子供も罹患し発達に影響を及ぼす、1型糖尿病の率が上がる、等々。
一方で、記事には、長期のコロナ患者にどのような薬や他の治療法が役立つかに関するデータは蓄積されつつあるというポジティブな内容も見られる。とはいえ、現段階で新型コロナウイルス感染症をもう終わったもののごとくとらえるのは、やはり問題があるのでは?と思っている。
僕が新型コロナウイルス対策をゆるめない理由
すでに書いた通り、僕はいまだに新型コロナ感染症対策はかなり厳密にやっている。
5類になってもウイルスが変わるわけではなく、この冬のある1ヶ月に3000人もの死者を出しているし、わけのわからない後遺症(長期障害)もあるから。
応援しているコンサドーレに、シーズン前「風邪をひいて39度も熱を出しちゃいましたよ」とか無邪気なことを言っていた選手がいたが、その選手、今シーズン、さっぱりパフォーマンスがあがらない。39度の発熱、新型コロナウイルス感染症であった可能性も高いだろう。この感染症、体のさまざまな部分に悪さをすることが判明しており、当該選手の低パフォーマンスはもしかして、という気もしないでもない。
ところで、NCBI(アメリカ国立生物工学情報センター)の情報よると、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)感染後のポストコロナウイルス症候群に関する関心から、航空機乗務員について調査した結果、4.2%がそのポストコロナウイルス症候群を呈していたとか。グーグル翻訳が不正確かもしれないので厳密なところは何ともいえないが、現状、無視できる状態かというと、そうとも言い切れないというものだと思う。
新型コロナ感染症に感染した後に発生する様々な問題については沢山の報告・研究があり、上述のものはその一例にすぎない。
新型コロナ感染症に関しては、これがどういうものかということが完全には明確になっていないなか、もう付き合ってられない、ないものとして行動しようというのが世界的潮流のようだ。それでも例えばアメリカなどのように、積極的に検査して、陽性の場合、抗ウイルス薬の投薬で対処という方法がとられている国もある。対して、日本では政府は無対応(検査・治療に対する公的な支援はなくなった)だし、コロナウイルスという言葉すら禁句になっているようだ。新型コロナウイルスの現状について積極的に情報を得ようとする人以外にとっては、もうないことになっている。
10年後に、あの時の対応はまずかったとなるかならないかはわからないのだが、その時の答え合わせのため、また、自分自身が世の中の動きに流されないため、気に留めてつつ書き留めておこうと思う。
京都でサイクリング
先月末、4月の桜の時期に続いて、母の写真とともに京都を訪れた。
4月に訪れた時は大雨のため、生前母を連れていきたいと思っていた場所に行くことは諦めて帰ってきたのだが、やっぱり行きたいと思い2か月たたないうちの京都再訪となった。
母を伴っての京都旅行の計画には色々と制約があった。
脚力が弱っていたので移動はすべてタクシーを利用するのは当然として、タクシーを降りた後、長い距離を歩くのは困難で、また、距離は短くても急な石段を上り下りすることも困難。できれば車椅子で動くことが出来る場所がよいが、そういう寺社は少ない。また、名所・旧蹟を見るのか観光客を見るのかわからないようなラッシュ状態の場所は避けたい。
そういう条件を考えたとき、自分の頭のなかに浮かんできたのは真如堂。春の桜はそこそこ美しく、秋は紅葉が素晴らしい。ここ10年くらいは京都の一層の観光化のなかで、そいう季節はけっこう観光客が多くなっているようだが、嵐山・嵯峨野とか清水寺界隈のようなラッシュ状態にはならないはず。境内はそんなに広くはなく、ところどころに座って休むことが出来る場所があるので母と一緒に行くには良い場所だと思っていた。
実は4月に京都を訪れた時に、亡くなった母の写真とともに行こうと思っていたのは、その真如堂である。
紅葉が綺麗な場所は青もみじも美しい。ということで、真如堂で青もみじを見るたtめに京都へ出かけた。
しかし、天気がよくないと綺麗な青もみじは見られない。なので、週間予報でほぼ間違いなく晴れるとわかった段階で出かける日を決めた。
直前だと航空券は高いものしかないが、そういうときに役に立つのが株主割引券。
新宿の金券ショップは激戦のためか、株主割引券がかなり安くなっており、常に一定の枚数確保してあるので、それを利用。
