菅内閣総理大臣による日本学術会議の会員任命拒否の問題は、直接的には我々一人ひとりの生活には直接にはかかわっていない。
それゆえ、この問題を深刻に受け止める国民は少ないように思う。折からのアメリカ大統領選挙に関わる報道もあって、この問題は埋没している感もある。
実際、11月8日に毎日新聞で報じられた世論調査の結果では、学術会議会員拒否を問題ありとした人が37%だったのに対し、問題なしとしたのは44%だった。
しかし、法治国家存続の危機と感じなければならない問題だと思う(もう十分安倍政権下で「日本は本当に法治国家? 法の支配が行き届いているの?」という感じになっているが)。上記、世論調査の結果は「大丈夫か? 日本」という感じだ。
日本学術会議の会員は日本学術会議法で学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命することになっている。そして、その推薦基準は同法によると「優れた研究又は業績がある科学者」というものだけ。
しかし、政権は「一部の大学に偏っている」など法律にない基準を勝手に持ち出して自らの任命拒否を正当化しようとしている。
また、学術会議会員の選出方法を変更した1983年に法改正の国会審議における政府答弁では会員の任命は形式的なものだという説明がなされている(学術会議法には「形式的」の文字はないが、国権の最高機関で唯一の立法機関である国会で、そのように解釈するということで法律が制定されているのだ)。にもかかわらず、これを無視して、推薦された人物を必ず任命しなければならないというわけではないとか、もう無茶苦茶だ。
法に示された意外の基準を持ち出し、立法過程における国会審議で明確にされた解釈も変更するというのは法治主義破壊以外の何物でもないと思う。(そもそも新たに持ち出した基準をめぐる主張そのものが事実に反することが明らかになっている-学術会議が会員構成の多様化を確保する取り組みを行い成果をあげている)。
時の政権の都合で法律に書いていないこと、法律の解釈を曲げて政策を行ってよいなどということは断じてなく、こんなことを許していると取返しのつかないことになってしまうと個人的にはとても憂慮している。
この問題では、政権の政策に対して批判していた学者(特に公の場で)に狙いを定めて任命を拒否したのではないかと多くの人が感じていたのではないかと思うが、学者の言動・思想を理由に任命を拒否したなどとは国会で答弁するわけにはいかないので、苦し紛れに何だかんだと理由づけしていたのだろうが、11月8日に共同通信が配信した記事によりそうした推測が限りなく正しかったのだということがわかってきた。どんな記事かというと、その見出しには「官邸、反政府運動を懸念し6人任命拒否」とあったのだ(複数の政府関係者が明らかにしたということで、誰の発言かは伏せられている)。
ただ、この見出しの記事はその後削除され、更新された記事では「官邸、『反政府先導』懸念し拒否」となった(『反政府先導』に鍵カッコがつけられたのは「反政府」と言っているのは官邸であり、共同通信としての見解を見出しにしたものではないということを示すためと思われるが、どうなのか?
しかし、政府の個別の政策に批判を加えただけで、反対の姿勢を示しただけで「反政府」とは! もしそうだとしたら、「政権批判は一切まかりならぬ、我々のやることに異論を唱えず従え」と言っているのと同じだ。ため息が出てしまうが、この状態に慣らされてしまったら終わりだと思う。ということで、やはり一言(では済まなかったけれど)書き記しておくことにした。
Comments:0