自民党の憲法草案には様々な問題があることが、諸所でとりあげられているが、そのなかの緊急事態条項について自分なりに考えてみたので、以下に備忘も兼ねて記しておくことにする。
東日本大震災のような事態に対応するため、憲法に緊急事態に関する規定が必要だと言われてしまうと、「自然災害への対応ためだからいいじゃん」と思ってしまいそうである。しかし、本当にそうだろうか? すでに災害に対処するための法令である災害対策基本法や災害救助法があって(※1)、不足しているのはそれを活用するための事前準備・訓練、現場による柔軟な運用の方なんじゃないのか。また、政府は自然災害への備えを強調しているが、緊急事態の内容として「我が国に対する外部からの武力攻撃」が最初に示されているし、「その他の法律で定める」ともあり、緊急事態の範囲の拡大もあり得ることになっている。ちょっと詳しく見てみるとかなりまずいんじゃないかという内容だ。
※1 例えば、災害救助法では、都道府県知事は、救助を行うため、特に必要があると認めるときには、医療、土木建築工事又は輸送関係者を救助に関する業務に従事させることができると定めているし(7条)、病院やホテルなどの施設を救助活動などのために使用できたり(9条)、住民を救助活動に協力させることができたり(8条)と、さまざまな権限を認めている。また、災害対策基本法でも、設備物件の除去や保安などの措置を指示できたり(59条)、避難のための立ち退きを勧告できたり(60条)、現場にいる人を応急措置の業務に従事させることができたり(65条)といったふうに、市町村長の強制権が定められている。
では、自民党の憲法草案の緊急事態に関する規定である98条・99条について見て行くことにする。<>でくくった部分が、規定の内容(要点)。
<98条>
1.<内閣総理大臣に緊急事態の宣言を発する権限を認めている>。
2.<事後の国会承認が必要とされている>が、内閣が国会の多数を占める勢力(政党)によって構成されるので、承認されることはほぼ確実。
3.また、<緊急事態の期間は100日とされ、それを超える場合についても100日を超えるごとに国会承認が必要>とされているが、これも上記と同じ理由から承認されることが確実。ただ、国会議員には任期があり、衆議院には解散もあるので、選挙で国民が緊急事態解除の意思を示せば、国会が緊急事態継続を承認しない可能性はある。ところが、<99条4項で緊急事態の宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができるとしており>、国政選挙をずっと行わずに政権運営を継続することが可能になるような仕掛けが施されている(議員の死去などによる補欠選挙はあり得る)。したがって、緊急事態の承認が繰り返され、ずっと継続される可能性は否定できない。
*国会議員については憲法で任期が決められていて法律で例外を定めることができないので、議員の任期が切れたらそこで選挙をしないといけないということになる。震災などにより選挙ができないと困るから、緊急事態における国会議員の任期延長規定をつくっておくべきだという考え方がある。しかし、これについては、わざわざ国民投票を行って憲法を改正しなくても、災害時などにも実施可能な選挙の方策などを考え、それを公職選挙法に盛り込むということで対応できるのではないか。
<99条>
1.<緊急事態宣言が発せられたとき、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる>とされている。これは立法府である国会の承認なしに立法と同じ措置がとれるということであり、上記3で記した通り、緊急事態がいつまでも継続される可能性は否定できず、こうした政権運営が長く(極端な話永久に)続いてしまう可能性がある。
2.<政府の発した法令は、事後の国会承認を必要とはされている>が、上記の2と同様に承認されることはほぼ確実。
3.<緊急事態が発せられた場合、何人も公の機関の指示に従わなければならない>としている。つまり基本的人権に制限が加えられるということである。一応、<憲法の他の条文にある基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならないとある>が、自民党の改憲草案における基本的人権の尊重は公益・公共の秩序に反しない限りという留保が付されており、例えば、政府による報道統制の徹底によって、今何が起きているのかということを国民が知ることができないなどという事態も起こりうる。
上記、色々と「心配事」を記した。「そんなひどいことをする政権が現れることなどはあり得ないだろう」と考える人もいると思うが、万万が一、そういうひどい政権が成立してしまった場合、憲法による制約がない、もしくは極めて緩いので、やりたい放題できてしまうというのが自民党の憲法草案にある「緊急事態」条項の問題なのだと思う。
日本は議会制民主主義の国で、そういう「危険な芽」が見えて来たら選挙によってその芽を摘むことができるから、そのような事態は起きないという考え方があるかもしれない。しかし、「危険な芽」を感じ取れるような環境が十分保たれているのだろうか? 日々の仕事・生活に追われ、政治に関する情報をチェックし、よく考える時間がない人がかなりの割合にのぼるだろう。自分も仕事を大幅に削減するまで、気が付かなかったことが沢山ある。もちろん、ニュース番組は見ていたし新聞にも目を通していた。それでも細かいことには気が付かなというのが現実だった(報道のあり方にも問題がある)。そもそも、選挙では「良いこと」しか言わないし、かつ、こうした「気が付きにくい状況」を維持できれば、「まあ、いいんじゃない。適当にやってくれ。そんなに我々の生活には影響なさそうだし。。。」という感じで、国民の政治に対する関心は高まらず、投票率も上がらず、政権は固定的な支持層の力により選挙では勝利を収めることが可能で、結局「危険な芽」は摘み取られることなく、政治が進行してしまう恐れがある。
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