現在は実家の維持・管理のため基本札幌にいるので、新千歳から出かけることになる。新千歳-伊丹空港・関西空港の便に使われている機材は小さいので座席数は少なく、多くの客にとって便利だと思われる新千歳-伊丹便は直前だとあまり空席がない。ただ、新千歳-関空便はけっこう空いていることがことがあり、なおかつ、新千歳-大阪便は基本観光客用の路線なので観光時間が確保しにくい時間帯の便はより空いていることが多い。
しかし、新千歳から大阪へ行く便は適当な便の空席は少なく(あっても3列席の真ん中とか)、新千歳から羽田に飛び、羽田から伊丹行きに乗り継ぐことにした。札幌-東京便もどちらかといえば北海道へ来る観光客の利用が中心の路線なので朝早い羽田行きは空いている。そして、ビジネス客の多い羽田-伊丹便は、仕事で急に利用することになった場合でもすぐに席が確保できるようにという配慮からなのか割と席に余裕がある状態で飛ばしている(新幹線との競争上そうなっているのか?)。
5月29日、関西は快晴。伊丹空港の到着口から出る前に、羽田の乗り継ぎの際に買っておいたおにぎりをかじってから空港を出た。
烏丸で阪急電車を降り、四条烏丸近くのレンタサイクルショップで自転車を借りて真如堂へ向かった。
自転車は18時には返却しなければならないが、時間に余裕があったので真如堂に行く前に下賀茂神社に行った。意外と観光客が少なかった。
真如堂の駐車場にてこの日の足となった自転車を撮っておく(帰りがけに撮影)。
奥にかすかに見える屋根が本堂。御覧の通り、境内はそれほど広くはなく、車を降りた後歩く距離も長くはないし、車椅子を使うことは難しいが起伏はあまりなく、足が弱くなった人でもなんとかなる感じ。
木々の多くは楓で、本堂の前には桜もあり。右上に飛び出て見えるのは三重塔。
インバウンド客でごったがえしている有名どころの寺社とは異なり静か。
奥の建物は三重塔。
上も真如堂の境内。京都のあちこちのお寺には市中の各地にあったお地蔵様が集められているところがあるようだが、ここもそうなのだろうか?
真如堂本堂の裏手。木はほとんど楓。
これで目的は達したので観光終了を終了し、早目の夕食。ちなみに、自分は母と一緒にいたときと変わらずかなり厳しめの感染対策を継続しており、飲食店の利用は屋外もしくは客の極めて少ない時間帯と決めている(家にいるときは基本外食はしない)。また、ラッシュ時には電車などには乗らないし(どうしても移動しなければならないときはタクシー、東京ではシェアサイクルも利用)、飛行機も空いている便を選んで利用している。
5月30日、最近恒例になっている早朝散歩に出た。
前々日から前日朝にかけての大雨のため増水した鴨川。近年、京都に泊るときは早朝に鴨川を渡って、八坂神社や清水寺方面に散歩するため、四条河原町に泊ることが多いのだが、この日は、八坂神社や清水寺までは行かず、建仁寺まで歩くのにとどめた。
上の写真は建仁寺に向かう道から北方向(祇園)を見たところ。昼間はインバウンド観光客でごったがえす場所だが、早朝はこんな感じ。
上は建仁寺境内。
上は高瀬川とサギ(?)。小魚をとるところを見ることができた。
さて、自分の中で京都は気合を入れて何日も歩く場所ではなく、ちょっと散歩したいだけの場所になっており、そんなに観光意欲は湧かないが、飛行機は午後なので(関西から北海道観光に行く人で積極的に午後の便を使う人は少ないので空いている)、ちょっとどこかに行く時間はある。
人の多い場所は嫌なので、空いているだろう場所にあたりをつけてホテルを後にした。
行った場所は万福寺。
上は斎堂(食堂)前の回廊に吊されている魚梆(ぎょほう)という時を報ずるための魚板。
JRの黄檗駅から奈良まで行き、昼食をとってから(うまい具合に屋外で食べられる場所を見つけられた)、さらにJRで関西空港まで移動して新千歳行きの便に搭乗した。
墓参りサイクリング
今日は天気もよく風も弱めだったので、父方の祖父母、父母が眠る墓のある里塚霊園へ自転車で行ってきた。
グーグルマップが提示したルートを使うと実家からの距離は17km(片道)。
しかし、グーグルマップの提示には従わず、車の通行量が少な目な道、幅の広い道を選び、また、旧千歳線の跡地を利用した人と自転車のための道も使いながら行ったので、たぶんグーグルマップが提示したルートよりは少し長かったと思う。
まだ、自転車で長距離を走る体にはなっていないので(今後もそういう体にはならないと思う)、ちょっと疲労感があるが、もう次はどこへ行こうかと考えている。山に隣接する方面は登り坂という問題もあるが、クマというもっと大きな問題もあるので、そんなに沢山選択肢があるわけではないというのが悩ましいところ。